【285】暗転
「こっちに座って。今お茶を持ってくるから、ああ、君は椅子の背にでもどうぞ」
リアはルース達にウインクをして部屋の奥にある扉の中に入って行き、少しして戻ってきたリアが皆の前にお茶を置いて席に座った。
6人掛けのテーブルにルース達は2人ずつ別れて座り、ルースの隣にリアが座った形だ。そしてシュバルツはフェルの肩から、空いている椅子の背に移動した。
「ここは今わたし一人で住んでいるんだよ。時々弟子を取る事もあってね。その時の部屋が今は空いているから、そこに後で案内するよ」
リアはお茶を手に取って、喉を潤した。
ルースもカップを手に口元へ近付ければ、アプルに似た爽やかな香りが鼻をくすぐった。
そして、口に含めば蜂蜜のほんのりとした甘さと爽やかな香りに包まれ、心安らぐお茶にルースは「ほう」と息を吐いた。
その様子を見ていたリアが、満足気に微笑みを浮かべる。
「ハーブティだよ。口に合ったようだね」
「はい。小さい頃にもよく飲んでいました。懐かしい香りです」
そんなルースの答えに、リアは目を細めた。
「リアさんのお店が狭い道の袋小路にあったから、もっと小さい家かと思ってました。こんなに大きい家で、正直ビックリです」
デュオが部屋を見回しながら、ここまでの感想を話した。
「ああ俺も、ギュウギュウで寝る事になったらどうしようかと思った…。泊めてもらう身だけどな」
「ほっほっほ。あの店は本当に受付だけの所だからね。わたしの店は在庫を置かない店で、客の要望を聞いてからその人に合った薬を作るのさ。“何で置いてない”とか“今すぐ寄越せ”と言う一見さんは、こちらから願い下げって事だね。そんなのは他の店に行けばいいんだ。いくらでも店はあるんだからね」
そう言って口角を上げるリアは、中々の貫禄だ。
「それで、貴方達はどうして王都に?勇者の儀にでも、参加しに来たのかい?」
リアは4人を見まわし、まるで散歩にでも来たのかとでも言うように気軽に言った。
リアは善意で見ず知らずの者を家に泊めてくれると言っているようだし、別段隠す事でもない為にルースはそこは正直に話す。
「はい。訳あって“勇者の儀”に参加する為に、王都に来ました」
「“勇者の儀”ね…」
その一言でリアの雰囲気が今までの柔らかな物から、見定めるような視線と張り詰めた気配に変わった事にルースは気付く。
「…貴方達は、それがどういう事かわかってるのかい?」
「俺達はA級冒険者パーティだ」
フェルの言った言葉に、リアの目つきが鋭いものになる。
「へえ。そのA級冒険者さんは自分を強いと思い込み、勇者にでもなるつもりなのかい?」
リアの言葉は、挑発と呼べるものに変わった。
「そういう意味じゃない…。オレ達のパーティは、5人なんだ」
フェルが自慢話をしたと思った上での言葉だったのか、リアが“おや?”と表情を緩める。
「今は4人…と1羽だねぇ?その鳥が5人目なのかい?」
「違います。…いいえ、仲間という意味では違わないんですけど、本当はもう一人居るんです」
フェルとリアの話に、思わずという風にデュオが言葉を挟んだ。
「ふぅん。何かは知らないが、それがどうして勇者になりたいって話になるんだい?まさか、そのもう一人が“魔の者”にでも殺されたのかい?」
リアは妖艶な笑みを添えて、再び挑発するような言葉を発した。
と、そこでルースは微かな違和感に気付いてリアを見る。一般人とも呼べるリアが、“魔の者”の存在を認識しているという事に…。
「魔の者…とおっしゃいましたか?」
ルースが慎重に言葉を紡げば、リアはデュオに向けていた視線をルースへ向けた。
「A級であれば勿論、貴方達もその話は知っているはずだろう?」
「はい、魔の者の事は知っています。私がお聞きしたいのは、なぜリアさんがその名をご存じなのかと」
ルースがそう言い直せば、リアは大げさに肩を窄めてみせた。
「これでも薬師ギルドでは、ある程度の立場にいるからね。一応、他のギルドからの重要な話は耳にするんだよ」
「そうでしたか」
「…それで、その魔の者に?」
リアは再びデュオに視線を向ける。
「いえ…」
デュオは、初対面の人にどこまで話して良いのかと戸惑った様に言葉を濁した為、リアはフェルへと視線を流した。
「…勇者パーティには、そのメンバーが参加する事が決まっている。だからその勇者の儀に参加して、俺達もその中に入りたいんだ」
「フェル!」
キースがフェルの言葉を止めるように呼び掛けるも、既にリアは驚いた様に目を見開いていた。
「何だい…随分と訳アリのようだね…」
と、フェルの言葉はしっかりとリアに伝わっている。しかも、“面倒な者達”として。
