【288】不安と歴然
リアの家に来て3日目の朝、フェル達3人は食台に並ぶ料理の前にいた。
「ルースはまだ起きないのか?」
キースが心配そうに眉を下げ、フェルに言う。
「まだあのままだな。起きた様子もなかった」
フェルはそう言って、ふぅと息を吐き出す。
リアの家に来た日の夜、ルースは精霊によって眠りについたのだとリアから聞いた。
それはルースの記憶を取り戻す為だと言われてしまえば、フェル達3人も諦めるしかなかった。
しかしあれから丸2日経った今もルースは眠ったままで、いつ目覚めるかも分からぬ為、フェル達3人はリアの家で待機させてもらっていた。
一応、ルースの健康面では問題ないとリアは言う。
あの後リアに聞いたところでは、リアはルースの養母の師匠であり治癒魔法が使える魔女であった。
その言葉を信じ、今ルースの事は取り敢えず様子見という話になっていた。
「そんなに気を張っていなくても大丈夫さ。皆の方が疲れてしまっては、意味がないだろう?」
「まぁ…そうなんだが」
キースの歯切れの悪さは、ルースが動けない為に3人も家から動けない事も原因と言える。
「別に皆が家に籠る事もないだろう?ルースはわたしが看ているし、クエストでも何でも行ってくればいいさ」
「そうは言っても…ねえ」
デュオもそう言って肩を落とす。
リアが言うようにルースが眠っている間、3人が家にいなくても良い事はわかっている。
だがもし目覚めた時、ルースが自分達を忘れていたらと思うと気が気ではなく、ルースの傍を離れる事も出来ずにいるという訳だ。
ルースに戻される記憶は、今までのルースに付け足されるのか、それとも戻された記憶だけが残り冒険者として一緒に過ごした皆の記憶が無くなってしまうのか。
…それはルースが目覚めてから、初めて答えが明らかになるのだ。
「取り敢えずは、冷める前に食事にしよう。さあ、皆も食べてちょうだい」
テーブルには目玉焼きと温め直したパンに琥珀色のスープがあって、それが窓から入る光を受け、立ち上る湯気がキラキラと輝いていた。
「そうだな。いただきます」
フェルが料理に目を向けて早速食べ始めれば、テーブルの端にいるシュバルツも、出されたパンを美味しそうに食べ始める。
いくら心配事があろうと、ここにいる者達は出された物をちゃんと食べてくれる為、この3人の食欲があるうちは問題ないね、とリアは笑みを浮かべる。
そして結局朝食が済んだ3人が中庭の隅を借りて鍛錬するのは前日と同じで、その後はリアの薬草畑の手入れを手伝った。リアの家にいてもする事がない訳でもない為、ルースが眠っている間、フェル達は多少気分も紛れて過ごす事ができていたのである。
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その頃も、ルースはまだ自分の記憶の中で漂っていた。
ルース本人には時間の感覚はなく、いつまでも続く自分の過去を、まるで今目の前で起きている出来事のように、それを見つめ続けていた。
◇◇
月明かりだけが光源とも言える暗闇の中、ルシアスは全身から汗が噴き出している事さえ忘れ、ただ一点のみを見つめていた。
――― ドドーンッ! ―――
大きな爆発音は、パーティメンバーであるキースが放った魔法によるものだ。
魔巣山に着いてから封印されしものと対峙する事、既に30分以上が経っている。
この封印されしものは、まるでルシアス達5人が来ることを知っていたかのように、忽然と目の前に現れたのだ。
初めの内は「探す手間が省けたな」などと軽口をたたいていた5人であったが、戦闘が始まってみればすぐに無駄口を叩く余裕などなくなったのであった。
これまでも封印されしものと遭遇するまでに、その影の様な存在とも何度か戦ってきたが、この封印されしものはそれらとはまるで次元が違い、魔力が無限に湧き出しているかのように、何度攻撃を仕掛けても悉く魔法で弾き返されていた。
