【304】ルースの想い
『元気そうだな』
「ええ、お陰様で」
シュバルツがルースの借りている部屋の窓辺に留まり、声を掛けた。
ルースは変わらぬ友に微笑む。
それは勇者の儀から3日が経った朝で、ルースはあれからこの王城内に留め置かれている。
『皆が心配しているぞ』
「申し訳ありません。私は動く事ができませんでしたので、シュバルツが来てくれて助かりました」
ルースは宰相たちと会った後、そのデイヴィッドと共に王族に謁見する運びとなった。
久しぶりに入った謁見の間に懐かしい顔を見る事ができ、ルースはその元気な姿に内心で安堵する。
そうして王族が並ぶ前に膝をついたルースは、10年ぶりに家族と対面する事となったのである。
但し今は王族と平民という立場だ。
ルースは、記憶を取り戻してなお王族として名乗り出る事はしない。
ステータス上でのルシアスという名前を自分ではどうする事も出来ないが、今のルースの外見は王族の証が無くなっている事もその理由としてある。
とは言え髪色云々は別にしても、ルースは端から名乗り出るつもりはなかった。
もう自分はルシアス・トーヤ・ウィルコックスではなく、ルース・モリソンという人間になっているのだ。
これまでの10年は今のルースの宝であり、ここまでの記憶はルースの今を作ったルースの礎だ。
今更王族になって勇者として命を賭すよりも、ただのルースとしてこの国の為にこの身を賭ける事を望んでいた。
立場は違えどする事は同じであり、今更いなくなった王子が戻ったと騒がせるよりも、このまま穏便に事を進める事を選んだのだ。
第一に自分がこの国の王子であると名乗り出ても、それを証明する事ができないのだ。
自分は既に一度封印されしものと戦い、そして敗れ、そのせいで記憶を封じられて時間を戻された。挙句、その戻された時間にいたルシアスもゆがめられた時間に巻き込まれ、この身は最果ての村に捨てられていました、とは誰が信じようか。
尤も、今ルースのまわりにいてくれる仲間であれば、もしルースがそれを打ち明けたとしても、信じてくれるだろうとは思っている。
その事からも今、“ルース”か“ルシアス”かのどちらかを選べと言われれば、躊躇う事なく“ルース”を選ぶ。
ただそれだけの理由で名乗り出ない事が、ルースの本音であろう。
その謁見の間では国王より、勇者として選ばれた事を誇りに思い、この先この国の為に勇往邁進するようにと、お言葉をいただいた。
ルースがその言葉を受けて頭を深々と下げている間、王族から注がれる視線をルースはただ受けとめるだけに留めるも、皆が何か言いたそうにしている事を、ルースが一番よく解っていた。
特に兄である王太子殿下は穴が開きそうな程、ルースを見つめていたのだ。
本当ならばここで皆を抱きしめる事も出来たはずが、それを選ばなかったのは当のルースであったのだ。
こうしてルースは粛々と国王からのお言葉を賜り、恙なくその時間を終えたのだった。
その後部屋に戻されたルースに侍女が付けられるも、それらには朝と夕に食事を運んできてくれるくらいしか顔を合わす事もなく、それ以外の時間は騎士団の演習場へと通っている。
ルースは殆どの時間を騎士団員に紛れ、昔のように演習場で剣を振る時間を過ごしていた。それ以外ルースにはする事がない為、鍛錬させてもらえるのならば有難い限りだ。
ただし、以前のように騎士に受けられているかと言えばそうではなく、平民で勇者として選ばれた者を興味本位で探る視線と、一本線を引かれたように、まるでここに居ないのかのように振舞う者もいたが、ルースはそれも甘んじて受け入れ、鍛錬の時間を過ごしていた。
ルースの相手は騎士団長のオルクスがしてくれる事もあるが、いつもは副団長の“テスティス・クライン”がルースの相手を務めてくれていた。
クラインの事もルースは覚えている。
剣の腕は言わずもがな。大柄な体格ながらその動きは素早く、つぶらな瞳はいつも冷静さを失わず相手の動きを見極めて行動する慎重な性格だ。そんなクラインが、多忙なオルクス団長を隣で支えている。
その副団長に相手をしてもらっているとはいえば聞こえは良いが、それは“監視”という意味合いが本当のところであるとルースも理解していた。
そうして過ごすルースの元へ2日目の夜である昨晩、宰相の補佐であるカールセンが部屋に訪ねてきた。
そして勇者に随行するパーティの人員が決まったと、聞かされたのである。
「パーティのメンバーには、貴方が推挙した者達に決まりました。他にも優秀な者が大勢いたのですが、貴方の申し出を配慮した形です」
その言葉にはルースに対する棘も含まれている。
ルースは、このカールセンとの記憶はない。
その為ルースはこの人物の事を良く知らないが、この時間になっても衣服に一切の乱れがない事からも、カールセンは真面目な性格をしているのだと想像がつく。そして誠心誠意をもって今のこの国を支えてくれているであろう事だけはわかる。
それゆえ、どこの馬の骨とも分からぬ者にこの国の未来を託すという事が納得できないのだろうと、ルースは心の中で苦笑しつつもそれを理解してもいた。
「ありがとうございます。私に何が起ころうとも、その随行者たちに吉報を届けさせてみせましょう」
ルースは深く頭を下げ感謝を伝えれば、それを何も言わずに黙って見つめていたカールセンである。
こうしてルースに伝えられたパーティのメンバーには、最後に教会からも聖女が加わると一言付け加えられた。それに一応驚いてみせたルースへ、カールセンは満足気に頷いてから部屋を出て行ったのだった。
これでやっとメンバーが揃ったと、ルースは肩の力を抜く。
フェル達には数日以内に連絡をすると聞いたため、ルースは夜が明けた頃を見計らい、窓辺に立ってシュバルツを心の中で呼んだのである。
一応この城には簡易的な結界が張ってあるらしいが、それは聖獣には反応しないのだそうだ。
大昔の聖女が張ったという結界を、今は城にいる魔術師たちが魔力を注ぎ込みそれを維持しているらしく、元々が聖女の作った結界である為、聖獣には意味がないのだとシュバルツは説明してくれた。
そんなシュバルツは、恨みがましい目でルースを見つめている。
『何故もっと早くに我を呼ばなかった。お陰であやつらは日に日に細くなっているぞ』
冗談だともとれるシュバルツの言葉に、ルースは眉を下げてみせる。
「それは大変ですね。折角フェル達3人も勇者パーティとして一緒に行動できることになったのに、それでは過酷な旅もついては来れなくなるかも知れませんね」
ルースもその冗談に乗りつつフェル達3人も一緒に行ける事になったと話せば、シュバルツは驚いた様に羽を広げた。
『そうか。それでは体力を戻すため、太らせねばならないな。ふむ、それはあやつらも喜ぶだろう』
シュバルツも嬉しそうにそう言ってから、再びルースへその黒い瞳を向ける。
『結局のところ、おぬしはこのまま行くつもりなのだな?』
「ええ、このまま…ルースのまま封印されしものと対峙します」
『良いのか?』
「はい。もう家族の顔も見れましたし、思い残すことはありません。今回は何としてでも、この繰り返す歴史を止めてみせます。何としてでも…」
『…わかった。そこまで言うのであれば、我は何もいう事はない。そもそも我も、ルースという者と縁を結んだものである。そのルースが行く所、最後まで付き合おう』
「ありがとうございます、シュバルツ」
こうしてルースと暫しの会話を終えたシュバルツは、フェル達の待つリアの家へと戻っていった。
それを窓辺から見送るルースの心は、既にその先に待つ未来へと旅立っていたのであった。