【24】甘い認識
「止まってください」
そう声を掛けたルースは、フェルを背に庇うように背後を向き、じっと遠くを見つめる。
これは、自分たちの匂いを辿ってきているとルースは悟り、逃げ切る事は難しいと気付いたのだ。
「今度は…何だ?…もう…いなくなった…のか…?」
荒い息を吐くフェルが、ルースへ声を掛ける。
息を整える様に大きく息を吐いたルースは、ただ静かに答えた。
「いいえ。逃げ切れない様です。フェルは私から離れないように」
「……魔物なの…か?」
「はい。十中八九は」
2人がやり取りしている間に、目視できる距離に黒い物が現れ、それがものすごい速さでこちらへ向かってくるのが見えた。
「は?…何だあれは…」
フェルが呟くが、それに答える者はいない。まだ距離がある為、それが何だかわからないのだ。
「おいおい…やべーぞ!」
どんどん迫りくる魔物の姿にフェルが慄く。しかしルースはそれに、身動き一つしない。
「おい!ルース!逃げないのか?!」
「ええ、逃げても追いつかれる事はわかっています。だったらここで、迎え撃つしかありません…」
その言葉にフェルの顔が青ざめる。
「フェルは私が護ります。だから私から離れてはなりませんよ」
震えのない、しっかりとしたルースの声に、フェルは狂気を見た気がした。
2人はまだ15歳の少年で、いくらルースが少しばかり剣が使えるといっても、ゴブリン以上の魔物に太刀打ちできるとは思えず、フェルは自分とルースの死を覚悟する。
「…わかった」
諦めの混じった声でフェルが答えても、ルースはフェルを振り返りもせずに、その一点を見つめている。
「来ましたよ、フェル。“水壁“」
そう静かな声が降ったかと思えば、2人の前に水の壁が現れた。透明度の高いその壁は、その向こうの景色を損なうことなく、徐々に近付くものの正体を2人へ見せる事となった。
「ガルム…ですか…?」
ルースが小さな声で言えば、フェルにも聞こえていた様だ。
「ガルム?」
「ええ。犬型の魔物です。胸元にある赤い毛が特徴と言われています。足が速く当然肉食で、人間も襲うそうですよ」
「ルース…」
「まぁ魔法は使えない様なので、距離さえ取っていれば大丈夫でしょう」
フェルを安心させる為か、ルースは魔物を前にそんな事を言っている。
フェルは腰の剣に手は添えているが、冷たい指先に感覚がなくなるのを感じていた。
そこへスラリと腰の剣を抜いたルースが、正眼の構えをとる。
その視線の先のガルムは2匹。
ルースはこの場で、低級以上の魔物と戦う事となった。
10m先まで近付いた黒い犬へ、竜巻の如く荒ぶる砂を思い浮かべ、ルースは魔法を放つ。
「“砂嵐“」
その声に、近付いたガルムの姿が砂に飲みこまれた。
『ギャンッ』
ガルムは小さな声で、悲鳴らしきものを上げる。不意打ちなうえ、砂が目に入ったのだろう。
そこで止まった物達は体をブルブルと震わせ砂を払うと、睨みつけるような視線をよこす。
2秒3秒と互いに止まったまま見つめあい、ガルムが先に動いてこちらへ駆け出せば、そこへルースが声を出す。
「“風の刃“」
その風を1匹が何とか避けるも、もう1匹がまともに食らい、鮮血が飛び散る。
『キャンッ!』
そのガルムは前面に風の刃をあびて、傷だらけとなる。だが浅い。
無傷のもう1匹がそのガルムに近付き、2匹は並んで歯をむき出している。
『ガルルルルッ』
地の底から唸るような声を出すガルムに、ルースは1歩前に出ると、水壁でフェルを囲む。
1人分の壁なら、そこまでの大きさを維持しなくてよい。
どうせ自分は動かねばならないと、水壁の内側へフェルだけを入れたのだ。
「ルース!!」
水壁の中からフェルが声を出す。
「貴方はそこにいてください」
フェルの呼びかけにそう答えると、ルースは更に魔法を放つ。
「“水槍“」
1本の槍が、傷ついていた1匹へと命中する。その槍は、ガルムの赤い胸を貫き、その1匹が倒れる。
仲間が倒れた事で、もう1匹が走り出しルースへ飛び掛かる。それをとっさにルースは剣で叩いて、自分が横に飛ぶ。
正面からまともに剣でやりあったところで、ルースの今の力では拮抗する事さえできないのだと、ルースは瞬時に理解したのだ。
横に転がり出たルースはすぐさま起き上がると、魔物と距離をとって魔法を放つ。
「“水槍“」
槍がガルムへ向かって放たれるも、それは横に飛んで回避されてしまう。
一度放ったものは、もう学習されてしまった様だと次の手を考えるルースへ、再度駆け出したガルムが突っ込めば、そこへルースは土壁を出す。
