【327】イヌーシャの町へ
ルース達4人は冒険者ギルドの応接室に通されていた。
そこのソファーで大人しく待っていれば、扉を開けたギルド職員に続き、シュバルツを肩に乗せたフェルが入って来てルースの隣に腰を下ろす。
「馬車は預かってくれた。後でその場所は教えてくれるってよ」
「ありがとうございました。丁度ギルドの馬車が不在らしく、そちらで預かってくれるという事のようです」
フェルとルースが馬車の話をしていれば、そこに一人の男性が入って来た。
その男性は特に長身ではなく平均的な外見で、歩くたびに癖毛の赤い髪が纏まりなく揺れている。40代位と思しきその顔には、無精ひげが生え目の下には隈ができシワの寄った服を着ている。
「待たせて悪かったな」
ルース達を認めて発した第一声には、隠しきれぬ疲労が滲んでいた。
魔の者の襲撃があってから寝ていないのだろうと分かるやつれた様子に、ルース達は何も言えずに頭を下げて会釈をした。
そうして男性が一人掛けのソファーへ腰を下ろしたところで、ギルド職員がお茶を運んできてくれる。この職員にも疲れが見えるが、手際よく配り終わるとすぐに退出していった。
「まずは自己紹介だな。私はイヌーシャ冒険者ギルドのギルドマスター、“ビリー・ハミルトン”。君たち勇者パーティへ応援要請をした者でもある。早急に応えてくれて感謝する」
ハミルトンはそう言うと膝に手を乗せて頭を下げる。
「いいえ、それが勇者達の役目でもあります。どうぞお気になさいませんよう」
ルースは疲れた様子のハミルトンへ、労いの籠った視線を向けた。
ルースの返事に安堵の息をひとつ吐き出したハミルトンは、ルースと皆を見回していく。
「申し遅れました。私が勇者となったルースです。彼はフェルゼン、彼がキース、彼がデュオーニ、そしてこちらが聖女ソフィアです」
ルースが手振りを交えて紹介すれば、一人ずつに視線を向け軽く頷いていくハミルトン。そして白い犬と黒い鳥を目に留めると、交互に見る。
「では、どちらかが聖獣という事か?」
このハミルトンは聖女が聖獣を連れている事を知っているらしく、ソフィーに視線を向けて尋ねる。
「はい。この子が私の聖獣です」
とネージュに触れてソフィーが言えば、嬉しそうに笑んでハミルトンは頷いた。
ここでハミルトンに見えている2体の両方ともが聖獣だと言えば、更に長い説明が必要となってくる。ソフィーがそこで敢えて「私の」とつければ、他の聖獣が機嫌を損ねる事もなく簡素に話が終わる、とソフィーは考えたらしい。
案の定、フェルの肩にいるシュバルツと、キースの服の胸ポケットに入っているブリュオンは、特に声をあげる事もなく大人しいままだった。
「それで早速で悪いが、町の様子は見ただろう?」
ハミルトンは渋面を作り、視線をルースへと戻した。
「はい。入口付近が特に酷いようでした。それに町の人や冒険者にも、まだ怪我人が多数いるようですね」
ルースは、ここへ着くまでに見た事を確認する。
「そうだ。魔の者は町の門から入ってきた。最初に近くにいた者が襲われ、それに気付いた者達が逃げ惑う中を悠々と歩いていたらしい。その騒ぎに気付いた冒険者達が武器を手に向かって行ったんだが、まだ聖水を持ち歩いていない者も多く、攻撃が通らなかった事で冒険者にも負傷者が出てしまった。そこへ次々に加わった冒険者達の攻撃が通る様になった途端、一瞬にして町の外へと遠ざかっていった…という事だ」
状況を聞けばそれは10分ほどの出来事だったらしく、急に現れ急に去って行ったのだという。魔の者が何故引き下がったのか…。
多勢に無勢と見たからか、ただ興味を失っただけかは分からないものの、そのお陰で町が壊滅する事は免れたのだ。
だが壊れた町と多くの怪我人を見た人々は、怯えながら暮らす事になってしまった。
「これが2日前の夕方だ。丁度暗くなり始めた頃で、外にも人が多く居てな。それが災いして町中が大混乱となり、駆け付けようとした冒険者達も辿り着くまでに時間が掛かってしまったらしい」
そう言ったハミルトンは、深いため息をつく。
ルースは疲れ切ったハミルトンの心情を思い、眉根を寄せる。
「大変な事にはなりましたが、幸い死者は出なかったと伺いました。それだけは救いですね」
