【262】薫風に揺れる
とうとう、この時がきてしまった。
ずっとこの時が来ない様に、ソフィーを守ってきたはずが。
ルースはダスティの問いかけにも応えらず、零れそうになる声を抑えるよう奥歯を噛みしめた。
「ルース、フェル」
ソフィーの前にいる2人に、ソフィーはそっと手を添えた。
それが何を意味しているのか、ルースもフェルもわかっている。解ってはいるが…。
ソフィーはサモンの町で、ルースが教会関係者に気付いた時から既にこうなる事はわかっていたし、覚悟もしてきた。
サモンの町以降、ソフィーはネージュとずっと話をしてきていたのだった。
「ネージュ。もし見つかってしまっても、そのままついて行くつもりよ?」
『良いのか?』
「ええ。本当はこのままずっと平和で、封印されしものがいなければ別の選択があったかも知れないけど。でも今は、平和とは程遠いでしょう?」
『然様。再びこの時、封印が弱まりつつある』
ソフィーはネージュの言葉に、寂し気に微笑む。
ルースとフェルがA級になってから、一人一人に宿の個室が与えられるようになった。
それからソフィーは皆と別れた夜、ネージュと沢山の事を話してきていた。
「私が聖女っていわれても、そんな大層な者になった覚えはないけれど、それでもネージュやルース達の話を聞いていれば、また起こるこの先の出来事の為に私は行かなければならないはずね」
『うむ』
「だったら、ずっとこのままというのは無理だわ。もう少しだけ、皆と一緒に居られれば、私はもう…」
『覚悟は決まった、という事かえ?』
「…そうね。覚悟だなんて御大層なものじゃないけれど、私がやらなければいけない事は、私がやるしかないの」
『ソフィアの代わりはおらぬ。今世の聖女は、ソフィアだけなのじゃからのぅ』
ネージュの言葉は残酷なものではあるものの、その口調には慈愛が籠っていた。
「でもね」
と、ソフィーはネージュの首元に抱き着き、その顔をうずめた。
ネージュには口で何と言おうとソフィーの心の中が直接伝わってしまう為、嘘は吐けないし吐く必要もない。
『寂しいか?』
ネージュは密着するソフィーの心が、寂しがっていると気付いている。
「うん」
ソフィーは短い返事だけを返し、必死に心を落ち着かせた。
「皆が大好きなの…。しっかりしているけど、ちょっとお茶目なルース。ルースは私がいなくなっても、皆を護ってくれると信じているから、安心して任せられるわ。…キースは年上でとても頭が良くてお兄さんみたいな人。そしてルースと一緒に皆を導いてくれると思ってる。デュオは私と同じ年だけど、弟みたいに感じてるの。そんな事本人の前で言ったら拗ねてしまうから言えないけど、私は兄弟がいないから、デュオがとてもかわいいと思う」
ネージュから少し顔を上げて微笑みながら、ソフィーは仲間たちの事をネージュに話していった。
「それでフェルは…」
とソフィーはそこで言葉を詰まらせた。
『あやつは?』
ネージュから体を起こし、ソフィーはネージュに視線を向ける。
「フェルは私が守ってあげないと、って思ってしまうの。私よりも年上だし強い事はわかっているんだけど、いつもちょっと抜けてて、放っておけないの。でも戦っている時とか、仲間の事を悪く言われたりすると、自分の事の様に真剣に対峙してくれるでしょ?それがちょっと大きく見えて…」
『安心するのじゃな?』
うんとソフィーは頷き、泣きそうな顔で笑った。
「そんな皆と離れるのが、本当はとても寂しいし辛いわ」
ソフィーは悲し気に微笑む。
「私が嫌がれば、皆は本気で守ってくれることはわかってる。だからこそ私がわがままを言えば、皆を悲しませて傷つけてしまう事も…」
『そうであろうな』
「だから…もしその時がきてしまっても、私は進んでついて行こうと思うの。誰も傷つけない為に」
『そうか』
夜な夜な、ソフィーとネージュは心の整理をする為に、こうして少しずつ話し合ってきていたのだ。
だがそれは皆に悟られてはならなかったし、その時までの間、少しでも皆の役に立とうとしてきた。
そうして今、とうとうこの時がきてしまった。
ルースとフェルがソフィーの呼びかけで振り向き、泣きそうな顔を見せた。
「ありがとう」
ソフィーはそれだけ伝えると、2人の間を抜けて前に進み出た。
「私です」
ソフィー自ら一同の前に姿を現わした事で、ソフィーの姿は教会の者達からも良く見えるようになった。