デュオもキースもソフィーも、もう何度もマジックポーションを飲んでいる。
このマジックポーションは高価で余り市販はされてはおらず、今回の旅には王宮の魔術師団の備蓄から譲り受けて持ってきていたものだ。
それももう手持ちが無くなったと言うのに、この封印されしものには致命的なダメージは与えられておらず、ぎりぎりと奥歯を噛みしめるルシアスは、間合いを取りつつ皆の動きを客観的に見つめていた。
フェル自身に魔力はないが、ソフィーに与えられた聖魔力を剣に纏わせ、主に接近戦で動きを止めようと試みていた。そしてフェルが下がる時にはデュオが援護し、ソフィーの魔力の籠る矢を射かけ、相手の動きを抑制していた。そうしてフェルが下がったところでキースが魔法を繰り出しているのだが、そろそろ皆の動きが鈍っている事にルシアスは気付いた。
(このままでは全滅になってしまう…)
ルシアスも勇者の剣を手にしているものの、今ひとつ剣の威力を発揮できていないのか、致命傷を与えるまでには至っていない。この剣に選ばれたはずのルシアスですら、この場の均衡を保つのが精々という有様であった。
「くっ」
ルシアスは勇者の剣を強く握りしめる。それはまるで、もっと力を引き出せと剣に訴えるかのように。
「偉大なる美しき炎と踊れ。“火焔乱舞”!!」
その時、キースが炎の上級魔法を放った。
――― ドカーンッ!! ―――
「やったか!」
「キース!まだだ!!」
「く…」
ルシアスの反応に、キースから悔し気な声が聞こえてきた。
― ヒュンッ ヒュンッ ―
2人のやり取りがおわらぬ内、追撃するようにデュオから矢が放たれるものの、それは先程までと同様に軌道を反らされて地に刺さって終わった。
そろそろ皆も限界だと悟ったルシアスは、ここで最後の勝負に出る。
「フェル!デュオ!キース!ソフィー! 援護を頼む!」
「はい!」
皆の声を耳にすると同時に、ルシアスは地を蹴って走り出した。
そして3人が持てる限りの攻撃でルシアスの存在を隠すように、一斉に攻撃を仕掛けてくれた。
その爆風と粉塵の中からルシアスは忽然と現れるようにして、封印されしものの前へと躍り出た。
――― グサッ!! ―――
心臓と思しき場所に深く刺さった勇者の剣を見て、これで皆を護れたのかと一瞬安堵するも、それは目の前の者の口角が上がった事で血の気が下がる。そして即座に仲間へと警告を発したのだ。
「みんな離れてくれ!こいつは何かするつもりだ!!」
「クックック。我は滅びはしない。お前を道連れに時間を戻せば良いだけの事。だが、ただ戻すだけではお前は我の障害となりうる故、お前のここまでの時間も封じてやろう」
己に刺さる剣に手を添え引き抜き始めたその胸の傷口から、漆黒の魔力が膨れ上がりルシアスの視界を黒く染めていった。
「「「「 ルース! 」」」」
皆の声が遠くに聴こえた。――― そうだ。この後私は…
ルースは今の出来事を見つめ、ギリリと拳を握り締めた。
この時までは、封印されしものを何とか出来ると思っていたが、こうして再び思い出してみれば、力の差は明らかであったと分かる。
ルシアス渾身の一刀も、封印されしものがまだ動けるだけの力を残す結果となったのだ。何がいけなかったのかとこうして考え直しててみても、ただ“力の差”としか言えぬものだった。
圧倒的な力を前に、まるでルシアス達は大人を相手にした子供のように、あの者の周りを飛び回っていただけなのだろう。
“決定的な何かが欠けている”
ルースはこの時の事を思い出しながら、その言葉に辿り着いた。
それが何であるのかまではわからぬまでも、その時の記憶を無くさないようにギュッと目を瞑れば、ルースは再び、更なる深淵の記憶へと落ちて行ったのだった。