【30】代替
拙作にお付き合いいただき、ありがとうございます。
本日2話、更新を予定しております。(1/2)
それから2時間程で、温室の草むしりは終了した。
「ごくろうさん。助かったよ」
そう言いながらベルは、2人に冷たい水を渡してくれた。
2人は一気にそれを飲み干すと、「ごちそうさまでした」とカップを返す。
「じゃあ、サインするから出しとくれ」
「あ、はい。こちらにお願いします」
手渡された書類にサインをしながら、ベルは目線をルースへ向ける。
「そういや、2人はいくつだい?」
「俺達は15です」
と、それにフェルが返す。
「そうかい。じゃあ、私の孫と同じ位かい」
え?と2人がベルを見れば、「私は60だよ」とベルが年齢を言う。
「そうは見えませんね。私はまだ40代位かと…」
ベルのしゃべり方はアレだが、外見は背筋も伸びていて“きれいな人“という印象なので、別におだてて言っている訳でもないルースだった。
「ホホホ。お前さんは良い冒険者になりそうだよ。女にはね、見えるよりも下の年を言っておけば、ウィンウィンさね」
そう機嫌良さそうにベルが言って、クエストは終了となった。
「気を付けるんだよ」
道まで送ってくれたベルに手を振り、ルースとフェルは次の場所へと歩き出した。
ベル・コルルのクエストにかかった時間は、昼食含めて約4時間。代金は2人で600ルピルだ。
時間にすれば先程より効率が悪いかも知れないが、昼食も出してもらっていたし、そこは気にしなくても良いだろう。そう話しながらまだ陽も高いので、次のクエストに行く予定の2人であった。
「次は少し遠いですね」
ルースは1件目と2件目が近かった事もあり、フェルにそう伝える。
「ん?今日中に辿り着くのか?」
少しずれた問いかけが、フェルから返ってきた。
「フェル、クエストは全てこの町中のものですよ。町中を移動するのに、そう何時間もかかる訳がありません」
「そうか。すっかり町の外の感覚だったな…はは」
2人の会話は微妙にずれるが、これはいつもの事である。
「1件目と2件目はすぐ近くでしたが、今度はここの反対側だと言いたかったのですよ」
「おう」
2人はハーディーが書いてくれた、大雑把な地図を持っていた。昨日この町に着いたばかりの2人に、略式ではあるが、2人が迷子にならぬようにと用意してくれたのだ。
「冒険者ギルドを通り過ぎて、商店街を抜けた先…の様ですね」
「おう」
フェルは道の確認をルースに丸投げし、地図を覗くことさえしない。
「フェル、町中の様子はちゃんと見ておいてくださいね。どこにどんなお店があったか、私がフェルに聞くかも知れませんよ?」
「おう」
さっきから、それしか言わないフェルである。
「次は…排水溝の掃除ですよ、フェル」
「おう……おう?」
半分聞いていなかったフェルが、ルースの言葉に反応を示す。
「排水溝?そんなの取ったっけ…」
「ええ。誰もやりたがらないだろうと、取ってきました。排水溝が詰まれば、大変なことになってしまいますからね?」
ルースは、にっこり笑ってフェルを見る。
「……おう……」
「まぁここで今日は終わりですから、多少汚れても問題ないでしょう?」
「……ぉぅ……」
小さな声を出すフェルを見れば、ものすごく疲れた顔になっている。
確かに汚れるであろうクエストではあるが、誰かがやらねばならないのだ。
「じゃあ、今日は剣の練習は免除にしましょう」
とルースは提案する。
「え?もしかして、今日の夜もやるつもりだったのか?」
「当たり前ですよ。練習とは、毎日続けなければ意味がありません。それに、昨日はお休みしたでしょう?」
何て事を言うのかと、フェルが泣きそうになった。
「結局どっちかは、やんなきゃダメなのか…」
フェルの呟きを拾ったルースは、それに満足した様に目的地へと歩みを進めたのだった。
「ここですね」
その目的地は、何かの工房の様だ。
その建物の入口には、『ドーラス工房』と書いた看板が掲げてあった。
ルースの手元の資料にも“リヒト・ドーラス“と書いてある為、ルースはその扉を叩く。
コンコン
「こんにちは。冒険者ギルドのクエストで伺いました」
声を掛ければ、すぐさま中から扉が開いた。
「はいよ。クエストの件?」
「はい。私達はE級パーティの“月光の雫“です。私がルース、彼はフェルと申します」
「ほう、俺のクエストを受けてくれるとは嬉しいね。物が物だから、誰も来ないかと思ってたよ。俺がリヒトだ。よろしく頼むよ」
と言ってリヒトは笑う。
「じゃあ早速で悪いけど、裏にあるから、ここから入ってもらっていいかな」
リヒトは扉を大きく開き、2人を中へ促した。
「失礼します」
