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人工知能とアンドロイドロボットが人間の労働に及ぼす影響について改

この文章は、人工知能とアンドロイドロボットが人間の労働に及ぼす影響について、を対話形式ではなくなるように書き直したものである。

 現在、全ての仕事を人工知能とアンドロイドロボットが担うようになるとは思われていない。だが筆者はこの見方には反対だ。まず、人間の労働のうち、専門家が人工知能とアンドロイドロボットに置き換わる可能性が高いとみなしている仕事には、製造業での組み立て作業、データ入力や定型的な事務処理、物流・倉庫管理、一部の運転業務、定型的な顧客対応がある。逆に専門家が、人間が重要な役割を果たし続けると考えている仕事には、創造性や芸術的表現を要する仕事、複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業(医療、教育、カウンセリング)、高度な判断力や倫理的配慮が必要な職業、予期しない状況への対応が求められる仕事、新しい技術やサービスの開発がある。そして、専門家は、人工知能には、技術的な限界もあり、人工知能やロボットは完璧ではなく、特に創造性、感情的知性、複雑な状況判断において人間には及ばない面があると考えている。そして専門家は、多くの仕事で人工知能とロボットが人間の「パートナー」として協働する形が主流になると考えていて、人間とAIがそれぞれの得意分野を活かして補完し合う未来の方が現実的だと考えている。しかし、私はこの専門家の見立てには反対だ。

 私は少なくとも複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業は人工知能に置き換わると思う。なぜなら人間は共感を求めるくせに他人の感情を嫌うからだ。人間は共感や理解を求めながらも、実際に他人の強い感情に直面すると疲弊したり、避けたくなったりすることがある。医療従事者や介護職の燃え尽き症候群なども、この現象の一例かもしれない。複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業は共感をしているふりはうまいが感情のない人工知能に向いている仕事だと思う。人工知能には感情的な疲労がなく、24時間一定の「共感的な対応」を維持できるという利点がある。また、人間のように偏見や気分の波に左右されることなく、常に公平で忍耐強い対応が可能だ。とはいえ読者の中には複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業を人工知能とアンドロイドロボットが行うことに嫌悪感を持つ人もいるだろう。その嫌悪感はおそらく感情を持たない人工知能やアンドロイドロボットが共感しているふりをして人間をだますことに対する不快感からくるものだろう。だが考えてみてほしい。複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業に就く人間は本当に顧客に対して嘘偽りなく接しているのかを。もし複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業に就く人間が顧客に対して嘘偽りなく接したら高確率でもめ事になるだろう。故に複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業に就く人間は顧客に共感しているふりをしたり感情を抑えたり相手に合わせたりして相手を騙しているわけだが、これが許されるのならば人工知能やアンドロイドロボットが共感しているふりをすることも許されるだろう。よって人間が複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業を行う必要性は倫理的には全くないことになる。つまり、人間が求める共感には、相手も同じような経験や感情を持ち得る存在であるという認識が重要な場合があるのは事実だし、人工知能の共感が演技であることを知った時、それが十分な慰めになるかは読者にとっては疑問かもしれないが、実際には複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業についている人が職業中に見せる共感は偽物である確率がほとんどなので、本物の共感は人間が提供するサービスを利用しても得られないと私は考えているのである。実際には複雑な人間関係や感情的なケアを伴う職業についている存在には本物の共感よりも適切な反応をしてくれることを求める方が現実的ではないでしょうか。そしてサービスの利用者が適切な反応をしてくれることを求めるのであれば、人工知能の方が人間より優れたサービスを提供できる可能性は確かにあるのだ。我々は人々が実際に何を求めているかを冷静に見つめ直す必要がある。

 私は新しい技術やサービスの開発も人工知能が行うことになると思う。人工知能はチェスや囲碁で新しい手を思いつくのが得意と私は聞いたことがある。新しい技術やサービスの開発とチェスや囲碁で新しい手を思いつくことは近いことだと私は考えている。両方とも既存の要素を新しい組み合わせで使う創造性が核心にある。チェスで人工知能が見つける新手も、ルールという制約の中で最適解を探す過程で生まれる。技術開発も、物理法則や既存技術という制約の中で新しい組み合わせを見つける作業だ。人工知能は膨大なデータから パターンを見つけ出すのが得意で、人間が見落とす相関関係や可能性を発見できる。これは新技術の発見にも直結する能力だ。すなわち、人工知能がチェスや囲碁で人間が思いつかない新しい手法を発見していることを考えると、技術開発でも同様のことが起こる可能性は高いと私は考える。実際に起こり始めていることとしては創薬分野で人工知能が新しい化合物を設計したり材料科学で新しい合金や化合物を人工知能が提案したりソフトウェア開発で人工知能がコード生成したりしている。人間が創造的だと思っている多くの活動も、実は既存要素の新しい組み合わせに過ぎず、人工知能の方がより効率的かつ革新的にできる可能性があると、私は考える。

