【232】フェル vs. ゴルバ
「ではフェルゼン、隣の部屋に移動してくれ」
初めに名を呼ばれたのはフェルで、ルースは歩き出したフェルに「頑張ってください」と声を掛けた。
「ああ行ってくる」
フェルは少し強張った顔をルースに向けると、ギルドマスターと司祭と共に部屋を出て行った。
ルースはこれからフェルが試験をする間、ここで待機となる。
壁際の椅子に座りゆっくりと目を閉じたルースは、未知なる試験を思い描き、頭の中でシミュレーションを開始するのだった。
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「ここだ。獲物はそこにあるから、好きな物を選んでくれ」
扉を開けて試験会場へ入ったギルドマスターは、ズンズンと部屋の奥へと進みながら後方のフェルへ、入口近くにある武器の場所を示した。
「はい」
言われたフェルが部屋に入ると、最後に入ってきた司祭が扉を閉めてその近くに静かに立つ。
フェルは壁際に置かれた木箱に、雑に入れられている武器の中から、ロングソードを1本選び重さを確かめると、自分の腰から剣を外して壁に立てかけた。
「それじゃ試験を始めるが、どちらかが戦闘不能、もしくはオレが声を掛けるまで戦う。もし自分がこれ以上無理だと思えば、声を出してくれ」
「はい。了解しました」
フェルは手に持った剣の握り具合を確認しつつ、左手に盾を握る。盾は自分の物を使っても良いらしく、問題ないと笑みを返された。
この部屋は大きめの倉庫位の広さで、ビギニーズダンジョンの階層主の部屋よりも広いとフェルは感じた。
ただし本当に何もない部屋であるため広く感じているのかも知れず、フェルは広さの事は頭から追い出し、今は目の前の相手に集中する。
何をしても良いという事は、向こうも何をしてくるのか分からないという事だ。
ギルドマスターが手に持っている物はフェルの武器とは違い、柄の長い槍だった。それは接近戦では向こうの方がリーチが長い分、有利となる事を意味しており、フェルは表情を引き締める。
そして、身体強化と威圧のスキルを発動させれば、フェル周辺の空気が一段階重くなった。
「ほう…」
ギルドマスターは一声漏らすと、ニヤリと笑みを広げフェルの雰囲気が変わった事に喜ぶ。
10m程離れて間合いを取っている2人は、ただ立っている様に見えるだろうが、フェルがスキルを発動させれば、ギルドマスターのゴルバも魔力を解放し、纏う空気を変えていたのだった。
まだ何も動いていないはずのフェルに、汗が滲み始めた。
「どうした?試験は始まってるぞ?」
この部屋の空気が既に重くなっている中、ゴルバは飄々とした声でフェルに動けと促す。
“動かないのか?”と、ゴルバは肩眉を上げた。
フェルはその声に気合を入れ直し、重心を下げて地を蹴った。
ゴルバはフェルが飛び込んでくるまでじっと動かずにいたが、槍の間合いにフェルが入ると、目にも止まらぬ速さで手にする槍を突き出してきた。
ゴルバの体格は、今のフェルと然程の違いは無いように見える。
身長は190cm位。腕や足に付いた筋肉は、ゴルバの纏うシャツとズボンをくっきりと形付かせる位には、発達させたものが付いているとうかがえた。
体格の似通った2人であれば、後は技量と能力の問題となる。
― ガキンッ! ―
ゴルバの一撃を盾で受け流したフェルに、ニヤリと余裕の笑みを見せるゴルバ。
その表情からすれば、まだ様子見といったところだろうと、フェルはゴルバに意識を集中させる。
そんなゴルバの顔を間近で見る事なく、フェルは跳び退って再び間合いを取った。だが着地してすぐにフェルは取って返し、再度、接近戦を試みる。
飛び込むようにしてゴルバに近付いたフェルに、ゴルバが水の盾を出してそれを防ぐ。
試験前、互いに何が出来るとは話していない。
フェルも自分が雷魔法を使え、加護の剣技を持っている事を話していない代わりに、対するゴルバも何をしてくるのかが全く分からないのだ。
しかもフェルは、本当の意味での対人戦は初めての経験。
今まで殆ど魔物や獣としか戦っていなかった事もあり、唯一の人型と言えば魔の者位で、人間の行動予測が全く出来ないのだった。
フェルは盾を、そしてゴルバは水壁を盾にしたまま接近戦での攻撃を続けた。
速く、速く、もっと速く。
フェルは今までで最も速く動く自分を想像しながら、迫る槍先を往なし、大振りにならぬように剣をさばいて行く。
― カンッ! ― キンッ! ― カンッ! ― ガキンッ! ―
試験会場では、無言で動く2人の武器が当たる音だけが響いている。
フェルは盾の隙間から視界を確保しつつ、高速で突き出される槍を躱す事で精いっぱいだった。
まだ剣を交えてから数分しか時間は経っていないものの、剣を握る手にじんわりと汗が湧き出てくるのを感じていた。
どうしてなのか、今の状態は相手の槍をさばく事しか出来ていない。
(何で攻撃に出られないんだ…)
スピードは確かに相手の方が速いのだが、それにしても一度も剣を突き出す事が出来ていない自分に、フェルは焦りを感じていた。
(そうか!)
