【79】笑い話
メレトニーの急な行動に驚いたルースとフェルは、キョトンとただそれを見つめていれば、そこへ聞き覚えのある静かな声が聞こえた。
「ニクス、どうした」
大きくはない声なのに、その一言で辺りの騒めきが一気に小さくなった。
その現象を不審に思ったルースが顔を向けて声の主を見れば、それは以前見た事のあるギルマスと呼ばれていた人物だと分かった。
「いえ、これを…」
メレトニーが隣に立ったギルドマスターに、スライムに被せた布を少し持ち上げてその中身を見せた。
「ほう…」
と、それだけ声を出したギルドマスターは、その視線を上げてルースとフェルへ固定させた。
その視線を受けたルースとフェルは固まった。
なぜかは分からないが、それは一つでも粗相をしてはならないような、そんな気持ちにさせられる視線だった。もしかすると、以前見た光景で畏怖の念を抱いている為か、何をされるか分からない様なそんな緊張感漂う時間となった。
それに耐えていれば、ギルドマスターの視線はメレトニーへ戻り、そして一つ頷いてから布ごとスライムを持つと、ルース達について来いと言って奥の扉へ向かい歩き出して行った。
メレトニーからは大丈夫ですよと視線を送られ、仕方なくその人物の後を歩き出せば、ギルド内の冒険者達から、可哀そうな者を見るような視線を向けられる。
「何だコレ…」
「わかりません…」
ルースとフェルは小声で話しながら、訳も分からずこうしてギルドマスターの後について行く事になってしまったのだった。
目の前を歩く人物は、扉を出た先にある廊下の突き当りの扉を開け、入る様に2人へ首を傾けて促す。
ルースとフェルは黙って扉の中へと足を踏み入れれば、そこは整然とした空間に机や本棚そしてソファーが置かれ、その設えは簡素に見えるものの、一つ一つはしっかりとした造りであることが分かる。見慣れない空間に入った2人は、どうして良いか分からないまま入口で立ち止まっていた。
「扉を閉めて、そこのソファーに座ってくれ」
ギルドマスターの声に促されるまま扉を閉めて、言われたソファーの横に立った。
はっきり言えば、ルースとフェルはソファーという物に座った事がない。今まで座った椅子は木製の物ばかりで、この様に皮を張った大きな椅子には触ったこともなかったのだった。
「何だ?何も仕掛けはないから、座ってくれ」
2人が警戒しているとでも思ったのか、ギルドマスターからいつまでも立っている2人へ再度声が掛けられた。
観念したルースは、恐る恐るという風にソファーの前に進んで腰を下ろす。それを見たフェルも、ルースを真似るようにして隣に座った。
(やばい…何だこの椅子は…)
2人が思ったのは、そんな言葉だった。
今まで座ったどの椅子よりも柔らかく、まるで自分を包み込んでくれるような優しい座り心地であったのだ。
ルースはそれに感心しつつも何とか顔に出さぬように努めていれば、「このまま眠れそうだ」というフェルの小声で、2人がしり込みしていた理由がギルドマスターにはバレた様だった。
「座り心地が良いだろう?この部屋で唯一、俺がこだわったところでな。時々ギルドに泊まる事もあるから、寝る時にも丁度良いんだ」
先程までの印象より柔らかく話す人物に、ルースは視線を合わせた。
「俺はスティーブリーの冒険者ギルド、ギルドマスター“ヒューリー・ガルモント“だ。君たちは?」
そう言って自己紹介をしたガルモントに片眉を上げられ、ルースは口を開いた。
「私達はD級パーティの月光の雫、私がルース・モリソン、彼はフェルゼン・マーローです」
ルースがそう話して口を閉じれば、ギルドマスターは頷いた。
「いきなり執務室に連れてこられて驚いたろうが、これは仕方がなかったと諦めてくれ」
そう前置きしたギルドマスターが、先ほど布にくるんで持ってきたスライムをテーブルの上に置いた。
「これは今日、君たちが獲ってきた物…で良いな?」
「はい…」
何かまずい事をしただろうかと、ルースとフェルは緊張する。
「どこで捕まえたか、聞いても良いか?」
ギルドマスターの真意は分からないまでも、別に隠す事でもない為、南の森の中を2時間ほどあるいた場所だと説明した。
「そうか…そんな近くに…な」
そう言って黙り込んだギルドマスターを、2人は見つめたまま次の言葉を待つ。
程なくして視線を2人へ戻したギルドマスターが、その口を開いた。
「この先このスライムが納品され、君たちが獲ったと周知されれば、どこで捕まえたのかを聞かれるかもしれないが、それは言わないでおいて欲しい」
「何か、拙い事でもあるのですか?」
ルースの問いかけにギルドマスターが一つ頷くと、思いもよらない言葉を続けた。
「このスライムは“レア“だ。年に一回、見れれば良い方でな。買取りは金貨になる」
――!?――
ギルドマスターが告げた金額に、ルースもフェルも声を出せなくなった。
以前、受付で聞いたスライムの金額の、どれにも一致しない額だったからだ。
「おや?何だ、知らないで捕まえたのか?まぁそうだよな…知ったところでホイホイと捕まえられるものでもないからな」
とギルドマスターは一人納得しているようだったが、ルース達はまだ混乱しているままである。
