【50】侮れば侮られる
冒険者ギルドで図書館の情報を入手してから、2人はこの日もクエストを受けた。
今日のクエストはスライムの素材回収というもので、素材を持ち帰ってきた上で、状態を見てその素材の買取り価格も上乗せしてもらえるクエストだ。その為、クエスト自体の報酬は低いが、素材を多く持ち帰ればそれだけ買取り額とポイントが増えるというものだった。要は、出来高制というものだ。
スライムとは魔物の中では低級に当たるが、なかなか見つけ辛く倒し辛いと聞いた。
スライムの体は、魔物というより動く物体…水球の様につかみどころがないらしく、ゼリーの様に柔らかく、なぜこれで動けるのかと不思議に思う程、手も足もなく這って移動する魔物だという。
出没する場所は多岐にわたり、さすがに町中で見る事は稀だが、平原、森、水辺など、どこにでもいるがどこにもいない…隠れるのがとても上手く、見つけ辛いと言われている魔物である。
ルースとフェルはスライムの討伐が初めてで、ギルドの受付で見つけ易い場所を聞いてきたのだが、見付けたとしても他の魔物の様に襲い掛かってくることもなく、人が近付けば逃げて行ってしまうらしい。
「スライムって見た事あるか?」
「いいえ、村にも出ませんでしたし、見た事はないですね」
「俺もだ。ゼリーみたいらしいけど、何の材料にするんだろうな?」
まだ見ぬ魔物の話をしながら、2人は良く見かけるという、町から1時間ほど離れた場所にある木々の中を歩いている。
この森の中にその魔物が出るとの事だが、魔物を想像できない為、どこを探して良いのか分からず何となくウロウロと歩いていた。
「ああ、あれは薬草ですね」
歩きながら周りを見ていたルースが、今回のクエストには関係のない薬草を見つけたらしい。
2人はこうしてクエストなどで出かければ、その時のクエストに関係なくとも買取り可能な物を常に集めるようにしている。
「おう。じゃあ採ってくか」
フェルの許可をもらい、ルースがスタスタと発見した薬草へと歩いていく。
別に目的の場所を決めていた訳でもないので、方向が変わっても問題ない2人である。
「これは、傷薬にする“オトギリソウ“ですね」
一般的な薬草ではあるが、消費の多い傷薬用の薬草は、安価だが常時買い取ってくれる。
「お?これは“ハラン“だな」
フェルが少し離れた所に、肉などを包むときに使うハランという葉を見つけた様だ。これは、解体した魔物の肉を包むために使うので、いくらあっても問題ない物だ。
スライムを見付に来た2人だが、気付けば薬草を摘み始めていた。
ただこれは、仕方がない。目当てのスライムが、全く見付からないのだから…。
そのまま、暫く2人が地面にしゃがみこんで薬草を積んでいると、何かの気配がする事に気付いたルースは、フェルへ顔を向け、視線で合図を送る。
険しい顔のルースを見たフェルは、これはルースが警戒している時の表情だと知っている。それを確認したフェルは、しゃがんだままいつでも動けるように、剣に手を添え不測の事態に備えた。
カサカサ……カサッ…
静かな森の中に、下草がこすれる音が聞こえる。
小さな音はゆっくりと移動している様で、荒ぶる様子もなく、危険な魔物ではなさそうだなと思ったルースだった。
2人は小さな音に集中する。
これは小さな動物かも知れないし、大きな虫の可能性もある。だが、魔物の可能性もある以上、気を抜く事はできない。
そして音は、2人の近くに来て止まった。
ルースとフェルは音の発生源を確認する為、視線を音が聞こえた方向へと向けてその周辺を見回した。
するとルースから2m位離れた低木の根元、フェルからでは低木で見えない角度に、20cm余りの大きさの半透明な緑色の物体がいた。
始めてみた生き物に、ルースは目を瞬かせる。どうやらこれは、話で聞いたスライムの様である。
フェルが眉を上げてルースを見れば、ルースはそれに頷いて返す。
「スライムがいたのか?」
「はい」
そんな意味のこもったやり取りだったのだが、さてこれは、どうやって仕留めようか…。
冒険者ギルドで聞いてきた話では、スライムは体の中心に種の様な物があって、それ以外は柔らかく、剣を刺してもすぐに塞がってしまい、ダメージは与えられないらしい。倒す場合は、その種の様なものを攻撃して破壊する必要がある、という事だった。
だが今は見た限り、この生き物はゆっくり歩いてきたものの、戦闘時にはどういった行動をとるのか分からず、2mという距離まで近付かれてしまったために、初手で種を壊し損ねれば、倒す事が難しくなるかもしれない。
そこまで考えたルースは、フェルに「そこにいてください」と静かに身振りで伝える。そして通じたであろうフェルが、一つ頷いた。
今日はクエストであり、これを必ず一つは持って帰らねばならない。
