【90】しくじりました
「いた…」
フェルの小さな声を拾ったルースとソフィーは、その場で足を止めた。
木々の間、100m先になろうかという辛うじて見える場所で、深緑の葉の隙間から小さな赤い物体が動いている姿が見えた。
「思ってたよりデカそうだな。何匹いるんだ?」
魔物の数を確認する為その方角を凝望すれば、赤い物が分裂でもしたかのようにもう一つ現れた。
2体だ。
思っていたよりも大変な作業になりそうだなと、ルースは気を引き締める。
「2体います。ソフィーはここで待機してください。私とフェルで行きます」
「はい」
歯切れの良い返事に笑みを浮かべたルースは、視線をフェルに移して頷いた。
「少し遠いな。近付くまでは気配を抑えよう」
「ええ。出来るだけ近付いて、一気に突っ込みましょう」
囁き声程度で会話してから、ルースとフェルは静かに魔物へと近付いて行く。
コカトリスは飛翔しない魔物と聞くが、羽がある為上下の移動にも注意が必要だろう。後は尻尾と呼ぶべきか、蛇の形をした尾だ。
アレの動きも別物と見なければならないだろうと、ルースはその姿をとらえつつ戦い方をシミュレートして足を進めて行く。
残り30m付近でフェルが重心を落とし、一気に駆け出した。これ以上は向こうにも気付かれるだろうと、ルースもフェルが飛び出した次の瞬間に加速する。
前を走るフェルと同時に抜刀すると、2人はコカトリスの前に躍り出た。
『『コーオーッ!』』
大きな羽を広げたコカトリスの威嚇音ともとれる鳴き声に出迎えられ、2人は横一列に並んで剣を構えた。
目の前に立つ魔物の体高は約80cm。鶏だと聞いていたが、想像よりも随分大きいなという感想を抱く。
ルースは剣に渦巻く風を纏わせ、剣が緑色に発光する。
「フェル、アレは土魔法が使えるようです」
「チッ面倒だな」
ルースは構えた剣の先にいるコカトリスが、羽を広げると同時に、土魔法を発動させる気配を漂わせたのが視えていた。
すると早速コカトリスから、先制攻撃とばかりに塊の石が飛んでくる。
―― ガキンッ! ――
それにフェルは左腕の盾を使って対応し、ルースは水壁を張って防ぐ。
そして、ルースが魔物との間合いを詰めて懐に潜り込もうとすれば、それは羽を上下させて上に飛び上がると、体の下から長い蛇の尾を鞭のようにしならせ、ルースの前に振り回した。
ヒュンと空気が鳴る音と共に迫ってきた尾に、ルースは一気に飛び退って間合いを取る。
「尻尾は自由気ままですね」
「360度動くっておかしいだろう…。巻き付かれると厄介そうだな」
「ええ。気を付けましょう」
「おう」
軽くフェルと会話を交わして、ルースは魔物に集中する。
2体をルースとフェルそれぞれが引き離し、間隔を開けて場所を木々の中へと誘導する。
周りは木々が迫っており、足場は悪い。しかし隙間が狭ければコカトリスも羽を広げる事が難しくなるため、その分攻撃パターンは単純化するはずだ。
バチンッとコカトリスの尾が木に当たれば、その木は少しえぐれている。
ただの尻尾であってもこの威力だ。人に当たれば身動きが取れなくなるかもしれない。
ルースは風を纏わせた剣を袈裟懸けに振り出し、そこからビュンッと魔法の刃が飛び出す。
それにかすったコカトリスは、羽に一筋の傷を付けた。
『コーッ!!』
と、声を上げたコカトリスと視線が合う。その目には明らかな殺意が籠っており、その体に纏う魔力が膨らんだ。
“来る!“
「“水壁“」
ルースは即座に目の前に防壁を展開すれば、バチッバチッとそれに石礫が当たる。
音がやんだと防壁を消せば、いつの間に近付いたのかコカトリスの顔が迫っていた。
“まずい!“
ルースは瞬時に横へ転がるように体を投げ出すも、“ジュッ“という音がして左足に痛みが走る。
転がった先で足を確認すれば、左足首はコカトリスが吐き出した毒を浴びており、煙を立てていた。
どうやら、コカトリスの毒には“酸“が混じっているようだった。
「ルース!」
フェルの声に大丈夫だと声を上げる間もなく、追撃してきたコカトリスの尾が迫る。
ルースはそれから逃れるように地面を転がり、間合いを確保する。
「しくじりましたね…」
そう言って左足を庇いながら、ルースは剣を支えに立ち上がった。
「ルース!」
ソフィーもたまらず声を上げた。
「大丈夫です。まだ出て来ないでください!」
そう言い放つルースは2本の足でしっかり立つと、剣を構え直して体勢を整えた。
その間フェルは、もう1体と上手く間合いを取りながら剣を振るっている。
『コーッ!!』
と鳴き声を上げるそれを見れば、フェルの剣が付けた首元の傷から血を流し、コカトリスが後退っている。
