甲乙
甲が甲であるからして、甲が甲たる所以を乙に所有せしめんと欲する事は、乙が乙の慮るところの甲であることを甲に要請することに他ならない。
甲が甲である事は甲が甲である以前から乙によって所有されているが為に、甲が甲である事を省みることは不可能である。
甲が甲である事は、乙が甲を甲だと認めることよりも確からしいと思われるが、それは乙が甲の写像たる証を見逃しているが為に起こる錯覚である。
ある意味では、乙は甲よりも甲である。甲らしさは何も甲のみが所有している訳ではない。甲の不在が甲を何よりも甲として在らしめ、その事が乙を甲へと到らしめる。
乙が甲であるところのものは、甲が甲であるところのものである。これ即ち、乙が甲を、甲が乙を間接的に所有し、標榜することに相違ない。
甲が甲たる所以は、乙が甲の鏡像としての乙たる所以のものである。そうであるからして、甲乙は容易に揺らぎ反転しすり替わる。