―― ドンッ! ――
『ギャンッ』
今度はルースの前に展開した土壁へ、ガルムが当たり跳ね返る。
ルースは瞬時に壁を消すと、体勢の整わないガルムへ剣を振り下ろす。
が…速い。
一瞬にしてその剣を避けたガルムは、ルースとの間合いを取って歩き出す。
流石にルースも、ここまで魔法が避けられるとは思っていなかった為、魔力消費の多い魔法を連発していた事に反省する。
(まずいですね…あと何回、中級魔法が放てるでしょうか…)
ルースは冒険者でもなく、魔物に対する知識も少ない。その為、魔法を使えば魔物は簡単に倒せると思っていたが、今回その認識を改める事となったのだ。
(フェルを護るだなんて、大口をたたいてしまいましたね…)
額から一筋の汗が流れ、ルースは気を引き締め直す。
そこへガルムが出る。
間合いを取ったため、まだ魔法が放てる距離だ。とその一瞬の思考の間に、ルースの目の前にガルムが迫っていた。
ルースは正眼の構えから剣を突き出すも、それはガルムをかすって終わる。
互いに振り向きまた隙をうかがえば、その隙は与えられぬまま、また迫りくる物にルースは剣を向ける。
― ガリッ ―
すれ違いざま、ガルムの鉤爪がルースの腕を切り裂く。幸い傷は深くはなかったが、流れ出る血で剣が滑る。
「ぐっ…」
その傷ついたルースに余裕を見せたのか、ガルムは距離を保ったまま様子をうかがう様に歩いている。
ルースはそこで一息吐くと、剣を持った手を頭上に掲げた。
「“炎柱“」
ゴーッという音と共にガルムが炎に包まれた。
そして2歩3歩と移動するも、その炎に焼かれたガルムは、やがて動きを止めて地に崩れた。
―― ドサッ ――
倒れてなお、それは炎に包まれ燃えている。ガルムは2匹。それが動かなくなった所で、ルースはその場に膝をついた。
「ルース!!」
その声にフェルの水壁を解除すれば、フェルがルースの下へと駆け付ける。
「大丈夫か?!」
「ええ…何とか…」
疲れた声を出すルースへ、フェルが自分の鞄から傷薬を出す。だが、フェルが思っていたよりもその傷は深く、果たしてこの傷薬で治せるのかと手を止める。
「ああ…すみません。私も薬はあるので大丈夫ですよ」
フェルが薬を出してくれたことに気付いたルースは、そう言って、自分の袋からシンディに持たされたポーションを出し、その傷にかけた。
するとその傷は見る間に塞がり、奇麗な肌へと戻る。
「……すげーの持ってんな……」
フェルがそう言うのは尤もで、ポーションは普通の村ではまず取り扱いがない。ポーションは魔女にしか作る事が出来ないため高額であり、おいそれとは入手出来ないものなのだ。
いうなれば、初めて見たフェルはその効果も驚くところで、話だけ聞くなら“本当なのか?“と疑う程の効果があるとされている物なのだ。
「それって、ポーションってやつか?」
「ええ、そうですよ」
「ルースは金持ちなんだな…」
そうフェルが言うのも、当然の反応だ。
「いいえ。これは私の育ての親が作ってくれた物です。だから値段は知りませんし、私の所持金は、少ない方だと思います」
旅立つルースへシンディがお金も渡してくれたが、そのお金を足してもルースの所持金は、金持ちとは言い難い額だ。
そう言いながら、残ったポーションに蓋をしてまた袋へ戻せば、フェルの視線はその動作を追いつつも、あっけにとられている風だった。
「ルースの育ての親は、魔女なのか?」
「はい。薬師として村の人達に薬を作ったり、怪我した人に処置をしています」
ルースは嬉しそうに、その家族の話をしている。フェルは、仲の良さそうな家族の様子に、少々羨ましくもあった。
「…そう言やぁ、ルースは魔法も凄かったな」
思考を切り替えたフェルが言えば、ばつの悪そうな顔でルースは言う。
「私は、今見た通り四属性の魔法が使えます。ですが、その事は秘密にしておいてください」
「え?何でだ?凄いだろうって自慢できるのに…」
その話に、フェルはやはり魔法の事が良く分かっていないのだと確信する。
「フェル。魔法を使える者は普通、一属性なんだそうです。水魔法ならばそれしか使えないのです。それ故、四属性を使えるのだと皆に知れ渡れば、変な人に捕まり利用されてしまうかも知れません。だから、人前では一属性の魔法しか使わない様にしていましたが…フェルは秘密を教えてくれたので、特別ですからね?」
そう言ってルースは、口に指を当てて「内緒ですよ?」とフェルに伝えたのだった。