「このスライムは、緑・青・黄・赤・白の様に良く知られた物でなく、“虹“と呼ばれているレアスライムだ。生きている時は透明で、余ほど注意深く見ていなければ気付く事は難しい。ましてやスライム自体が気配を殆どさせない魔物だ。その両方に気が付いて、初めてコレを認識する事ができる。だから、どこに生息するにしても、極めて聡い者にしか見つける事ができない為、スライムの中では幻と呼ばれている。そんな魔物が近くにいる事が知れ渡れば、冒険者が総出でその場所を目指すだろう。しかし実際に見つける事は適わず、そしてただ森を荒らすだけでは事足りず、嘘を教えたのだと君達にまで矛先が向く事になるだろう」
ギルドマスターの説明に、ルースはそういう事かと理解した。
そもそもシュバルツがこの存在を知らせてくれなければ、ルース達も全く気付く事はできなかっただろうし、居場所もある程度方向が限定されていたからこそ、その音の発生源を見つけられたのだ。それを自力で探そうとしても、そうそう感知できるものでもないはずで、これはシュバルツのお陰だなと、心の中でシュバルツへ礼を言ったルースであった。
「それが、これだな」
ギルドマスターがスライムを指させば、なるほど。“虹“とは言いえて妙だとルースは思う。
先程まではただ透明だと思っていた物は、良く見ればシャボン玉の表面の様に淡く多色の色を纏わせていた。
ルースとフェルが繁々とそれを見ていれば、「それで」とギルドマスターの補足が続く。
「これは薬として用いられる。このスライムは光に属する魔物ともいわれ、これで作った薬を飲めば体の不調が治るといわれる万能薬になる。疲労回復、魔力回復、内臓機能向上、まぁ諸々だな。魔物に“光“という文字を当てはめてはおかしいとは思うが、これは人間が付けた言い方であるから、そこは突っ込んではいけないらしい」
クククッと、自分で言った話にギルドマスターは笑う。
魔物だが、光魔法を使う魔女に治療してもらった時の様に回復するので、その呼び名がついているという説明が続く。実際に、このスライムの薬を調合するのは魔女であるのだろうし、まぁ多分その辺りから来た呼び名だろうとルースは思った。
フェルからも疑問が出なかった為、先程ルースがした魔法の説明を理解していて、この意味は分かったと思われる。しかしフェルが渋面を作っているところをみると、自分が口にした時の事を既に想像しているのだろうと、心の中で笑ったルースだった。
「そんな事で、このスライムを安易に人目にさらす訳にもいかなくてな。それで、こっちに来てもらった。ニクスが布を被せて隠した理由も、これで分かっただろう?」
「「はい」」
ルースとフェルは、ギルドマスターの執務室まで呼び出された理由が聞けて、ホッとした部分はある。しかしまだこのギルドマスターを前にして、緊張している部分は解れない。それだけこの人物は、存在感を放つ者であった。そんな2人の心情をしらずしてか、再びギルドマスターが口を開く。
「これを売りに出せば、買取り先はすぐに見付かるだろう。俺も久しぶりに見た位だから、喉から手が出るやつがゴロゴロいるはずだ。その後これが出回れば、誰が捕まえたんだという話にもなって、先程話したように、君たちに話を聞く者が出てくるかもしれんな…」
「その話は、すぐに広まりますか?」
「ん?…多分、一週間ほどは掛かるだろうが…」
ギルドマスターの答えに、ルースは淡く笑みを浮かべる。
「それでは、問題ありません。私達はそれ程まで、この町に居ないつもりなので」
ルースがそう切り出せば、フェルも隣で頷いた。
「そうか…では大丈夫だな。どこで捕まえたのか聞きだそうとする奴は、碌な奴がいないからな。そいつらと関わり合いにならずに済むなら、それに越したことはない」
そう話して、ギルドマスターは落ち着いたらしい。
「で、これは本当に、ギルドの買取りで良いか?」
「はい。よろしくお願いします」
「正直助かる。では内々で処理しておくから、後で入金確認をしておいてくれ」
「「はい」」
ルース達の返事に満足気に頷いたギルドマスターは、これで終わりだと言って戻るように2人を促した。
こうしてルースとフェルが、レアだとか金貨だとか色々な情報を詰め込まれ混乱したまま受付に戻れば、冷静ではない2人を見た冒険者達から、ギルマスに怒られたのだろうと同情の籠った視線を送られたのだった。
「お帰りなさい」
苦笑を含んだ笑みで、メレトニーが2人を迎える。しかしルース達のその様子から、まだ混乱している事を察する。
「大丈夫ですか?」
と小声で聞かれるも「はい…」というのが精いっぱいな2人に、メレトニーは微笑みを向けた。
先程ギルドカードも預けたままであった為、その辺りの処理も終わらせて受付を離れようとすれば、「ちょっとお待ちください」とメレトニーに呼び止められ、2人は足を戻した。
「まだ何かありましたでしょうか…」
恐る恐るルースが問いかければ、メレトニーが柔らかな笑顔を向け、ゆっくりと2人へ理解させるかのように話し始めた。
「お二人は先程の件を含めて、昇級する事になりました。次回からはC級クエストを受けられますよ。おめでとうございます」
「はぁ?!」
「えぇ?!」
今日は色々な事がありまだ混乱している最中、更に思いもよらず昇級という言葉を聞き、嬉しいよりも訳が分からなくなってしまったルースとフェルだった。
その為それ以降の記憶が曖昧になってしまった事は、後の笑い話となるのである。
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