そこで何かがひらめいたフェルは、再びゴルバと間合いを取る為に後退した。
そんなフェルを、一歩も動かず笑みすら浮かべるゴルバの視線だけが追いかける。
後退したフェルは左手に持っていた盾を背に背負った。フェルは盾を外し、防御を捨てたのだった。
「ほう」
ゴルバから再び声が落ちる。
フェルが戦い方を変えた様子に、楽しそうに笑んで片眉を上げた。
フェルはなぜ、攻撃が出来ないのかと考えたのだ。
すると左手に持つ盾の方向から槍が出てくるために、その動きを目前まで見極められないのだと気付いた。相手も右手で槍を持っているため右から攻撃が来るのは当たり前なのだと、フェルは視界の確保を優先させるために盾を下ろしたのである。
こうしてまた飛び込むようにして、再びフェルはゴルバとの間合いを詰めた。
― キンッ! ― キンッ! ―
フェルの予想通り、相手の槍の動きがつぶさに見えるようになったフェルは、その動きの一歩先を読むようにして身を躱し、ガラ空きになった懐へ向けて剣を振る。
― シュッ! ―
それはギリギリで体をずらしたゴルバに躱されるも、体をかすったフェルの剣に今度はゴルバが間合いを取った。
「ふんっ」
ニヤリと嬉しそうに笑うゴルバは、そこから攻撃を開始する。
「煌めく大気よりここに集え。“水槍“」
詠唱時間を与えてしまったフェルは、ゴルバから発せられた氷の槍を剣で叩き落し間髪入れずに走り出すと、「月の雫」と言葉を発し、大きく剣を振りかぶってゴルバに迫った。
― ヒュンッ! ―
輝く剣は半月を描くも、ゴルバは横に転がり出るように退避しており、フェルの剣は空を切った。
当たれば魔物ですら深く傷を刻む月の雫も、当たらねば意味はない。
そこへ横から槍が突き出されるのを感じたフェルは、その槍先をはじき返すも、その間に体勢を立て直していたゴルバは、再び間合いを詰めてフェルの前に立ちはだかり、接近戦が始まったのだった。
そこから暫くは武器の当たる音だけが響き渡るも、フェルはこのままでは埒が明かないのだと、剣を振りながら詠唱を始めた。
「あまねく在る賢智の源よ…」
フェルが魔法の詠唱を始めた事に気付いたゴルバは、それを阻止する為に更に攻撃の速度を上げた。
― キンッ! ― キンッ! ― カンッカンッ! ―
「…それは…輝きと…」
人は魔物とは違い魔法をただ受ける訳でなく、相手の詠唱を阻止する事も対人戦では重要な事だと言って良いのだ。
こうしてフェルは、ゴルバに詠唱の邪魔をされ途切れ途切れになりつつも、なんとかそれを完了させた。
「“落雷“」
放った瞬間、フェルはゴルバから距離を取るため飛び退る。
―― ドーンッ! ――
しかしそれが落ちる既の所で、危険を感じたゴルバが後ろへ大きく飛んだため、フェルの魔法はゴルバが立っていた床に落ちたのだった。
「あっぶねー」
流石のゴルバも肝を冷やしたと言って顔を引きつらせていたが、それを避けてしまうところがこの人の実力なのだと、フェルは歯を食いしばった。
それからも暫く接近戦で槍と剣の当たる音が響く中、今度はゴルバが詠唱を始めれば、フェルは踊るように立ち位置を変え、相手の注意を逸らすようにして剣を繰り出していった。
こうしてその後も2人は更に20分程、相手の魔法を阻止しながら接近戦で戦った。
ゴルバとフェルの体力もほぼ互角らしく、その動きからゴルバも身体強化を使っていると気付いたフェルは、このスキルが出現していて良かったと、心の中で冷や汗をかいていたのだった。
―― ガキーンッ! ――
ゴルバの振り回していた槍を往なして振った剣は、フェルの手をすり抜け、部屋の隅まで飛んで行ってしまった。
フェルの手が汗で滑ったのだ。
マズイ!とフェルは後退するも、それを追ったゴルバの槍がフェルの肩を打った。
――!!――
刃は潰してあるものの、その一撃で激痛が走ったフェルは、その場で膝をついてゴルバを睨みつけた。
そこへ槍を肩に担ぎ、悠々と近付いてくるゴルバが口を開いた。
「これにて、フェルゼンの試験は終了だ」