【68】裏の事情
「大気の涙ここに集わん。きたれ“水球”」
「……くっ」
「大気の涙ここに集わん。きたれ“水球”」
「はぁ~…もう一回」
「大気の涙ここに集わん。きたれ“水球”」
ルース達が覗いている間、その向こうではひたすら水球を出し続けていた。
出てきた物は、効果があったとも呼べぬ小さなものばかりではあるものの、それを出し続けている人物を見て、ルースは魔力量のある者だと感心する。
ルースがシンディの元で魔法の練習をしていた当初は、初級魔法であってもすぐに魔力枯渇になる始末だったが、それを繰り返し熟してきた事で少しずつ魔力量を増やし、努力と倍速の恩恵もあり今に至っているのだ。
「魔力量はあるようですが、なぜでしょう」
フェルはそう呟いたルースに視線を送るも、何も言わずに再び彼女を見つめた。ルースの言葉はルース自身へ向けたものだと気付いたからだ。
「詠唱が間違っている訳でもないのに、魔法の威力が上がらないというのは、私には経験がないので理解できません」
ルースは視線の先の行いが、なぜ結果をだせないのかと首をひねった。
「分かんないもんは分かんないな。じゃぁ何時までもここにいてもしょうがないから、そろそろ帰るか」
珍しくフェルから提案がでてルースがフェルに頷けば、2人は帰りに道に出る為、西へと踵を返して足を踏み出した。
―パキッ―
その踏み出したフェルの足が、小枝を踏んだらしく音を立ててしまう。
「誰!」
その音に気付いた声の主が、向けていた背を回転させてこちらを見た。
銀の髪をふわりと広げて振り返ったその面差しには、パッチリと大きく開いた紫色の瞳がのぞき、ルースとフェルを見つけて動きを止めた。
ルースとフェルは“見つかってしまったな“と、その人物から見える位置へと進み出る。
「悪い。人がいるなと思って、少し見ていただけだ」
「すみません、お邪魔するつもりはなかったのですが…」
フェルとルースがそれぞれに言葉を伝えれば、その人物はまだ警戒している様だが「ふ~」っと息を吐きだした。ルースとフェルが怪しい者ではないと分かったのだろう。少し警戒を解いて表情を和らげた。
「そうでしたか。ここは誰の森でもないのだから、人が来るのは仕方がないです。でも、恥ずかしいものを見せてしまいましたね」
眉尻を下げてそう言うと、彼女は少しの笑みを浮かべた。
「いえ、私達はもう行きますので…お邪魔して申し訳ありませんでした。フェル、行きましょう」
「おう」
そう伝えた2人が西へ歩き出そうとすれば、「ちょっと待ってください」と声が掛かった。
「お二人は、スティーブリーに向かわれるのでしょう?だったら森の中を通る方が早いんですよ。私ももう帰るので、ご案内します」
そういうが否や、手荷物をまとめ始めてしまった彼女に今更何も言えず、2人は顔を見合わせて苦笑した。
程なくすれば帰る準備が整ったのか、「こっちです」とその少女は森の中を歩き出す。
2人は黙ってそれについて行くと、フェルが口を開いた。
「俺はフェルって言うんだ。こっちは相棒のルース。俺達は冒険者をしてる」
町に着くまで黙っているのも…という事で、フェルが自己紹介を始めた。
「へぇ、お二人は冒険者なんですね。だから体格が良いのかしら…」
ルースはパッと見は然程でもないが、フェルは見るからに逞しい体つきになっている。それを見た彼女の感想だろうと、ルースは口を挟まず聞いていた。
「俺達はクエストの帰りで、これから街に戻って納品だ」
「納品?何か獲ってきたんですか?」
「おう。今日は蜘蛛の魔物だった。こんな大きい奴だった」
フェルは、両腕を大きく左右に広げその大きさを伝えているが、そんなに大きかったかな?とルースは苦笑を漏らしていた。
そんな他愛もない話をしながら、彼女のお勧めコースを歩いて町へ向かっていた。
「それで君は、魔法の練習をしていたんだろう?」
と、話の流れでフェルが聞いた。
その呼び方で気が付いたのか、彼女は「ごめんなさい」とフェルを見上げる。
「私、名前も言ってなかったですね。私は“ソフィア“っていいます」
前を歩く2人の後ろで、ルースは立ち止まった。そして軽く5秒程経ってから、ルースは再び足を動かして2人へと追いついた。
少し遅れたルースへ、フェルが振り返り声を掛ける。
「どうしたルース。ん?ちょっと顔色が悪いか?」
「いえ、何でもありませんよ。大丈夫です。それでソフィアさんは、どうして森で魔法の練習を?昼間も公園で、練習されているのではないのですか?」
ルースが町の北側で見た事をサラリと口にすれば、ソフィアは一瞬驚いた様に目を見開いた。
