第7話 駿府から熱田へ
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井伊次郎法師を保護した信行は駿府に戻ると加藤順盛に会って経緯を説明した。
「我々は陸路で熱田に戻りますが、信行様は船を使う方が良いでしょう。手前の船が明日の朝出港しますので乗り込めるように手配しておきます」
「助かるよ」
加藤順盛は駿府で仕入れた品を海路を使って熱田まで運ぶので船を用意している。一度船に乗れば余程の事がない限り熱田や津島まで無寄港で走るので信行にとっても都合が良かった。
「例の件ですが、接触はありましたか?」
「無いんだよ」
「困りましたな。明日には駿府を離れるというのに」
「相手にも都合があるからね。気長に待つとするよ」
信行が加藤順盛を通じて依頼していた件で相手方からの接触が一切ないので二人はどうしたものかと悩んでいたが、今川の本拠地で下手な動きも出来ないので待ちの姿勢に徹する事にした。
*****
次の朝に信行一行は加藤屋の船に乗り込んだ。今川側の積荷改めも行われず無事に駿府湊を出港して遠州灘に入った。
「これで一安心ですな」
「後は天候次第だね」
悪天候になると海が荒れるので沿岸の湊で天候回復を待つ事になる。その間に今川から積荷改めをされたら井伊次郎法師の存在がバレてしまう可能性があるのでその点だけが気掛かりだった。
「加藤屋の手代の方とお見受けしましたが」
「そうですが、何か御用でしょうか?」
信行は商人風の男から突然話しかけられた。商いの話をされると思った信行は拙い事になったと思いつつ対応する事にした。
「はい。熱田神宮の大宮司は剣の遣い手と聞いておりますが一度お会いしたいものです」
「…!」
熱田神宮大宮司の素性を一商人が知っているのはおかしいと千秋季忠が問い質そうと立ち上がった。
「季忠、待て」
信行は千秋季忠を制すると立ち上がって商人風の男に頭を下げた。
「お会いされたいなら那古屋と末森の城主様から許可を得る必要がありますよ」
「ご丁寧にありがとうございます。古渡城主の織田治部少丞信行様ですね?」
「その通りです。貴殿が例の件で協力してもらえる」
「千賀地保俊と申します」
信行は挨拶を終えると千秋季忠に事情を説明した。信行と千賀地保俊が交わした会話は符牒であり、双方が正確に言えなければ交渉が行われないまま不成立に終わっていた。
「先に条件を伝えたい」
「承知致しました。それを聞いた上で判断させて頂きます」
信行は千賀地保俊に条件を伝えた。
一、関係者全員を織田家で召し抱える(女性も含む)
二、召し抱えた者は俸禄を与えて定期的に給金を出す
三、役目を与えられた者は俸禄とは別に支度金と報奨金を出す
四、末森城下の一角に長屋を設けて居住地とする
「待遇が良過ぎるのでは?」
「危ない仕事を頼む事になるからね。御屋形様と私は情報収集を重要視していると思ってほしい」
千賀地保俊は三河国の忍びである。これからの時代は情報収集が重要だと考えた信長と信行は忍びと手を組む事を思い付いた。そこで二人は顔が広い津島湊の生駒屋(津島湊の顔役で信長が懇意にしている)と熱田湊の加藤屋に相談を持ち掛けた。
四者で話し合った結果、信長は伊賀国の忍びに顔が利く生駒屋を通じて接触する事になり、信行は三河国の忍びに顔が利く加藤屋を通じて接触する事になった。
「分かりました。少人数ではありますが、織田家に使えさせて頂きます」
「良かった。断られたらどうしたものかと思っていたんだよ」
「正直なところ我々も日々の暮らしに困りつつありましたので」
千賀地保俊は少し前まで三河国の忍びだった。父は服部党の頭領服部保長であり改名する前は服部保俊を名乗っていた。