こうなってしまえば、ある程度の事をリアに話さなければ納得してくれないであろうと、ルースは居住まいを正して口を開いた。
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「そうかい…なるほどね。しかももう貴方達は、魔の者と対峙しているのかい…」
ルースはリアに、パーティメンバーが聖女として教会に連れて行かれた事、そして二度に渡り魔の者と遭遇した事をかいつまんで説明したのだった。
「本当は、王都には違う目的で来るつもりだったんだよなぁ…」
フェルは自分の祖父が昔王都で騎士をしていた為、それに憧れて冒険者になった事も話した。
「だから村から出た時は、王都の騎士になりたかった。そんな王都を見てみたくて出てきたはずなのに」
フェルは目的が変わってしまったと、眉間にシワを寄せている。
「それに、王都にはルースが行きたい店もあったんだ」
「おや?それは見付からなかったのかい?」
フェルが言った話に、ルースが補足するように口を挟む。
「はい、まだ見付かっていません。もしかするとリアさんは御存じかも知れません…薬屋をしている方を探しています」
「あぁ、それなら王都の店は全て把握しているよ。モグリでない限りはね」
任せて、とでも言うようにリアは笑みを作った。
「で、何ていう店なんだい?」
「あの、お店の名前までは聞いていないのですが、そのお店の方は“グローリア・アヴニール”さんという方です」
ルースが困ったように眉尻を下げてリアを見れば、リアの表情が険しくなった。
「……その名前を誰から聞いたか、聞いても?」
「はい。“シンディ・モリソン”です…いえ、“シンディ・トニーヤ”という人です」
ルースは結婚してマイルスの姓になったシンディの名前を、旧姓で言い直した。
すると、リアが考え込むように視線を外して動きを止めれば、なぜかこの空間が緊張に包まれた。
固唾をのんで見守る事暫し、程なくして視線だけをルースへと戻したリアがひとつ頷いて場の緊張が解かれる。
「忘れてたよ。確か“ルース”と言ったかい?シンディからもらった手紙に、そんな名前が書いてあったねぇ」
そのリアの言葉で今度はルースが動きを止めれば、そんなルースを見て品定めをするような視線をルースに向けたリアが、納得した様に口角を上げた。
「そうかいそうかい。あんたがシンディの隠し子かい」
「いいえ、あの…隠し子では…」
リアの揶揄う言葉に、ルースは真面目に狼狽える。
ルースからすれば間違った情報を与えてしまった場合、シンディに迷惑をかける事になるのだ。
「ほっほっほ。って冗談だよ。ちゃんと経緯は知ってるさ。今のは揶揄っただけだよ」
どうもリアは、一癖も二癖もある人の様だとルースは肩を落とした。
そんな慌てているルースに、フェル達3人は珍しいものを見るように瞠目していた。
「という事は、リアさんがグローリアさんという事でしょうか?」
一連の流れでそうと解釈できるものの、ルースは念のためリアに問う。
「ああ。その名前は弟子にしか教えていないから、今では知る者は少ないけどね。私がその“グローリア”だよ」
その答えでルースを含めた4人は、ホッとした様に体の力を抜いた。
リアは見ず知らずの人ではあるが、これで少なくともルースが探していた人に辿り着けたという事だった。
「良かったなルース。王都の目的がひとつ達成だ」
フェルは隣に座るルースに、ニカッと清々しい笑みを見せる。
「はい、フェルが泊まらせてもらおうと言ったお陰ですね」
「フェルもたまには、良い事をするんだな」
「アハハッ」
こうしてキースもデュオも、ようやく素直な笑みをみせる。
そうして落ち着きを取り戻したルースは、シンディから預かったペンダントを首元から引き出しリアへと見せた。
「これは、シンディから預かった物です。元々はグローリアさんにいただいた物だと聞きました」
ルースが出したペンダントを見て、リアは驚いた様に目を見開く。
「おやおや…今はここに居たんだね…」
リアはペンダントを慈しむように見つめて呟く。
「ってことはルースが…?時期をみると…でもまだ分からないね…」
リアが小さな声で落とした言葉はルース達までは届いていないが、考え込む仕草を見せたリアに、ルース達は大人しくそのまま見守っていた。
そしてリアが徐に、ルースの手の平に乗っているペンダントへと手を伸ばす。
ルースは抗うことなくその動作を見つめていれば、リアがペンダントに触れた途端、ルースの目の前が暗転し、ルースは意識を手放す事になったのである。