【289】白いカーテン
光を感じて浮上した意識は、瞼に当たる陽の光だったのかとゆっくりと目を開き、そう思った。
まだぼんやりとした視線は天井を見つめており、それがゆっくりと周りを確認するように彷徨う。
どこからか柔らかな風が吹いていると思えば、近くにある窓が開いており、時折そこから入る風が開け放たれている白いカーテンを揺らしていた。
― ここは何処だろうか ―
自分の記憶にある風景とも違う部屋に、状況の確認が取れず少々困惑する。
魔巣山に行く途中で立ち寄った宿屋にしては、少々少女趣味とも言える内装に目を瞬かせた。
自分が今いる室内は壁が淡い黄色で、小さなクローゼットの扉には花の彫刻がなされている。その近くに鏡があるようだが、それは女性が使うドレッサーではないのだろうか。
そうやって室内を見回しても、自分が今どこにいるのかを思い出せなかった。
その時、開いていた窓に一羽の黒い鳥が留まった。
ゆっくりとそちらへと視線を向ければ、その鳥はコトリと首を傾げる。その仕草が可愛らしくてそのまま見つめていれば、段々と何かが繋がっていくような感覚で目を見開いていく。
『起きたか?』
その声は頭の中に直接響くもので、どうやらその鳥から聴こえてきたようだと思い至れば、何故だか懐かしさを覚えた。
― ああ、そうか ―
「…シュバルツ…おはよう」
『よく眠ったようだな』
ぶっきらぼうな言い方だが、その言葉には安堵の響きが含まれている。
「…ここは…どこだ?」
『……グローリアの家だ』
「グローリア…そう…だったな…」
そう言って、もう一度目を瞑る。
『おぬしは、誰だ?』
その声に思考を止め、再び目を開きシュバルツを見た。
「私は………」
『まだ混乱しているようだな』
シュバルツの言う通り、ルースはまだ混乱していた。
自分が今どの人物なのか、判断が難しい。
『おぬしは今、冒険者として仲間と共に王都へ来たところだ。この後、勇者の儀に出る事にしているのだろう?』
シュバルツは一言一言、確認するように話しかける。
「……ええ、そうでした……。私は今も、ルースと呼ばれています」
ルースが記憶の中で見た自分も、パーティメンバーから、ルシアスの愛称である“ルース”と呼ばれていた事を思い出す。
だがあの時は、自分からそう呼んでくれと仲間たちに願ったものだった。親しくありたいとそう願った名前が、何の因果か今の自分もルースと呼ばれているのだと思い至り、薄く笑みを湛える。
『ルースは、現状のままで良いのか?』
シュバルツが今の自分をどこまで理解しているのかはわからないが、そう尋ねてくる。
「はい。今回はこのままで…。私はただのルースですから」
『承知した』
こうして暫くシュバルツと話していれば、どこからか騒がしい足音が聴こえてきた。
『あやつらも、気付いた様だな』
「………」
ルースはフェル達がここへ向かって来ているのだと、シュバルツの会話で知る。
「どうやら、皆に心配をかけてしまった様ですね…」
ルースもその足音を聴き、嬉し気に微笑むのだった。
― バンッ! ―
扉を大きく開け放ち、フェルが部屋へ飛び込んで来る。
その後にはキースとデュオの姿もあって、3人は走ってきたかのように肩で息をしていた。
「ルース…?」
フェル達3人は部屋に入って来てもルースの傍まで近寄らず、少し離れて足を止めた。
ルースは皆の心の内を理解して、苦笑を浮かべる。
「はい。ルースですよ?」
フェルの呼びかけに答えた形で自分はルースであると伝えれば、3人が揃ってホッとした様に表情を緩めた。
それからゆっくりとその距離を詰め、ルースが横になっているベッドの脇に集まってきてくれた。
ルースは片手をベッドに付け、体を起こそうとするもカクリと肘が折れる。
「ルースは3日も眠っていたんだ。体がまだ反応できないのだろう」
