【333】進む為に
これからルースが向かう場所は、魔巣山だ。
前回ルシアスが対峙した場所も、物語の中でルミエールが向かって行った場所も、今魔巣山と呼ばれているところだった。
その魔巣山はウィルス王国の北西に見える位置にはあるが、名目上はウィルス王国の国内にある訳ではない。ウィルス王国には隣接しているものの、それは国が魔巣山を国土の一部と認めていない為で、そこは魔の土地として独立した存在となっていた。
言うなれば、“危険な土地は自国領として受け入れ兼ねる”、という意味であろうとルースは解釈する。
結局、国というものは人間の集合体であり、そんな人間の考える事は、自分達にとって“利益があるか”というものに絞られてくる。もし国土として認めたとて、そこから得る物は魔物のみであり、しかも数百年に一度災いが出現する地。そして災いは、決まってウィルス王国へと牙を向けてくるのである。
その魔巣山はウィルス王国の一部ではないにしても、そこはウィルス王国を囲む山の奥にある。前回ルシアスがそこを訪れた際は、魔巣山の麓で3日程立ち往生をしたのだった。
というのも、国境の山から魔巣山が繋がっているかと思いきや、その山の周りには異物を隔離しているかの如く深い亀裂があったのだ。大地が裂けた様な垂直に切り立った断崖の深さは底知れず、下を見ても黒い闇があるだけであった。
一度その深さを測ろうと小石を落としてみたところ、その石が下に到達する音はいつまで経っても聞こえず、皆で顔を青くした記憶がある。
その亀裂の幅は8m。目の前に目的地があるにも関わらず、その崖はその先に行く者を阻んでいるかの様に立ちはだかっている。
魔巣山へはその崖を超えて行かねばならず、3日を掛けて周辺を見回してもその崖が途切れている場所は確認が出来ず、最終的に亀裂は魔巣山をグルリと取り囲んでいるらしいと結論付けた。
そうとなればこれを越えねばならぬのだと、前回は調査した際に発見した、1本の丸太が渡されていた場所を足掛かりにして進んで行ったのである。
それは誰が掛けた物なのか、そして8mもある亀裂を渡す長さの丸太をどこから持ってきたのかという様々な疑問が残ったが、それが唯一この国とあちら側を繋ぐ道の様にあるだけで、その疑問は誰にも解く事はできなかった。
その丸太は幅60cm程で、既に長い年月が経っているのか苔が付着していた。その丸太の下には深い闇が口を開け、谷底から吹き上げてくる風は、そこを渡る者を邪魔するかのように体を揺さぶってくるのだ。これでは魔巣山に辿り着く前に死んでしまうよなと、本気の冗談を言ったものの、笑えるものは誰もいなかったのであった。
そしていざ進むとなれば、どうやって渡るのかという問題も出てくる。その丸太の足場は不安定で滑りやすく、バランスを保つ手すりもない。
その時は、フェルの周りの風をキースが風魔法で押さえつけている間に、一気にフェルが進んで行った。そして向こう側からロープを渡し、それを掴みながら時間をかけて渡ったと記憶している。その掛けたロープは帰りにも使う為、そのまま近くの木に固定して山に入って行った事も思い出していたルースである。
という事は、今回もそのルートを通る事になるのだろうと追想していれば、以前商人達と一緒に立ち寄ったミンガの町が見えてきた。
このミンガを過ぎて西へ向かった次の分岐で、ルース達は北上する道へと入って行く。
その為、このミンガの町はルース達が向かう道中では最後の“町”になるはずで、その先には村と呼ばれる集落しか存在していないはずだった。
その分岐から先は緩やかな上り坂が続き、道は荷馬車が通れる程の幅しかない轍が残る狭い道となっている。その為、この大型の馬車ではこれ以上進む事はできず、エポナとはここで暫しのお別れとなる。
ルース達はまずミンガの町の冒険者ギルドに顔を出す事にして、そこで馬車と馬を預かってもらうところを聞く予定とした。
