【287】時間の精霊
『漸く、時間は満ちる』
どこからか聴こえてきた声に、ルースはゆっくりと目を開いた。
先程までグローリアと話をしていたはずが、今は何もない空間に、ルース一人だけが立っている。
そこは淡い色彩の赤…青…黄…緑…と光が虹色に動き、まるで石鹸の泡の中にいるような錯覚を受ける場所だった。
その声の主を辿りルースが後ろを振り返れば、周りの景色に同化する人影があった。
その姿は輪郭だけがあるような見た目で、顔のパーツも何となくわかる。髪は長く足首まであり、装いは一枚の長い布を纏っている様にゆったりとしたもので、裾は地に付いて広がっていた。
そんな格好をした存在を、ルースは不思議と危険だとは感じない。
それはこの空間のせいかも知れないが、ルース自体が幽鬼のような曖昧な存在だと気付いたからかも知れなかった。
「ここは何処ですか?」
『其方の夢の中』
ルース言葉に、すぐに答えが返ってくる。
「それでは、私は今眠っている…という事ですね?」
『そうだ。話をする為に、眠ってもらった』
「そうですか…」
ルースは状況を整理し、あのまま寝てしまった事で皆を驚かせていなければ良いなと、現に思考を飛ばした。
『クックック。最初に他人を気にするとはのう。まぁそれも一つの名残か…』
その人物は何かを言ったが、それはルースには届いていない程の囁きだった。
「それで、私に話があると仰る貴方は、一体どなたなのでしょうか?」
ルースはこんな状況ではありながらも、落ち着いて確認を続けていく。
『実際は話という程のものはなく、こうして逢う事が目的であった。我は時間の精霊 “鍵”』
「鍵…?」
ルースは、時間の精霊が告げた名前を聞き返す。
『そうだ。その名の通りの役割を担うもの』
「…その貴方がなぜ、私に?」
ルースが以前精霊と呼ばれるものと会った時は、ソフィーの存在があったから出会えたと言える。
だがそのソフィーもいない今、精霊が何を目的にしているのかルースには分からない。
『我は其方に逢う為、永い間眠りについていた。我は其方の助けになるはずだ』
「助け…?」
『さよう。我は己の定めを知っている。其方の時間を取り戻す為の役目であると』
「…私の記憶…」
ルースは自分の記憶を取り戻すために、精霊の力までも借りねばならないという事実に驚愕する。
ここ数年の間、王国内を巡り小さな村も大きな町も訪ねてみたが、その景色や人々はルースの喪った記憶と繋がるようなものはなかったのだ。
そのため最近では、もしかすると自分はこの国の人間ではないのかも知れないとすら思い始めていた位だ。そうでなければ、ここまで何も思い出せない事はおかしいのではないかと思った程。
それが、この精霊と逢わなければ叶わぬ事であったのかと、ルースは妙に納得する。
しかし…。
「ですが、なぜ今なのです?私はずっと貴方の眠るペンダントを持っていました。ならば今までいくらでも、その機会はあったと思うのですが…」
ルースがシンディからこのペンダントを渡されたのはもう随分と遠い昔に感じる程で、今ではこの胸にあるペンダントはルースの体の一部にも感じていた。
『それは、時間が満ちた今でなければならぬ定めであったと言えよう。我が其方の手に渡る前に会った者も、また運命に踊らされる者。故にあの者が感じた瞬間でなければならなかった。我の考えは間違いではなかったと、今我は理解している』
今の会話に出てきた者は、話の流れからそれがグローリアであろうとは思うが、その意味はルースには分からない。だがこの精霊は、今この時であった事は必然であると、そう言いたいようだ。
『アレはあの時、其方の魂に薄々気付いたのやも知れぬ。だからこそ其方の記憶そのものを封じたのであろう。我はそれを断片的に知っており、故にこの時をもって其方に記憶を戻そうと考え、眠りについておった』
「………」
ルースには今の話が理解できるはずもなく、何を言わんとしているのかもわからなかった。
だがこのシュリュッセルが、ルースの記憶を取り戻す手助けができるという事だけはわかっている。
「経緯はわかりませんが、貴方が私を助けて下さると言うのなら、私は己の記憶に向き合う事を望みます」
はっきりと言い切るルースに、シュリュッセルはひとつ頷いた。
『それでは我の力を其方に注ぐ。これから何があろうとも其方は今の其方であると、努々忘れぬよう』
「……はい」
シュリュッセルの声と共に、ルースの目の前は再び暗転していった。