そう言うキースとルースを支え起こしてくれるフェルに頷き、ルースはベッドボードに体を預けて座った。
「それで…思い出したんでしょう?」
デュオが恐る恐るルースへ声を掛けた。
そんなデュオに微笑んで、ルースはひとつ頷いてみせる。
「ルースは一体、誰だったんだ?」
ルースの穏やかな雰囲気をみたフェルが、踏み込んだ質問をする。
「…私はルースでした」
「ん?どういう意味だ?」
ルースの曖昧な答えに、フェルがキョトンと首を傾けた。
「私は以前の記憶を手に入れても、今までと変わらぬただの“ルース”であった、という事です」
ルースの的を得ぬ話に、フェルは目を瞬かせた。
「という事は、これからも今までのルースでいる…という事か?」
と、キースが話を引き継いでくれた。
「はい。今回私は過去を手に入れました。ですが、それは今までの人生に何の影響もないでしょう」
「え?…親はどうするの?親も分かったんでしょう?」
デュオはその記憶でルースの本当の親が分かり、その人達に自分の事を伝えないのかと聞く。
「…そうですね。このまま生きていれば、いつかは会う事もあるかも知れませんが、私はその方達とはもうずっとお会いしていませんし、探している様子もなさそうでした…。今更私が名乗り出れば、逆に混乱させる事になるかも知れません」
「って事は、今まで通った町にその家があったって事か?」
フェルが言った言葉に、ルースは頷きを持って応えた。
「まぁ、ルースが良いならいいが…」
「それで、気分はどうだい?」
キースの話の後、いつの間に来ていたのか扉の傍にいたリアが声を掛けた。
「はい。気分が悪いという事はありません。体は少し重いですが」
「そうかい。体の方は少しずつ動かせば、若いからすぐに戻るだろうさ。何しろ3日も寝たままだったんだからね」
リアは安心した様に微笑み、そう言ってからルースの傍に来た。
そして手の平をルースの額に添えれば、ルースの体が温かくなりスッと体が軽くなる。
「一応治癒を掛けたから、少し休んだら起きてくるといい。その間に、昼食を用意しておくが…まだルースは軽めの食事が良さそうだね」
リアが独り言ちるように言って頷く。
「ほら、あんた達も昼食の準備を手伝ってちょうだい。いつまでもここにいたんじゃ、この子も起きてはこれないだろう?」
リアの指示に3人は苦笑する。
「じゃあ僕たちは先に行くから、後で下に降りてきてね」
デュオが笑みを浮かべてルースに言えば、フェルがそっとルースに近付いた。
「ルースが寝てた間も、ずっとこんな感じでこき使われてたんだ…」
フェルが肩を窄めてルースに囁くと、3人はリアの後に続いて部屋を出て行った。
4人がいなくなった部屋に一人残ったルースは、ほぅっと大きく息を吐く。
『皆に何も言わぬのか?』
ずっと窓辺で見守っていたシュバルツが、小首を傾げルースに言った。
「はい。皆には心配を掛けたくありませんし、それにもし私がこの町の中心に住んでいたと言えば、皆は遠慮して私から離れて行くでしょう。私は今の私を変えたくはありません。だからこのままのルースで居ようと思います」
『ふむ。人間の思考までは理解できぬが、我がこの姿でいる事と同じ…という事か?』
「ええ。同じと考えて下さっても間違いではないでしょう」
『なるほどな。少しは理解できたかも知れぬ』
ルースは少しの間シュバルツと話をした後、誰かが着替えさせてくれた柔らかなシャツとズボンからいつもの服に着替える。そうすればやっと今までの自分に戻る事ができたと、安堵の息を吐く。
『もう動けそうだな』
「ええ。リアさんの魔法で体は戻りました。まだ体力的にはわかりませんが」
『うむ。では皆の待つ部屋へ行くとするか』
「はい」
シュバルツはルースの肩に留まり、道案内をするようにルースと共に部屋を出て行った。
その誰もいなくなった部屋には、窓から入る爽やかな風で白いカーテンだけが揺れていたのだった。