そう言って入っていけば、入口すぐは広い部屋で、中心に水が入った大きな木製の四角い桶が並んでいた。壁際には作業台の様なものがずらりと並び、ここで何かを作っているのだろうと、通り過ぎつつルースは思う。
その部屋を抜けるとまっすぐ延びた通路があり、突き当りには開かれた扉から裏庭らしきものが見えた。
そこを通り裏庭へ出ると、庭は広く、一画には綺麗な色をした布の様な物が干してある。
そして、その庭の境に沿って溝が掘られ水が流れているが、その水は透明な水ではなく、濁った色の水がその溝を通り、庭の終わりまで続いていた。
「ここなんだけど、風で溝にゴミが入るんだ。だから流れがせき止められてしまえば、作業に困るんだよね」
苦笑しながら話すリヒトに、取り敢えず頷く。
先程通った部屋で大量に水を使い、それをここに流しているのだろうと想像できた。だとすれば、ここの流れが悪くなれば、確かに仕事に支障が出るとは思うが、今まではどうしていたのだろうか、とも疑問に思う。
それが顔に出ていたのか、ルースの顔を見たリヒトが話し出す。
「いつもは弟子にやってもらっていてね。だけど今、そいつが里帰りしているんだ。俺がやりたいのはやまやまなんだけど、納品する物が溜まっていて、手を止める訳にもいかないんだ。今日来てもらえてギリギリだった…本当、助かるよ」
リヒトは頭を掻きながら、眉を下げていた。
先程から静かなフェルを見れば、ただ溝を凝視するばかりで、話を聞いているのかさえルースには分からなかった。
「この深さはどれ位ですか?」
「大体80cm位かな」
「では、そこまで深くはないのですね」
「ああ。でも底が見えないから、気を付けてくれ。それで、道具はその小屋に入ってるから、勝手に使って良いよ。俺は作業に戻るけど、何かあったらそこの入口から声を掛ければ、作業場まで聞こえるから」
「はい。わかりました」
じゃぁよろしくと言って、リヒトは建物の中へと戻っていった。
「フェル、始めましょう」
ルースが動かないフェルに声を掛けるが、全く動く様子もない。
「フェル」
もう一度呼びかけて、やっとこちらを振り返った。
「…壮大だな…」
フェルが何を言っているのかは分からないが、多分、考えていたよりも溝の距離が長かったのだろうと、ルースは苦笑する。
「始めなければ終わりませんし、私はここでもアレを使いませんよ?」
ルースは、又言いだしそうな雰囲気のフェルに念を押す。
「……おう……」
渋々ではあるが、フェルもルースと共に歩き出し、言われた小屋の扉を開く。そしてバケツや柄の長いスコップの様な道具を手に取ると、2人は建物近くから溝の掃除に取り掛かった。
この溝は横幅60cm程で、その上には一応、目の粗い網が被せてある。2人はその網を退かし、溝に沈む落ち葉などの異物を取り除いていった。
「結構、腰にくるなぁ…」
「そうですね。中腰になりますし、引き上げる物も重いですからね」
水を含んだ異物は重く、手を動かしつつも腰を叩きながら、まだまだ続く距離を作業する。
庭の境に通してある溝は、全長20m以上あるだろうか。沈んでしまった物や浮かんでいる葉をすくいながら半分ほどまで終了する。
「2人でやると、時間は掛からないで終わりそうですね」
「まあ…そうだな。で、この汚い色の水は何だろうな。肌に当たっても大丈夫なのかな…」
少々不安そうにフェルが話す。
「これは、ただの水に色が入っているだけの様です。ここは何かを染めている工房の様なので、その排水だと思いますよ」
「そうなのか?」
「はい。先程、少し水の中を確かめてみたところ、染色されているだけでただの水でした。手で触れば色が移るかも知れませんが、体に害はないようです」
「そっか。じゃー安心した」
と、疲れたようにフェルが笑う。
「そもそも、危険なものを何の説明もなしに、人には頼まないでしょう?」
「それはそうか」
気を取り直したのか、フェルが作業に戻る。
その後も作業は続き、ルースとフェルは2時間かけて、その溝の掃除を終わらせた。
「はー体がギシギシだ」
「そうですね。体力作りには持ってこいでした」
ルースの一言にフェルが固まる。
「は?体力作り?」
「ええ。ここの掃除は、いつも使わない筋肉を使うでしょう?それに、重労働である事は解っていましたので、それでこのクエストを受けたのです。中途半端に疲れて剣の練習が出来なくなるよりは、体を限界まで動かして、剣の練習の代わりに…体力作りとしたのです」
にっこりと邪気のない笑みを浮かべるルースへ、フェルは呆れた目を向けた。
ただ金を稼ぐために、このクエストを受けたのだと思っていたフェルであったが、ルースはそれ以上の目的をもって、クエストを受けていたのだと言う。
それを聞いたフェルは全身の痛みも相まって、その場に崩れ落ちたのだった。