【86】行ってきます
「おや?まだお話ししていなかったのですか?」
「ええ…何だかまだ実感がなくて…」
困ったようにソフィーが言えば、フェルは苦笑しルースが微笑む。
「少し道を間違えて遠回りをしていましたが、ソフィーさんは紛れもなく聖魔法が使えます。その為、私達と出会う事がなくてもその事実が分かれば、冒険者がパーティを組みたいと申し出たりなどして、ここでお店の手伝いをするだけでは終わらなかったでしょう」
ルースの説明を聞いた女将たちは見開いていた目を戻し、納得した様に頷いた。
「そういう事ね…」
「でもそれは、ここにいるルース達に教えてもらったから分かった事で、まだ色々と試した訳でもないから…お二人にはまだ伝えてられなかったんです」
ソフィーが申し訳なさそうに話せば、分かっているという風に女将と大将が笑みを湛えて頷きで返す。
「良かったねソフィー」
「ああ、良かったな」
女将と大将は、ソフィーの魔法が上手く発動しない事を知っていて、ソフィーが努力してきた事がようやく実を結んだのかと労いの言葉を掛けた。
「それで冒険者になりたいと言ったんだな…」
「はい。私に道を示してくれた人達と会う事が出来たので、私はこの人達について行きたいって思ったんです」
ソフィーはそう言うと、ルースとフェルに清々しい笑顔を向けてから、女将たちへと視線を戻した。
「それに私はまだ職業も出ていないし、冒険者になる事も選択肢の一つだと思うんです」
「分かってるよ…ソフィーの決意が固まっているのはもう知っているし、こうして仲間になってくれる人達もC級冒険者だと分かって安心したよ。ソフィーはこれから冒険者になって、この2人と一緒に頑張りなさい」
女将から応援とも呼べる言葉をもらったソフィーは、「はい!」と元気よく返事をした後、「あ」と言って動きを止めた。
「何かあったの?」
「いえ…さっきもう、冒険者登録は済ませてきたって言うのを忘れてました…」
「あらっフフフ。今聞いたから大丈夫よ。後で色々と聞かせて頂戴ね」
「はい」
やっと雰囲気が穏やかになったのだが、ルースはまだ伝えなければならない事がある。
「それから今お話しした聖魔法の事は、ご内密にお願いいたします」
と、ルースがそこで話をすれば、女将たちは戸惑った様子だった。
「ソフィーは今まで、聖魔法以外の魔法を練習してきました。それらは全てが効果の出ないものでしたので騒がれる事はありませんでしたが、そのうえ聖魔法まで使えるのだと知れ渡れば、ソフィーが危険な目に合うかもしれません」
「…危険?」
「はい。魔法を使う者達は、大多数が一属性の魔法しか使えないのです」
ルースがここまで説明すれば、女将たちはそれで分かったらしく頷いてくれた。
「それから急で申し訳ありませんが、私達の出発は明後日の早朝になりました」
「え…?」
「何だ、随分と急いでいるな」
「はい。申し訳ありませんが、これは私とフェルの都合によるものです。冒険者ギルドで話題を提供してしまったらしく、少々居心地が悪くなってしまったもので…」
そう話してから女将と大将には、かいつまんで昇級の事と納品した魔物がレアだったという事を話した。
それを聞いた2人は、苦笑しつつも納得してくれたようで、この件も秘密にしておくよと言ってくれたのだった。
その話が終わる頃にはそろそろ営業を再開する時間だとの事で、ルースとフェルはお店の邪魔になる為、お暇する事になった。
「それでは、明後日の朝に」
「はい」
店の外で見送ってくれるソフィーに手を振って、ルース達は夕暮れの町を宿へと戻っていった。
「少々慌ただしくなってしまいました」
「仕方ないとはいえ、確かにな。明日はどうする?クエストを受けるか?」
フェルの問いかけに、ルースもそこは悩むところだと眉間にシワを寄せる。出発を明後日にしたのはソフィーに対する配慮からで、2人はもういつでも出発できる状態にはなっているし、また冒険者ギルドで纏わりつく様な視線を受けるのは、正直遠慮したいところだった。
「明日はまた、図書館に行く…というのはどうですか?フェルも魔法の事を知っておいた方が良いでしょうし、私も色々な魔法を覚える必要がありますので」
「あ?あ…あっちの事か。じゃあ、そうするか。馬車の事も調べなきゃなんないしな」
明日はクエストではなく調べものをすることに決め、町中を歩きながら出発のための食材も仕入れていく。