もしかすると、この1体しか見付ける事ができないかもしれないのに、ここで逃げられてはクエストが振り出しに戻るのだ。
ルースはその場に座ったまま、動かないスライムにゆっくりと手を伸ばすと、そっと小さな声を出した。
「“氷結“」
ルースは目の前にいる物体を、氷で包み込むように想像する。
― ピキピキッ… ―
すると丸いスライムが、外側から一瞬で凍った物体になる。スライムは動き出すこともできないまま、その体を冷たい氷へと変化させた。
この魔物の体が何で出来ているのかわからないが、少なくとも体には多少の水分を含んでいる様に見えた為、ルースはその水分を凍らせる想像をしながら、魔法を放ったのである。
幸い目標物は初めから動きを止めていた為、思いのほか簡単に凍り付いた。ルースの合図で立ち上がり傍まで歩いてきたフェルが、その凍って動かなくなった物を見つめる。
「凍らせた…のか?」
「はい。今日は最低でも1匹は持って帰りたいので、逃げられない様に凍らせました」
「なるほど…でもこれは、買取りする時に死んでなくても良いのかな…」
「クエストは素材との事でしたので、どうでしょう…体の部分があれば良いのかと思ったのですが…」
「まぁ取り敢えずは、このままでいいか。このまま入れておくんだろう?」
「ええ。まだ生きてはいますが仮死状態なので、たぶん入るかと思います」
立ち上がったルースは、凍ったスライムを手に取ると、腰に下げている袋へと収納する。
「入りました」
「入ったな」
マジックバッグとは、入れてはいけない物入れられない物は、元々入れる事ができないのだと教わった。その為2人は収納できた事で納得し、次の行動として移動する為に動き出す。
そして次にスライムを見つけた場合は、剣を使って倒してみようという話になった。ただ、やはりどこにいるのかを見つける事ができない魔物で、とにかく気配が薄く、こちらが静かにしていないと気付かないという難点がある。
「見付けるのが大変だな…」
他の魔物は気配がしたり、殺気を飛ばしたりと何かしら気付く要素はあるが、スライムにはそれがない。D級クエストの魔物と思って侮っていた訳ではないが、思いのほかスライムは大変な魔物であると知ったルースとフェルであった。
その為2人は、薬草を見つけると立ち止まる、という行動を繰り返していく。ただ見えないスライムを探すだけでは、2人は無意味に疲れるだけだ。どうせなら少しでも、金を稼いでおきたいところである。
そして5か所目で立ち止まり薬草を摘んでいた時、また薄い気配がある事に気付いた。今度はフェルの近くに現れたようで、フェルからルースへ視線が送られてきた。フェルの視線を受けたルースは頷いて、先ほど話し合った方法をとる事にした。
フェルはゆっくりと立ち上がり、見つけた薄い気配のするスライムに向かって歩き出す。距離は3m、なるべくゆっくりと足音を立てずに歩いていくが、そこは相手も魔物であり、フェルの動きに気付き丸い体を縦に“にゅっ“と伸ばした。
気付かれたフェルが走り出し剣を振り上げれば、フェルが辿り着く前に、スライムは伸ばした体をまた沈み込ませて、球が弾むように1mほど横へとんだ…跳んだのだ。
「は?」
向かっていたフェルが、声を出して立ち止まる。
それは、スライムがこんな行動をとるとは思っていなかった為、思わず出てしまった声だった。
「フェル!逃げられますよ!」
見ていたルースは、弾むように移動するスライムを目で追いながら、フェルを叱咤する。
「おう!」
ルースの声で我に返ったかの様に、フェルは飛び移るスライムを追って駆け出していく。
弾む距離は1mずつ。連続して移動していくのは、どう見ても球が弾んでいる様にしか見えないが、置き換えて考えれば、弾む球に剣を刺すのは難しいという事だった。
「やべー!剣が当たんねー!」
簡単な魔物と侮るなかれ。そう言われているかの如く、フェルはスライムに翻弄されている。
それを見ていたルースもフェル一人では無理だと察し、自分も合流する。
しかし、ルースがスライムの移動する方向に先回りして立ちふさがれば、スライムはまるで地面に石でもあったかと思う程、急に角度を変えてルースを避けるように斜めに跳んだ。
スライムには、前後という物がないらしい。どこでも前になり、どこでもが後ろになる構造という事だ。その為軌道が読めず、あちらこちらへと逃げ回るスライムを、見失わないよう追いかけるのが精いっぱい、という具合だった。
2人であっても、跳ね回るスライムに剣を当てる事ができず、ルースは諦めてフェルに伝える。
「駄目ですね…動きを止めます」
「おう…頼むっ」
フェルも走り回って息が切れ始めており、ルースの言葉に飛びついた。
「“氷結“」
動きを止めるのなら凍らせるのが一番だと、ルースは再度スライムを凍り付かせると、そこで大きく息を吐いたのだった。