薫風に揺れる肩まで届く銀色の髪に、スラリとした手足は、服を纏っていてもピンと伸ばした姿勢からうかがい知ることができる。
身長は大柄なフェル達の前にいる為小さく見えるが、ごく一般的な女性の身長だ。
そして面差しは凛として、清楚という言葉がしっくりくる。ソフィーも18歳になり、可愛らしい女性から美しいと称される大人の女性へと変化していたのだ。
そんなソフィーを見て、枢機卿は納得した様に頷いた。
まだこのソフィアが聖女であると確定したわけではないが、これならば人々の前に出した時、皆も納得し美しい聖女だと賞賛するであろうと満足したのである。
「ソフィー…」
フェルがソフィーの後ろで情けない声を出す。
それに振り向いたソフィーは、飛び切りの笑顔を作った。
「私、行くわね」
それはしっかりと、自分の意思であると聞こえる言葉だった。
そんなソフィーにルース達は誰ひとり、言葉を紡げずにいる。
そうして再び前に向き直ったソフィーは、背筋を伸ばし枢機卿と視線を合わせて口を開く。
「私が、ソフィア・ラッセンです」
物怖じもせず枢機卿の視線を受けとめて言ったソフィーに、枢機卿は慈悲の籠った笑みを浮かべてみせた。
「お迎えに上がりました。王都へ参りましょう、聖女様」
ダスティ達は言葉を挟む事も出来ず、ただ見つめている。
ソフィーが枢機卿の言葉で一歩前に出れば、フェルがその手首を掴んだ。
「ソフィー行くな…」
ソフィーは振り返り、フェルの手に自分の手を重ねた。
「私はやらなくてはいけないの。皆を守る為に」
ソフィーの言葉はこの先の、この国の未来を告げている。
そんな事、皆も解かってはいるのだが…。
「フェル、ルース、キース、デュオ。私、行ってくる。皆も頑張ってね。…今までありがとう」
ソフィーの決意が固いのだと、その言葉は伝えていた。
フェルはゆっくりと力を抜くと、その手の中からソフィーの腕が離れて行く。
そしてソフィーは腰から下げてあった巾着を外し、その中から一つの袋だけを取り出すと、巾着をフェルの手の中に入れる。
「これはもう、私には必要のないものだから、持っていて」
ソフィーは自分の衣類等だけ取り出したらしく、後は食料の備蓄や数々のアイテムが入っている。
フェルは言葉を発する事も出来ず、口元を引き締め手の中の巾着を握り締めた。
ソフィーはそんな皆にもう一度心からの笑みを向けてから、馬車に向き直り一歩一歩迷いなく歩いて行った。
その後ろには、犬の大きさのネージュが寄り添っている。
そのネージュに気付いた枢機卿は、獣が付いてきた事にピクリと眉を動かした。
『我は聖女と共に在るもの。我はどこまでも、ソフィアについて行く』
その声はここにいる全員の頭の中に響き、ルース達以外の者が一様に瞠目した。
「―!!― もしや…聖獣様でございましょうか。聖女に従う聖獣。文献通りとは…」
枢機卿は会話ができる獣、そして純白の姿の犬を瞬時に聖獣と理解したらしい。
教会は聖女とは切っても切れぬものであり、聖女がいたからこそ教会が出来たと言っても過言ではないのだ。その為、聖職者になった者は、それまでの聖女に係わる文献を頭の中に叩き込まれている。
“聖女は時として聖獣を従え、封印されしものと対峙する也”
先程までソフィーが聖女であると疑わしかったものが、ネージュが現れた事で確信に変わり、枢機卿は喜色を浮かべて傍に来たソフィーの手を取った。
「さあ聖女様、馬車にお乗りください。王都で皆がお待ちしております」
枢機卿に手を引かれるように、ソフィーは馬車へと辿り着く。
そして開かれた馬車の扉の前でもう一度ルース達を振り返るも、過去を断ち切る様に馬車の中に入って行った。
「ソフィー」
フェルは唇を噛みしめ、震える拳に力を入れた。
皆、ここで動いてしまえばソフィーを取り返す為に、枢機卿へと襲い掛かるだろう。
だが、ソフィーがそれを望んでいない事はわかっていたし、そうしてしまえばソフィーがした事を否定する事にもなり、悲しませる事も理解していた。
そうして馬車の扉が閉まり2人とネージュが消えると、鎧を纏った者達も騎乗する。そして馬車は来た道へと馬を旋回させ、そのまま静かに走り出していった。
ずっとずっと大切に守ってきたソフィーは、ほんの一瞬の間に居なくなってしまった。
そして残されたルース達とダスティ達は、草木を揺らす風にもてあそばれながら、ずっとその馬車を見送っていたのだった。
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