「この馬車では、ここまでか」
「そうだね。やっと馬車を操れるようになったら、終わりになっちゃった感じだよ」
キースとデュオは御者席に座り、そんな話をしていた。
「そんじゃ、荷馬車でも借りていくか?」
フェルがまだ御者をしたいのかと2人へ聞けば、そういう意味じゃないよと2人が笑う。
「エポナとも折角仲良くなれたのに、少しの間お別れだねって事」
とデュオが言えば、エポナがブルルッと鼻を鳴らす。
それはまるでデュオの言葉に同意しているかの様にも聴こえ、再びルース達に笑顔が満ちる。
そうしてミンガの町に入ったところで、ルースは仲間たちに声を掛ける。
「この町で2〜3日程滞在しませんか?その間に食料や薬など必要な物も購入し、この先で困らないように準備しましょう」
「その先にはもう、村しかないって言ってたものね」
「はい。確か、そうだったと思います」
ルースは前回の記憶を頼りに、ソフィーに返事をする。
「ルースの、そういう情報があると便利だよな。何も知らないままだと、村に寄らなくちゃならなくなっただろうし」
「うん。助かるよね」
フェルに続き、デュオもそう言ってルースに笑みを向ける。
ルースが前回の事を伝えた後も、皆はプラスに考えてくれ、誰一人ルースを責める者はいなかった。そんな皆にルースは心が温まるような、切ない気持ちにさえなるのだった。
「それじゃこの町にいる間に、道具屋にも寄って行こうぜ」
フェルがニカッと笑い、ルースに視線を向けた。
道具屋と聞いてルースは何かあったかと考えるも、思い当たる事はブリュオンの印くらいだ。しかしブリュオンは小さくなっており滅多に人前に姿を見せる事はない為、今更印をつけるという話も出ていないはずのだ。
ルースにはそのことくらいしか思い当たらず、フェルに首を傾けて聞く。
「道具屋…何かありましたか?」
「それだよ、それ」
とフェルはルースの剣を指さして言う。
ルースは腰に視線を向けて剣を見下ろすも、特に足りない物はないはずだと首を捻った。
「ルースの剣の事?」
ソフィーが馬車から身を乗り出し、馬車の脇を歩くルースへと視線を向ける。
「そう、剣の穴だ。気になるから、何か嵌められる物を探そうぜ」
フェルはルースの剣の持ち手にある穴が気になっていると話し、その穴を埋めたいという事らしい。
「だったら道具屋じゃなくて、武器屋がいいんじゃないのか?」
キースが尤もな事を口にする。
「そうだよね。剣の装飾品なんだから、武器屋の方じゃない?」
「んじゃ、武器屋でもいいや。寄ってみようぜ」
フェルは別段、道具屋に拘っていた訳でもないらしく、皆の話を素直に聞いた。
そんな話をしていれば、やっと冒険者ギルドへと到着する。
前回ここミンガに立ち寄った時には道具屋と食品店にしか寄らなかった為、冒険者ギルドは少し探して辿り着く。だがそうして町の中を通って行けば、以前とは異なる事も見えてくる。
「何だか、町の皆が少し暗いわね…」
ソフィーは、以前来た時はもっと陽気な町であったと記憶しており、活気もないようだと言った。
「そこは、流石にもう襲われた村にも近いからな。この町の皆は、近々あいつが復活するだろうと薄々気付いてもいるんだろう」
と、キースが思い当たる節を口にする。
王都の住民たちは騎士達にガッチリと護られており、危機感がない者が多かったように感じた。しかしこうして北部にくるにつれキリリコの町にしても、町はどこかピリピリとした緊張感さえ含んでいると思うようになっていくのだ。
「何としてでも、早く皆を安心させなくてはなりませんね」
ルースはそう言って、愁いを帯びた眼差しを町中へと向けた。
「そうだな」
フェルも声を低くしてルースに同意する。
そうしてギルドの前に馬車を停め、全員でギルドの中へと入って行くのであった。