「まあ、そういう事だな。そこで君達には、再び襲ってくる事を見越して応援を頼んだ。結局はまだ倒せていないのだから、また襲ってくるのだろうとな…」
ハミルトンは、苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
「その件なのですが…」
そこでルースは、ソロイゾからここまでにあった道中での事を話し始めるのだった。
「魔の者が一体だけという確証はありませんが、恐らく、この町を襲ったものが隣村まで移動していたと考えられます。ですからこの町を襲った個体は、もう襲ってくる事はないと思われます」
ルースがそう話している間に、ハミルトンの目がみるみる大きくなっていった。
そうして最後にルースが言った言葉で、ハミルトンは力が抜けた様にドサリとソファーの背もたれに沈んだ。
「そうか…もう君達が、あれを消滅させてくれていたんだな…はぁー」
ハミルトンがそう言って、一気に十は歳を取ったように緩慢な動きで片手を上げると、自分の額に乗せる。
「そうか…」
そう言ったきり少しの沈黙が下りるも、再び体を起こした時にはしっかりとギルドマスターの顔に戻っていた。
「ありがとう。これで、人々の不安は拭えるだろう」
と深く頭を下げるハミルトンに、役目を果たしただけだと告げる。
「失礼な物言いだが、勇者パーティとは伊達ではないんだな。この町の冒険者達では、恐らく戦い方も分からなかっただろう」
「私達もまだまだです。今回も反省点ばかりでしたし、怪我もしました。ですが体の方は彼女のお陰で、すぐに回復してもらえましたので」
そう改めてルースが言えば、ハミルトンはソフィーに視線を向けて頷いた。
そこで視線を合わせたソフィーが、徐に口を開く。
「この町の怪我人の皆さんには、ポーションを使わないのですか?」
ソフィーが聞くのも尤もで、包帯を巻く者達がいる以上まだ怪我を負っている者も多いのだ。
「一応、重傷者には使ったんだが、この町には薬屋が一軒しかなくてな。途中でポーションの在庫が底を尽きてしまったんだ。だから申し訳ないが、まだ動ける者達にはポーションがくるまで我慢してもらっている状態だ」
その為今ギルドの馬車を出して、近くの町のポーションを集めて回っているのだと説明した。
「という事は、この町の薬師は魔女ではないのですね?」
「そうだ。だからここで作る事はできない」
治したいのに治してやれないのだと、ハミルトンはため息をつく。
それを見たソフィーが、ルースへ視線を向けた。
「ねえルース、少しこの町に居ても良いかしら?」
ソフィーの考えている事が手に取るように解ったルースは、皆を見回して首肯を確認した。
「ギルドマスター、お邪魔でなければこの町に少し滞在させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
ルースはまだ混乱中の町で、滞在できるかを確認する。
「ああ、勿論大歓迎だ。とは言え、町の商店などは今閉めているところが多くて、何もできないがな」
「それは問題ありません」
「ではギルドの部屋が空いているから、そこに泊って行ってくれ。それと馬車も数日位であればこのまま預かれるから、問題もないだろう」
「では、そうさせてください」
そう言ったルースは、ソフィーへと視線を戻して頷く。
「それでは滞在中、怪我をしている人達を治療させて欲しいので、何処かに場所をお借りする事はできますか?」
ソフィーはこの町に残り、怪我人たちを回復させることを望んでいたのだった。
その意図に今気が付いたギルドマスターは、瞠目して深く頭を下げた。
「重ね重ね恩に着る。そうしてもらえると、皆も喜ぶだろう。場所は私が手配するから、是非よろしく頼むよ」
「はい。私も自分の役目を果たすだけです。できる者ができる事をするだけで、皆さんが喜んでくださるなら私も嬉しいです」
ソフィーはニッコリと笑みを作り、ハミルトンへキラキラした目を向けた。
こうしてルース達は混乱の続くイヌーシャの町にて、少しの間滞在する事になったのである。
捕捉:冒険者ギルドでは、ギルドカードに以前の名前が書かれている為、ルースとキースは以前のまま名乗っています。