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「勇者の儀…ですか?」
「そうだ。2人も知っての通り予言の珠が動き出しておる。それは再び封印されしものがこの地に現れる事を意味し、それがこの国を滅ぼす前に阻止せねばならぬ。文献に記されている事柄は物語でもない、過去この国にあった史実。その文献に従い再び今、勇者を送り出さねばならぬのだ」
ウィルス王国、その国を治める国王エイドリアンは息子たち2人を執務室に呼び、この先に待ち受ける繰り返すであろう事柄を、まるで覚悟を決めさせるように話していた。
「そうであれば…父上、勇者はいつも…」
「うむ。我々王族から選ばれる事が多い。―― いいや、そう言うと変に期待をさせる事になるな…。勇者は必ず、王族から選ばれている」
長男アレクセイの問いかけにわざわざ言い直したエイドリアンは、必ずこの2人のどちらかが勇者として選ばれるであろうと言っていた。
文献によれば、王族と一括りではいうものの、いつもその時代の王子から選ばれていると示されているのだ。
「……」
エイドリアンの話に、結婚を間近に控えるアレクセイが言葉を失う。
「兄上、私かも知れません。…いいえ多分、それは私の役目なのでしょう」
アレクセイの思考の先に気付いたルシアスは、未だ婚約者もいない。
まもなく二十歳になろうというルシアスは、兄である次期国王を補佐する為、今は国防騎士団の職務に就いている。このまま結婚はせずに、軍事面で兄の助けとなる事を考えていた。
「ルシアス…」
「私が勇者となり、この国を守ってみせましょう」
ルシアスの真摯な眼差しを受け、アレクセイは表情を緩めた。
弟の言葉に、アレクセイの眼差しは次代の国を治める者としての感謝が込められている。
「だが、ルシアスの言う事は我々の都合である。選ぶは剣だ。それだけは忘れてはならぬ」
「「はい」」
アレクセイとルシアスは揃って声を発した。
そんな情景は、アレクセイの結婚を間近に控えたある日の事であった…
ルースは、それをぼんやりとした眼差して見詰めていたのだった。
◇◇
「この5人が、“封印されしもの”に立ち向かう勇者パーティだ」
王城の広間で、大勢の貴族たちの視線を受けたルシアスは、いつもの笑みを浮かべ一歩前に進み出て手にする剣を掲げた。
ルシアスが手にする剥き身の剣は、“勇者の剣”と呼ばれる物。
ルシアスが握る柄には穴が空いている位で、それこそ何の飾りもない武骨な剣であるものの、かざした頭上で広間の照明を受け、まるで発光しているかのように輝いている。
「「「おお…」」」
王城広間に、人々のどよめきが満ちた。その声には、期待と不安が入り混じる事をルシアスは知っている。
今の平和な世に慣れた者達は、この勇者パーティが何を意味するのか、その本当の所に目を背けているのだ。
「勇者の剣に選ばれし者は、この国の第二王子である“ルシアス・トーヤ・ウィルコックス”である。それに随行する者は、国防騎士団所属の“フェルゼン・マーロー”、魔法師団所属の“キリウス・ゼクヴィー”、そして冒険者で魔弓士“デュオーニ・フェイゲン”である。それを聖女“ソフィア・ラッセン”が守護する事となった。我々ウィルス王国の未来は、この5人手に掛かっている」
国王の声は、広間にいる大勢の貴族たちの上に降り注いだ。
一瞬の静寂の後、広間には盛大な拍手が起こった。
ルシアスは、眼下にいる者達から横にならぶ者達へと視線を向ける。
今日初めて会ったパーティメンバーは、皆一様に緊張の面持ちで広間を見下ろしていた。
ルシアスが勇者に選ばれた後にパーティメンバーの選出があったが、ルシアスは特に随行者に希望はなかった為、まずは自分の身の回りを整理する事に専念し、メンバー選出の際は他の者に一任したのだった。
彼らが自ら志願したのか推挙されたのかは分からないが、もしこの先の事を知って志願したのであれば、相当心の強い者達であろうと、ルシアスはそんな風に思う。
ルシアスでさえ、建前上は自分が勇者になれば丸く収まると分かっていたものの、心の中では様々な葛藤が渦巻いていた。
勇者は…いや、ここにいる者の殆どが戻っては来れぬだろうと、自分達がみることのできないこの先の世界が、どうか平和な世であって欲しいと、ルシアスは勇者パーティのお披露目であるこの場で、そんな事を考えていた。
と…ルースはそれをぼんやりと、思い出していたのだった。
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