【346】理の調和
闇の魔の者とルースを見守っていた仲間たちは、遠くからその動きを見逃さないように凝望していた。
「合図がないと…封印する事ができないわ…」
ソフィーが心配そうにしながらも、いつもで魔法を発動できるように待機している。
これまでの封印されしものの情報であれば、勇者が動きを止めている間、聖女がその勇者を巻き込んで封印をしてきたという事になっていた。その為、ソフィーはその時の事を思い悩み、心を痛めていたのだ。
だがその時自分がやらねば封印されしものが野に放たれる事になってしまうと、板挟みだった心は、ここまでのソフィーの笑顔の中に隠されていたのである。
そしてその時がきてしまったのかとソフィーは眉尻を下げ、悲し気にルースの動向を見つめているのだった。
しかし暫くの間動かぬままの2人であったが、ルースが動いたかと思えば黒い影が次第に淡くなり、それは透き通った温かな色に変化していった。
「色が変わった…?」
「どうなってんだ?」
「……」
デュオやフェルが動揺したようにおろおろする中、キースは眉根を寄せ、まるで記憶に留めるかのように見つめ続けていた。
『……嗚呼、カルディア…ルミエール…』
その皆から少し離れ、時間の精霊はかつての姿を取り戻していく仲間に、その彼の名を呟いていた。
その声は辛うじて傍にいたソフィーの耳に届き、ソフィーは声の主を振り返った。
「…ルミエール?」
ソフィーの問いかけに応える形で、時間の精霊は頷き返した。
「彼らの運命はようやく交わった。闇の魔の者となってしまった彼の名はカルディア、そして今はルースとなっている彼の記憶には、ルミエールの想いが重なっている」
「え?ではルースには、最初の勇者の記憶もあると?」
『そうだ。我は彼にルミエールの記憶を見せた。その中で彼はルミエールの想いを繋ぐために、今ここに在る事を知った。彼はルミエールであり又異なるものとして、我らの仲間を救う為、この時間に生まれ変わっていたのだ』
キースの問いに答える時間の精霊は、淀みなく言う。
その話をしている間にも、ルースと闇の魔の者は何かを話しているのか、互いに視線を交わしているのだと判った。
「それじゃあの精霊だったものは、本当の意味で救われるの?」
デュオは物語の最後、彼とルミエールが封印されてしまった事にずっと心を痛めていたのだ。
所詮お伽噺ではないかと言われればそれまでだが、しかしそうなると今度は友であるルースまでが封印される事になってしまうのだと、デュオも心の中ではルースの未来を心配していた一人だった。
『そうだ…』
皆は話しながらもその視線はルース達を見つめている。
そして闇の魔の者であったものが空気に溶けるようにして消えていくのを見て、それぞれが息を飲んだように喉を鳴らした。
― ドサリッ ―
闇の魔の者が消えた後に続くその音に、皆は一斉に駆け出して行く。
「「「「ルース!」」」」
そしてルースの下まで駆け寄る仲間たちは、倒れているルースが剣をしっかりと握り込んだまま瞼を閉じている姿を目にする。そしてそのは髪は輝きを失い、以前の金茶色に戻ってもいたのだった。
「ルース!」
ソフィーが真っ先に膝をつき、ルースの体に手を添えて光に包まれる。
『大丈夫。彼はカルディアを受け入れた衝撃で深く眠っているだけだ。暫くすれば目を覚ますだろう』
いつの間にか近くに立っていた時間の精霊が、そう呟いて笑ったように目を細めた。しかしその姿は、大気に溶けるように徐々に輪郭を失っていた。
「あ…」
精霊の姿が消えていく事に気付いたデュオが、それを引き留めるように手を伸ばすも、時間の精霊は首を振ってそれを止める。
『我の時間はここまでだ。それはルースも既に知っている事ゆえ、我が消えても何も問題はないのだ。ありがとう、心優しき者達よ。ルースがここまで来られたのは、其方達が居てくれたお陰でもある…皆に心よりの感謝と祝福を……』
自分が消えるにも関わらず穏やかにそう言った精霊はその役目を終え、静かに風の中へと溶けていったのだった。
『全てが終わったな…』
『ああ。これで全てのものが、正しい道を進み始めたと言えるな』
聖獣達は顔を見合わせ、幸せそうな表情を浮かべていた。
聖獣達には精霊が再びこの世に生まれる事を知っている為、動揺すら見せずに笑っている。だがソフィー達はそれを知らぬために、泣き出しそうに顔を歪めた。
『ソフィアよ、悲しむことはない。精霊は我らとは違い、理の中に再び現れるもの。我らは己が無二としてあるが、精霊はまた同じ役割のものが時を置かずして生まれてくるのじゃ』
「では時間の精霊は、また生まれてくると?」
キースが、ネージュの説明に問いかけた。
『そうだよ。同じ役割、同じ姿をした精霊がまた生まれるんだ。けれどそれは記憶を引き継いではいないから、君達の事は忘れてはいるだろうけどね』
アルデーアはそう言って、説明は済んだとばかりに首を傾けた。
『それではキース、ここからはおぬしの出番じゃ』
「ネージュ…終わったのではないのか?」
キースはネージュの言葉に疑問を呈す。
『終わった。しかしまだ賢者には務めがある』
シュバルツもキースを見つめ、ネージュの言葉に補足した。
「賢者…」
わざわざ“賢者”というからには、キースにしか出来ない事がまだあるのだろう。キースはわかったと頷いて、その先を待つ。
『我らが再びここに結界を張る。それを其方の魔法とスキルを用い開放して欲しいのじゃ。さすればここは浄化され、再び生命が育まれる地となろう』
それは大事な事だとネージュは言う。
「わかった」
キースは一も二もなくそう答え、ソフィーと共に聖獣達と草原の中心まで進んで行った。
フェルとデュオは倒れたままのルースの傍に立ち、その様子を食い入るように見守っていた。
『それでは参ろうかのぅ』
ネージュの言に、聖獣達から聖魔力が溢れ出していく。そして聖獣はソフィーを取り囲むとその体に触れ、ソフィーを通して大きな結界を発動させていった。
一層爽やかな空気となった魔巣山の一角に、巨大な光のドームが出来上がって行く。
『キース、出番だ』
ブリュオンがキースに目配せすれば、キースは深く頷き、ロッドを掲げて天空を仰ぐ。
キースは何を言われずとも、スキル“乗算”と“調和”を意識してロッドの魔石に魔力を込めていった。
すると、まるで聖域を取り込んだかの如くロッドから虹色の輝きが溢れ、眩しい光が辺りを照らしていく。
『まだ、もっとだ』
シュバルツから、もっと魔力を込めろと指示が飛ぶ。
キースは自分の中にある魔力を際限なく引き出し、輝く魔石に送り込んで行った。
それからキースは凄まじい集中力を伴い魔力を引き出し続け、額から汗が一筋落ちる頃、ロッドの輝きは月の光を超え、まるで昼間の如く辺りを照らしていたのだった。
キースは満を持して、声を落とした。
「いくぞ……“海神の吐息“」
――― ドドォーンッ! ―――
キースを中心に渦を巻くようにして広がって行く風。その風は聖域の魔素を取り込み、理の調和を求めて広がっていく。そして虹色の光を纏いながら、魔巣山を覆いつくしていくまで続いたのだった。
その光は夜の闇に輝き、ウィルス王国の各地からも目撃されていた。
それを見た人々はその光に希望を見付けたが如く目を輝かせ、その出来事は瞬く間にウィルス王国内に広まっていったのである。