【337】祈り
「…ああ、あれか。俺達には必要ないから、構わないぞ」
フェルの返事を聞き、ルースは腰の巾着から一つの包みを取り出した。
そのやり取りに首を傾げて見ている村人達へ、ルースは手の中の物を差し出して言う。
「これはただの気休めにすぎませんが、差し上げます。中には魔物除けの煙玉、それと閃光弾に煙幕が入っていますので、魔物に対する時間稼ぎにはなるはずです」
「だけど、それは湿気に弱いらしいからな。もしマジックバッグがあれば、それに保管しておいてくれ」
フェルは薬屋で言われた事を思い出したらしく、ルースの言葉に補足してくれた。
「え?いいのか?」
「ええ、構いません。私達にはもう必要のない物ですから、必要な人が持つ事が望ましいのです」
ルース達の戦いを見ていたからか、素直に納得してくれたようにそれを手に取ってくれた。
「重ね重ね、ありがとう」
「すまねぇ」
「恩に着る」
こうしてキッゾという村で2時間程を過ごしたルース達は、村人3人に見送られ、更に傾斜の続く道を歩いて行く。
「ワイバーンのお肉と、モウのお肉までいただいちゃったわね。良かったのかしら…」
「いいって言ってたから、良いんじゃないのか?」
ネージュの背の上で村を見ながら呟いたソフィーに、フェルは何て事ないように言う。
「そうですね。お礼だと仰っていましたので、有難く頂戴しましょう」
「うわぁモウのお肉、久しぶりに思う存分食べられるね」
「だがデュオ、気を付けないとフェルに全部食べられるぞ?」
「キース、流石の俺でもモウ一頭分は無理だな」
『誰も“一度に”、とは言っていないだろう…』
最後にシュバルツの突っ込みが入り、穏やかな笑いに包まれるルース達なのであった。
当然、その日の夜はモウの肉を焼いた夕食となる。
フェルは勿論、皆も新鮮なモウの肉に舌鼓を打ち、こうしてミンガを発った日の夜は過ぎていった。
その前の昼は、村人達と一緒にルース達の軽食を食べたのだ。モウが襲われた事で村人達も何も食事の用意などはできておらず、そこでお腹を鳴らしたフェルに、ルース達がそれを提供した形となったのだ。
久しぶりの大人数で食べた食事に、大層村人達も喜んでいた。
「早く村が元に戻ると良いな」
そこで村人が呟いた祈りにも聴こえる言葉が、ルース達へと届いたのだった。
その後もルース達は整備されていない道を辿り、皆の思いを胸に魔巣山を目指していく。
だがその先の道は、最近余り人通りが無くなった為か段々と道が悪くなってくる。そんな些細な事を目にすれば、今が普通ではないのだと思い知らされるルース達だ。
人に踏まれる事もなくなってきた道は、足元の芽吹く新緑によって道幅も狭くなっている。そこを言葉もなく先を急ぐように進むルース達に、時折慰めるように風が髪を揺らしていくのだった。
その様な道を2週間も進んだ頃、北北西へと方角を変えている道で立ち止まったルースが、その道の北側に目を留めた。
その視線の先にはかつて人が住み、村と呼ばれていた場所があった。
今は人の気配もなくなったその村は、魔の者の襲撃により住民のいなくなったガジット村である。
先程この村の近くだと気付いたルースは、道端に咲く小さな白い花を一輪手折ってきていたのだった。ルースは前回もこのガジット村を訪れ、人のいなくなった村に花を手向けていた。
皆は花を摘むルースを不思議そうに見ていたが、ここにきてその意味が分かったらしく、皆からため息が落ちる。
「そうか…この村か」
キースが眉間にシワを寄せ、ここが廃墟になった村かと尋ねる。
「はい。この村は前回の時も初めに襲われていた為、誰も助ける事は出来なかったのです。そして今回もこの村が真っ先に襲われましたが、私は以前の記憶を失っており、それを防ぐことは出来ませんでした…」
後悔の滲むルースの肩に、フェルが手を添えた。
「それこそ防ぎようがないだろう。ルースのせいじゃない」
「そうよ。ルースが自分の責任にする事はないわ」
「うん。可哀そうではあるけど、どうしようもなかったんだよ」
「そういう事だ」
立ち止まったルースの背中を叩き通り過ぎていく皆は、その廃墟の村へと足を踏み入れていった。
発見された当時は雪が積もっていた事で、その事が明るみになったのも遅くなったと聞いたが、今はその雪もなくなり、剥き出しの土と手入れのされていない家々が、寂しそうに佇んでいるだけである。
ルースは手折って来た花を村の入口に置くと、皆の後に続いて村へと入って行った。
ここで動く物は風に揺れる草と森の木々だけで、どこからか開いたままの扉が立てる音も時折聴こえてくる。
ソフィーは村の中ほどまで来ると足を止め、静かに目を瞑った。
村人達がどういう形で発見されたのかはわからないが、目に視えぬ村人達に、ソフィーは祈りを捧げているのだ。
こうした事は、繰り返す歴史の中で今までにもあった事だと思う。
ただ実際にそれを目にすれば、想像とは違った感情も芽生えてくるのだ。
そんなソフィーを見守っているルース達も、静かに目を瞑り、犠牲になった者達に冥福が訪れるようにと祈るのだった。
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ルース達がガジット村を訪れる2週間ほど前、王都の城ではいつもの魔術師団の報告を受けた宰相が、国王の執務室を訪れていた。
「そうか…」
国王はそう呟き、窓の外を見る。
勇者が旅立ってから、早3か月が経過していた。
勇者たちが立ち寄る町の冒険者ギルドからは、おおよその現在地が知らされるとは言え、何も出来ぬ自分達はただ祈るしかないのだと、焦燥する思いに日々耐えている国王や宰相たちであった。
今国王へと報告した事は先程魔術師団から聞いた話しであり、それは古の珠が黒く染まったという内容だ。
「古の珠はその透明な部分を殆ど失い、沸き上がるように漂っていた黒い影が覆いつくしているとの事です。封印されしものの力が、解き放たれる時間は残り僅かであろうと…」
「今勇者たちは、確かミンガの町であったな」
「はい。魔導具通信からの報告ですので、ここ数日以内の事でありましょう」
「我らには、珠が染まった事しか分からぬ。それはもう、この地に現れている事を意味しているのか…それさえも自らの目で知る事は出来ぬのだな」
「はい。この部分は文献でも曖昧な表記であり、我らには残された時間は分かり兼ねます」
「確かに近日は、前にも増して封印されしものの影も現れていると言っていたな」
「はい。場所を選ばす出現しているとの事で、そちらは国防騎士団と冒険者達で対応に当たってくれていると報告を受けております。都度多少の怪我人は出るようですが、それでも大きな被害は防いでくれているようです」
「彼らが間に合えば良いが…」
「きっと間に合うはずです。そしてこの国が救われると、私は信じております」
宰相の言葉で、執務室の中には沈黙が下りる。
国王には、あの勇者が息子であるとは知らせていないのだ。それ故、国王が憂う事はこの国の行く末であろうと思われるが、宰相であるデイヴィッドは、その勇者がこの国の王子である事を知っている。
デイヴィッドは小さい頃のルシアスしか覚えてはいなかったが、大人になったルシアスは、その時の面影を十分に残し、心優しく思慮深い青年になっていたと思い返す。
その彼が今、この国の為に身を犠牲にする覚悟でそこへ向かっているという事実。
だがその事は公言しないと約束した身であるデイヴィッドは、ただただ心の中でその彼の無事を願い、祈りを込めて瞼を閉じたのであった。