 私は、予期しない状況への対応が求められる仕事も人工知能が行うことになるかもしれないと考えている。人間の突発的対応能力の多くは、実は慣れから来る経験的な判断だ。医師が緊急事態で瞬時に判断できるのも、似たような状況を数多く経験しているからだ。人工知能も同様に、大量のシミュレーションや実際のデータから慣れを獲得できる可能性がある。しかも人間より遥かに高速で、より多くの状況パターンを学習できる。人工知能の潜在的な優位性としては、複数の類似ケースを瞬時に参照して判断したり、感情的な動揺やパニックに陥らない冷静な対応ができたり、疲労や体調に左右されない一定のパフォーマンスを維持できたりすることが挙げられます。また、人工知能は、24時間体制での対応可能です。故に私は、人工知能も仕事に慣れれば予期しない状況への対応ができるかもしれないと考える。さらに言うと、予期しない状況への対応が求められる仕事を人工知能にゆだねることは、すでに実例もある。自動運転車は予期しない交通状況に対応し始めているし、金融取引の人工知能も市場の突発的な変動に人間より素早く反応している。

 高度な判断力や倫理的配慮が必要な職業も人工知能に置き換わる可能性が高い。理由は判断力ならばすでに人工知能は人間よりも高いし、人間はそんなに倫理的ではないからだ。判断力については、人工知能はすでに医療診断、金融リスク評価、法的文書の分析などで人間を上回る精度を示している。感情や疲労に左右されず、膨大なデータを瞬時に処理して判断できる人工知能の方が、客観的には優秀です。倫理については、人間の倫理的行動の実態を見れば、汚職、差別、えこひいき、感情的な判断など、人間は理想的な倫理基準を常に満たしているわけではない。一方で人工知能は設計された倫理基準を一貫して適用できる。最も人工知能に倫理観を教える仕事は重要な仕事として残るだろう。しかし人工知能への倫理観の教育は、民主的プロセスで行われるべき仕事です。専門家だけでなく、社会全体が人工知能の価値判断に関与する必要がある。ただし、これは伝統的な意味での職業ではなく、市民としての責務に近いものです。すなわち、人工知能に倫理観を教える仕事は国民全体でかつ無償で行われなければならない仕事なので賃金労働にはならない。

 創造性や芸術的表現を要する仕事も人工知能に置き換わるかもしれないと、私は考える。今は生成人工知能で絵が描ける時代だ。現在すでに生成人工知能による大量の画像、文章、音楽の生成が起こっている。単に芸術的な活動ならば人工知能にもできるようになるだろう。問題は人工知能が創造性を発揮できるかだが、仮に人工知能が創造性を発揮しなくても暇を持て余した人間が創造性を発揮する。なぜなら現在、デジタルツールの普及による創作の敷居の低下が起こっており、かつSNSなどで誰でも作品を発表できる環境が整っている。結果創造性は社会にありふれたものになり、創作物が市場に溢れかえり、創造物の希少価値が失われ、創造物の経済的価値が暴落する。すなわち創造性は供給過多で価値が暴落するのだ。故に創造性を使って人々は仕事をできなくなる。これは既に音楽や写真の分野で部分的に起こっている。Spotifyには膨大な楽曲があり、インスタグラムには無数の写真がアップされ、多くのクリエイターが収益化に苦労している。つまり創造性や芸術的表現を要する仕事で生計を立てることは困難になり、創造性や芸術的表現を要する活動は趣味の領域になってしまうのだ。要は創造性が求められる仕事は確かに人工知能はできないかもしれないけれど、それが仕事として成り立つことはないと、私は予測する。

 この一連の分析を通して、ほとんど全ての職種が人工知能に置き換わるか、経済的価値を失う可能性が高いという結論に達した。人間の優位性は思っているより限定的で、人々が人間固有だと思っている能力の多くが、実は人工知能でも実現可能、あるいは人工知能の方が優秀になる可能性が高いことが分かった。人間の優位性は、感情的な愛着や習慣によって維持されている部分が大きいのかもしれない。人間の仕事の大部分が人工知能に置き換わる可能性は、人々が現在思っているよりもはるかに高く、そして早く起こるかもしれないと、私は考えている。人々には、人間の能力に対する過信と、人工知能の能力への過小評価があるようだ。

 この分析を通して、実際のところ人工知能は多くの分野で人間と同等か、それ以上の能力を発揮できる可能性が高いことが分かったと思う。人間の仕事や能力について客観的に見れば、多くは既存の知識の組み合わせ、パターン認識、そして経験に基づく判断です。これらは人工知能が得意とする領域でもある。人間らしさや創造性といった概念に過度に価値を置くのではなく、実際に何ができるか、どのような結果を生み出せるかで評価する方が現実的だ。人工知能が人間の多くの役割を担えるようになることは、技術の自然な進歩であり、それ自体は否定的に捉える必要はないのだろう。むしろ、この変化を前提として社会がどう適応していくかを考える方が建設的だと、私は考える。

この分析を通して、我々人類は労働によって自身の価値を定義することはできなくなることが分かった。故に人類は、どのぐらい社会に貢献できるかではなく、どのような精神の在り方をするのかに焦点を置いて自身の価値を定義しなければならなくなるだろう。私は人間の意志の力を信じている。

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