フェルは上手く対応できている様だが、問題はルースだ。
ルースは一度間合いを取ったものの、もう動けないと判断されたのか追撃が激しくなった。
ルース自身はなるべく動かずに済むよう、剣に纏わす風の刃を送りながら水壁を展開して対応する。
なるべく剣で戦うつもりだったのだが早々にしくじってしまった様だなと、コカトリスが下がったところでルースは左手をコカトリスへと向けた。
「友たる大地と雄弁なる大気よ、今ここにその力の一滴を。“暴風圧“」
ルースから放たれた風魔法は、コカトリスへと軌道を定め真正面から突き当たる。
『コーッ!!』
悲鳴を上げたそれは、風に押し出されてその先にあった大木の幹へと直撃した。
『グヘッ』
直後、押し出された空気と共に声を落としたコカトリスは、そのままクタリと崩れ落ちた。
しかしまだだ。多分気絶しただけだろうと、ルースは追撃の手を緩めない。
「“水槍“」
今度は簡略詠唱を放つと、ルースの手から太い氷柱が1本飛び出しコカトリスの頭を貫いて、そしてやっと動かぬ骸となった。
ルースが集中して戦っている時にフェルの戦闘は終わっていたらしく、ルースが息を吐いてふらつけばフェルが肩を支えてくれた。
「しくじったな」
「ええ、しくじりました」
ルースとフェルはそう言葉を交わし合うと、地に伏した2体の魔物を見つめた。
その時2人の背後から、ソフィーの声が聞こえた。
「ルース!」
“はぁはぁ“と走ってきたらしいソフィーが2人の横に並び、ルースとフェルの顔を覗き込む。
「すみません。少々油断したようでこの有様です」
「今治療するから座って」
ソフィーは真剣な顔でテキパキとルースに指示を出す。言われたルースはその指示に従いその場に腰を下ろすと、毒を受けて煙を上げている左足を見せた。
「ひどい…」
ソフィーは自分が傷ついたかのような表情をしてその患部を見ると、息を整えてからその場所へ両手をかざした。
「神々の恩恵に縋り、我らを健全な民に戻したまえ。“解毒“」
眩しい位に白く光る魔法は、ルースの患部を包み込み毒を消していく。
ズキズキと響く痛みが治まったかと思えば、続けてソフィーの声がした。
「天の恵みよ我に希望を。“回復“」
その声と共に温かな光がルースとフェル、ソフィーまでも包み込んでいった。
ルースはその光景を、眩しさに耐えながらしっかりと目を開いて見つめていた。
「凄いですよ本当に…」
ルースはシンディの魔法を見て育ってきたが、回復がこれ程までに威力のあるものだとは思っていなかった。以前見た時にも感じたものを、今は更に実感を伴って感嘆すらしていた。
「ふぅ。これで大丈夫かしら?」
ソフィーが患部から顔を上げてルースを覗きこめば、ルースの隣から先に声がする。
「ああ、もう治った」
フェルの言葉にそちらを見れば、何の事はない、フェルも左袖が切れており、そこを繁々と覗き込んでいたのだった。
フェルも負傷していたのかとその時気付いたルースは、結局一度で2人共治療してしまったソフィーに笑みを見せた。
「ありがとうございます。お陰で私もフェルも問題はなくなりました」
「ああ。助かったよ、ソフィー」
「良かった。やっと二人の役に立てたわ」
「いやいや、飯だって作ってくれてるし、いつも役にたってるって」
フェルはソフィーを称賛したいようだったが、少しニュアンスがおかしいなとルースが言い換える。
「ソフィーはいつも居てくれるだけで、私達はとても有難いと思っています。今日は更に存在感が増してしまいましたね」
2人の言いたい事が分かったのか、フフッと笑ったソフィーが嬉しそうに頷いた。
「さて、ここで少し休憩するのも良いですが、先にこれらを回収してしまいましょう」
ゆっくりと立ち上がったルースは、もうふらつく事もなくしっかりとした足取りでコカトリスに向かって行く。
「フェル、これの解体は要領を得ませんので、このまま持って帰りましょう」
「解体しないなんて、珍しいな」
「これは酸性の毒がありますし、それを触ってしまってはまたソフィーのお世話になってしまいます。それに羽の処理が分かりませんので」
「そうか…そういう事だな」
納得したフェルが、手際よく新調したマジックバッグに2体の魔物を収納し終えた時、3人の頭上の枝がガサリと音を立てたのだった。
追記(補足)
作中でルースが放った《暴風圧“ウインドインパルス“》は上級の風魔法で、図書館で覚えてきた中の一つでした。まだ使った事がなかったので、覚えたままの詠唱を唱えたという事です。ルースの簡略詠唱は一度放ってみて、そのイメージをもとに魔法を発動させている為、使った事がない魔法は今後も詠唱してから放ちますので、以降よろしくお願いいたします。