第25話 松平元康の野望
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松平元康は糸姫と祝言を挙げたものの自邸には殆ど戻らず近習を務める鳥居元忠の家に入り浸っていた。
「御屋形様は能無しの氏真が大切らしい」
「殿、誰が聞いているか分かりません。滅多な事は口に出さない方が」
「分かっているが腹立たしいのだ」
今川義元は織田家の人質になっていた松平元康を織田信広との人質交換で保護して以来、嫡男氏真と同列に近い扱いで厚遇した。松平元康もその期待に応えようと必死になって励んだ。元服の話が出ると共に今川義元の娘竹姫を嫁がせる噂が松平元康にも流れてきて太原雪斎からもその可能性が高いと言われていたので本人もその気になっていた。
蓋を開けてみると竹姫は牟礼勝重に嫁ぐ事になっており、自身は糸姫と祝言を挙げる事が決まっていた。牟礼勝重は一門衆だが特に秀でたモノはなく一言で表すなら平凡である。また糸姫は一門衆の中でも今川宗家に近い血筋なので不満は無かったが、恐ろしく気が強く松平元康を見下しているような態度を取るので初対面の時から毛嫌いしていた。
竹姫の方も松平元康に嫁ぐものと思っていたのに相手が牟礼勝重だったので愕然とした。一門衆の結束を図る為とはいえ何の取り柄もない平凡な男に嫁ぐなどあり得ないと竹姫は牟礼勝重と顔を合わせても挨拶を交わすだけで駿府城に入り浸っていた。
「折を見て御屋形様に離縁を申し出れば良いのでは?」
「言ったところで相手にされん」
「それでは手の打ちようがありません」
「糸姫が音を上げるのを待つ。関係が破綻している事実を知れば御屋形様も腰を上げざるを得ない」
松平元康は糸姫に一切近付かず徹底的に放置して本人から離縁を申し出るように動いていた。松平元康は糸姫がどうなろうと知ったことでは無いと赤の他人である姿勢を崩さなかった。
「竹姫も牟礼勝重に嫁がされた事で御屋形様に不信感を抱いている」
「どこでその話を?」
「本人から聞いたのだ」
松平元康と竹姫は恋仲だった事もあり夫婦になる噂が流れ始めた頃に関係を持った。それが木っ端微塵に潰されたので竹姫は今川義元に不信感を抱き、やがて怒りに変わっていた。
「私も御屋形様に失望している」
松平元康も同様に今川義元に対して恨みを抱くようになっていた。二人は極秘に愛瀬を重ねつつ今川義元への意趣返しを企むようになった。
「私から見て氏真殿は頼りない。御屋形様亡き後が思いやられる」
「確かに」
今川義元の嫡男氏真は芸事しか興味を示さないので後継者として心配する声も上がっている。今川義元もその点については頭を悩ませている。
「御屋形様亡き後、竹姫を擁して今川家を乗っ取る」
「それは!」
「心配するな。竹姫も同意している。事が成れば今川の姓を名乗るつもりだ」
「そうなれば故郷に錦を飾る事が」
「元忠、私は駿河を本拠地にするつもりだ」
「三河に戻らないのですか?」
「戻らないとは言っていない。駿河は何をするにせよ便利なのだ」
駿河は甲斐と相模に面しており、海路を使えば伊豆、武蔵、安房なども行動範囲に入ってくる。甲斐国の武田晴信と相模国の北条氏康には注意を払わなければならないが、年齢は松平元康の方が圧倒的に若いので我慢していれば相手が寿命を迎えて先に倒れる公算が高い。その隙を狙えば甲斐、相模、伊豆、武蔵の四カ国を加えた大身に出世する事も十分にあり得る話である。
「本音を言えば三河に居る連中は扱いにくい。三河が全ての中心だと勘違いしている」
「それを言ってしまえば…」
「連中は私から離れるだろう。事を成すまで何も言わない」
松平元康は尾張と駿河で人質として暮らしていく中で心強い存在である筈の三河武士が厄介者に思えるようになっていた。何かにつけて『三河武士』の立場に拘って周りを見ようとしない連中は明らかに世間離れしていると松平元康の目に見えていた。
とは言うものの精強であり自分に対して絶対的な忠誠を誓っている三河武士は使い勝手の良い武器や盾として戦場では重宝する事から松平元康は沈黙を守りつつ機会を見つけて使い潰せば良いと思っていた。
「某は何も申しません。殿に従うのみです」
「元忠のような考えで居てくれたら良いものを」
「事を成した後の事はお考えなのですか?」
「三河に固執する者は三河に据え置く。固執しない者は遠江と駿河に振り分けて厚遇するつもりだ」
柔軟な考えを持つ者は近くに配して固定観念に囚われる者は遠方には位置する。
「三河に据え置かれた者は?」
「生かさず殺さず。織田と一戦交える時には大いに働いてもらう」
松平元康は織田信長から受けた恩義は全て忘れており(尾張を離れた時点で記憶から消した)、先代信秀が度重なる戦を仕掛けて父を死に追いやった恨みだけがのこっていた。
「織田とは」
「共に天を抱かず。不倶戴天の敵だと私は思っている。苦労を知らない『尾張のウツケ』に天下を取る資格など無い」
織田信長を目の前に啖呵を切る事は叶わないが、松平元康は友誼を捨てて対決する道を選んだ。天下を取るのは長年に渡り辛酸を嘗めて苦労している自分しか居ないと松平元康は決意した。