服部党は松平家に従っているが、当主の松平竹千代が今川義元に気に入られており駿府に留め置かれている事から今後の動きについて話し合いが行われた。松平竹千代を支える為に引き続き松平家に従うか、見切りを付けて他家に従うかで意見が分かれた。頭領服部保長と次男服部正保は現状維持を主張して長男服部保俊は関係見直しを主張した。
意見が纏まらなかったので袂を分かつ事になり服部保俊は名前を千賀地保俊に改めた上で三河国を離れて尾張国に向かった。千賀地保俊は知己だった加藤順盛を訪ねて援助の相談をしようとしたところ信行を紹介された。
「これを支度金代わりに渡しておく」
「頂戴致します」
中には粒状の金が入っており千賀地保俊に従って三河を飛び出した者とその家族が身の回りの品を用意しても余りが出るような量だった。
*****
熱田湊に到着すると千賀地保俊は関係者を迎える為に信行一行と分かれて三尾国境に向かった。千賀地保俊を見送った信行一行は船酔いで体調を崩した井伊次郎法師を考慮して熱田神宮で一泊した。
「大宮司殿には迷惑を掛けるけど宜しく頼むよ」
「何を仰るかと思えば」
信行が申し訳無さそうに挨拶するのを止めたのは熱田神宮大宮司の千秋季直である。
「某は織田家臣なので余計な気遣いは無用です」
「お待ち下さい。千秋殿は大宮司就任の際に俸禄を返上されたと聞いておりますが」
柴田勝家を含めて家臣の大半が千秋季直は元織田家臣だと思っている。千秋家は少し前まで織田家臣と熱田神宮の宮司職を兼ねており、代々の家長は『熱田神宮大宮司、織田家臣の千秋◯◯』と名乗っていた。
先代の千秋季光が美濃攻め参加した際に討ち死にした。本来なら嫡男の千秋季直が大宮司と家禄を継ぐ事になるが、関係者から大宮司と家禄継承者を分けた方が良いと申し出があった。千秋季直が剣術の遣い手である事から先代同様討ち死にする可能性があるので宮司の血を絶やさない為である。
信秀は申し出に理解を示したが、千秋季直本人が納得しなかったので説得に時間を要した。その間に信長と信行が周囲に探りを入れたところ、熱田神宮の利権を欲した関係者が居たので二人は知恵を絞って或る事を信秀に提案した。
一、熱田神宮大宮司は嫡男千秋季直が継承する
二、千秋家は次男千秋季忠が継承する
三、千秋季直は俸禄を織田家に返納する
四、織田家は千秋季忠に俸禄を与える
信秀は千秋兄弟の説得を条件につけて提案に乗ると二人に伝えた。この頃の信長はウツケのフリを演じていたので大っぴらに動く事が出来なくなっていたので信行がその役目を担う事になった。
信行が何度も熱田神宮に足を運んでを繰り返したので千秋季直は信長と信行の面子を潰さない為に提案を飲んだ。信秀は千秋兄弟を含めた関係者全員を集めて家禄分離を伝えた上で強引に認めさせた。
千秋季直は約束に従って家禄を返納したが、信長と信行から改めて呼び出された。そこで千秋季直を当主とする大宮司家を創設して新たに俸禄を与えて今に至っている。
「そういう事があったのか…」
「不満を持つ者も居ましたけど信行様が『文句があるという事は兄上や私に文句があるという事だな』と言ったのでピタリと止みましたよ」
千秋季忠の説明を聞いた柴田勝家は納得するように何度も頷いていた。千秋兄弟に喧嘩を売れば死ぬ事を意味しているが、信長と信行に喧嘩を売れば本人だけでなく一族郎党が潰される事を意味していたからである。
「俺は御屋形様と信行様に刃向かう者は一切許さん。刺し違えてでも必ず始末する」
「兄者、物騒な事を言わないでもらえませんか?」
「当たり前の事を言って何が悪い」
「そうですけど…」
千秋季直は『信長様と信行様に足を向けて寝る事は死ぬ事と同じだ』、『信長様と信行様から腹を切れと言われたら喜んで腹を切る』と公言するほど二人に恩義を感じていた。
自称する事になった官職一覧③
千賀地保俊…従八位上・按察軍曹