「そっちも…見られていたんですね」
「この前、図書館へ行く時に前を通ったんだ」
とフェルがそう説明すれば、ソフィアは困ったような顔をしてフェルを見上げた。
「お恥ずかしいところをお見せしました…」
彼女がそう言いうという事は、いつもあんな感じなのだろうなとため息が漏れる。
「なんか、大変そうだったな…」
そう続けたフェルも、眉を下げた。
「私は週に3回、あそこの公園で魔法の練習に参加しています。一緒にいた先生が、魔法教室を開いてくれていて、私の様に魔法を学びたいものに、勉強の機会を作ってくれているんです。今は全部で6人が、その教室の生徒として学んでいます」
ポツリポツリと、ルース達がみた事の説明を始めたソフィア。
「私は、御覧の通り魔法が上手く使えないんです。一緒に教室に通い始めた人たちは、とっくに上手くなっているのに…なぜか私だけ上手くいかなくて、それで夕方、この森に来て練習をしているんです」
「魔力はありますよね?」
そこでルースが言葉を挟んだ。
「はい。私は魔力量が多くて、それで魔法使いになれるかなって勉強を始めたんです。魔力量は人よりずっと多いのに、なぜか魔法が上手く放てないんです」
しょんぼりした肩が、彼女の悔しさを物語っている様だった。
「先程少し見ていましたが、詠唱が間違っている訳でもありませんでした…」
「詠唱は絶対に間違えない様に、ちゃんと覚えたんです。それなのに…」
フェルもルースもかける言葉もなく、そんな彼女の背中をルースは見つめていた。
「ソフィアの職業は、何が出たんだ?」
言葉を探していたフェルが、自分達と近しい年齢とふんで、ソフィアへそう尋ねた。
その問いに一度身を震わせたソフィアは、下げていた視線を上げて泣きそうな顔をフェルに向けた。
「私は今年で15歳になったんです。でも……職業が出なかったんです……」
そう言葉を続けたソフィアの目元から、一筋の涙が零れ落ちた。
15歳になれば、殆どの人に職業が出現するというのは常識的な感覚であり、みんな知っている事だ。今までルースとフェルは、15歳になって職業が出なかったという人を見た事がなかった為、「殆ど」という部分は「全て」と解釈していた節もあった。
だが、こうして実際に職業が出なかったという者を前にして、掛ける言葉を持っていない事に気付かされる。
しかしそんな2人には気付かぬように、ソフィアは話を続けた。
「私は小さい頃から魔力があったから、魔法使いになれるのかと思ってたんです。でも15歳になっても、私は魔力しかない人間で、そしてその魔力でさえ上手く使うことができない…。どうしたら良いんだろうって、時々何もかも捨ててしまいたくなるんです。でも、私にもまだ何かできる事があるんじゃないかって、こうして魔法の練習を続けてるんです」
15歳だという少女には、この現状はとても重たい試練であるようだった。
こうして自分の力で立つために、毎日のように魔法の練習をしていても、公園での様に口さがない者に叱責され、それに言い返す事もできずずっと耐えているのだと、ルースは震える小さな肩を見ながら、何て世界は残酷なのかと心の中で憤っていた。
あがいて、あがいて、それでも結果には繋がらず、自分の存在価値さえ見失いそうになっている少女を、ルースとフェルは言葉もなく、ただ見つめる事しかできなかった。
こうして森の中を抜け出てくれば、目の前にはもう高い防壁がそびえ立っていた。
「こっち側に小さな門があるんです。町の人達が少し外に出たい時に使っているので、南門の様に並ばずに入れるんですよ」
自分が話したことで重たくなった空気を払拭するように、表情を変えて最初に会った時の様な明るい顔に戻ったソフィアが、その門に向かいながらそう説明する。
「へぇ…他の町にもこんな門があるのかな?なぁルース」
「私は知らなかったので、何とも…。こんな所があるのなら、クエストの時には便利でしたね」
ルースとフェルが今まで通った町も、ここよりは小さいが人の出入りが多く、クエストで戻ってきた時など門の前で並ぶ事もあった。そこにこんな門があったのなら、もっと楽だったのにと、ルースとフェルは過ぎてしまった事に苦笑するしかない。
コンッコンッ
そうして3人は、家の扉よりは少し大きいという位の門の前で立ち止まり、ソフィアがそれをノックすれば、中からガチャリと音がして扉が開いた。
ソフィアがカードを提示しつつ声を掛ければ、門番はニッコリと笑みを浮かべた。
「戻りました」
「あぁソフィアか、お帰り」