手軽に食べられる物から果物を中心に、今回はいつも買わない野菜類や肉、魚も適当に選んで少量購入した。しかし、2人は料理が出来ないので何を買うかは店の人に聞いたりしつつ、おっかなびっくり…というところだ。
そんな風に寄り道をしつつ宿に戻れば、すっかり陽は傾き街灯がともり始める時間になっており、ルースとフェルは冒険者を避けるようにそっと宿へと戻ったのである。
こうして翌日は、人の少ない朝一番に冒険者ギルドへ顔を出し朝食を取った。
そして既に受付に立っているメレトニーに、明朝出発する旨を伝え、早々にギルドを後にした。
外に出れば早めに到着する冒険者達もちらほらと姿を現しており、2人は急いで再度宿へと戻り、裏庭で剣の鍛錬をし時間を調整してから図書館へと向かうと、そこでほぼ一日を過ごすことになったのだった。
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「女将さん、大将、今までお世話になりました」
そう言って深く深く頭を下げたソフィーを、女将は抱きしめ大将は複雑そうな顔を見せた。
「もっと色々としてあげられる事があったんだろうけど、何もできなくてごめんね」
「いいえ。両親が亡くなって困っていた私を、本当の娘の様にして育ててくれました。感謝してもしきれません」
泣きそうになりながらも、ソフィーは言葉を紡ぐ。
「元気にやっていくんだよ」
「はい」
「体に気を付けろよ」
「はい。また顔を見せに来ます…」
そう言ったソフィーに女将は涙をぬぐいながら頷く。
「ここがソフィーの家なんだ。また帰っておいで」
大将も力のない声で囁くように声を掛け、ルースとフェルはその3人を少し離れて見つめていた。
ルース達へ視線を向けた大将が、重い口調で話す。
「ソフィーを頼むぞ」
「「はい」」
しっかりと返事を返した2人に、大将も大きく頷いた。
「それでは、行ってきます」
「…いってらっしゃい…」
「…ああ…」
そして挨拶も済んだのか、ソフィーが女将たちから離れてルース達の傍による。
「もうよろしいのですか?」
「はい」
「では行きましょうか」
店の前で見送ってくれる女将と大将に会釈した3人は、背を向けてスティーブリーの門へと向かって行った。
ソフィーは度々振り返りながら、涙を光らせ手を振って歩く。
ルース達がそれを静かに見守りつつ歩いて行けば、大通りまで到着し南の門へと進んで行く。
「大丈夫ですか?」
「ええ…もう平気」
心配を掛けない為、そう言うソフィーへ微笑んだルースとフェルは、これから門の近くにいるはずの馬車に向かってソフィーを促して行く。
「今日は運よく、北へ向かう馬車が出ていましたので、それに乗ります」
「はい」
「尻が痛くなるから、厚手の服とかを下に敷いた方が良いぞ?」
フェルは前回の教訓から、ソフィーに助言しているようだ。
「そうするわ」
とソフィーは素直にそれを聞いてくれるため、フェルは嬉しそうに話している。
「あれ…ですね」
ルースが示した方向に、以前乗った馬車と似た物が門前に停まっていた。
3人が近付いて行けば、中には既に3人が乗り込んでいるようだった。
それでもまだ十分余裕はありそう、でルースは御者らしき人物に声を掛けて乗車の意を伝えた。
この馬車は北にある町“ケイヴン“を目指しており、終点までの料金を支払う。
シュバルツには“北の森“としか言われていないので、具体的な場所は分かっていないが、取り敢えずケイヴンまで行ってみるつもりだ。
もし行き過ぎるなら、途中でシュバルツが教えてくれるだろうと防壁を見上げれば、シュバルツは防壁の上に留まってこちらを見ていた。
ルースはシュバルツを感知していた為、すぐ近くにいる事は既に分かっていたし、今しがたルースが考えていた事もシュバルツに伝わっているだろう。
その上で反論が出なかった為、馬車でケイヴンまで行く事に決めたという経緯もあり、ルース達は間もなく出発するというこの馬車に乗り込んでその時を待った。
乗り込んだ時はまだ日が昇る前で薄闇の残る時間を車内で過ごしていたが、空が明るくなり始めれば馬車はゆっくりと動き出していく。
カラカラと音をたてる車輪と馬が歩くリズミカルな蹄の音を聞きながら、ゆっくりとルース達は南門から遠ざかって行った。
そしてルースとフェルの隣に座ったソフィーは、馬車の後方から見えるその町の景色を目に焼き付けるかの様に、いつまでもいつまでも眺めていたのだった。