【225】恩愛と望郷
ルース達がルカルトの町を出発してから一週間ほどが経ち、チタニアは次に出港する便の打ち合わせで港を訪れた。
キースが旅立ってからは青空の日々が続いており、「天の采配かね」と眩しい空を見上げて独り言ちる。
ゆっくりと景色を眺めつつ、港の奥で停泊する大型船の前に出ているノイラ船長を見付けたチタニアは、手を上げて挨拶をした。近付いてくるチタニアに気付いたノイラも、それに手を上げて挨拶を返す。
「来てもらって悪いな。店は?」
「今日は休みだよ」
「すまねーな。次の出港はまた一か月程掛かりそうだから、その前に打ち合わせだ」
「ああ、分かってるよ」
「ところでキースの具合はどうだ?」
港で動き回る他の船の船員たちを眺めていたチタニアは、話しかけられた内容に視線をノイラに向けた。
そう言えばノイラには前回船に乗った時に、冒険者にキースの面倒を見てもらっていると伝えたきりだったと、キースからの伝言も思い出してチタニアは頭を掻いた。
「言い忘れてたよ。キースはこの町を出たんだ」
「は?何だそりゃ、具合が悪くなったって事か?」
「いいや逆さ。面倒を見てくれていた冒険者と一緒に、旅に出たんだよ。元気になったからね」
チタニアの説明に、ノイラは肩の力を抜いた。
「何だ。キースもそれならそうと、俺達にも声を掛けてくれりゃ良かったんだ。餞別位は持たせたのに…」
「皆によろしくって、伝言は頼まれてるよ」
「ちぇっ伝言かよ…」
「そう言ってやんなって。口では言わなかったが、ノイラたちを見るのも辛いんじゃないのかい?それに、ここに来れば皆に心配されるだろう?それもあって顔も出し辛かったんじゃないのかと、私は思うよ」
そう言った傍からノイラが渋い顔を作るので、チタニアは笑いを堪える。
「まぁ付き合いが長い分、何をされるのかが分かるんだろうさ。皆にもよろしくだと」
「むむむ…まぁ仕方ねぇな。キースが元気になっただけでも良しとしておくか。フレーリーがあんな事になっちまったのは、俺達のせいでもあるんだから…」
ノイラはキース達が乗っていた船の船長であり、今でもあの時の責任は感じていた。
「キースは、ノイラのせいじゃないから自分を責めるなよ、とも言っていた。あの子は良くできた子だ…」
「ああ。俺達みんなの子供みたいなものなのに、キースは出来が良いんだよ…」
「って事で他の船の船長にも、顔を合わせたらキースの事はよろしく伝えてくれるかい?ああ見えてキースは、どこの船からもモテモテだったからね」
「まあ、そういうこったな。分かった、キースの事は俺から皆に言っておく」
「ああ、よろしく頼むよ」
キースの話に一息ついたノイラとチタニアは、思い出したように仕事の話に戻す。
「んじゃそろそろ上がって、打ち合わせでもするか」
「今日の本題はそっちだろう?何だかノイラの気が緩んでしまったね」
「ハハハッ。まあこれから切り替えるさ。じゃあ行くぞ」
「ああ」
チタニアとノイラ船長は船着き場での会話を切り上げ、船の桟橋を渡っていく。今までであれば、ここにフレーリーとキースが続いていたのだが、これからは彼らの事は遠くから思うだけだなと、チタニアは哀情を含んだ微笑みを浮かべ、船に乗り込んで行ったのだった。
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サモンの町を翌早朝に出発したルース達一行は、街道を離れた林の中へと紛れ込んだ。
例の騎士たちには見付からなかったものの、それはあの町にいた事がばれてしまった場合の、足跡を消す為であった。
結局皆で話し合いを続け、サモンの町をすぐに出発する事にし、その後もしばらくは街道を避けて進む事にしたのだった。
その為、上空からのシュバルツが位置関係を把握し、ルース達が進む方向を見極める要となる。
「ほんと、シュバルツは優秀だね」
今も上空からルース達を導いているシュバルツに、キースが感心した様に言えば
「本人の前で言うとつけ上がるから、あんまり調子付かせないでくれよな」
と、フェルが苦笑を交えてキースに言う。
「いや、実際凄いと思うんだが…」
「フェルはシュバルツを育てているので、今の言葉は教育係としての意見でしょう」
フェルが言った事に首を傾げるキースに、ルースはそう言って説明を加えた。
「プッ 教育係って…互いに教育し合ってても…」
デュオがたまらず噴出したため、フェルがまたへそを曲げる。
「フェル、シュバルツがいてくれて助かっているのは事実ですから、フェルも素直に感謝をしたらいかがですか?」
「……俺はあいつを褒めたくない」
まるで子供が張り合っているかの如く言うフェルに、フェルもシュバルツも似たり寄ったりだねと皆が笑うのだった。
そうして和やかに木々の間を歩いて行けば、シュバルツが川の畔へと案内してくれた。
開けた視界に現れた川は5m程の幅で、穏やかに透き通る水がゆったりと流れていた。時折水面が波打つのは、小さな生き物が立てたものだろう。
上空から見たシュバルツの視点では、ここはサモンの町から6時間ほど東へ進んだ人の手が入っていない森の中だ。その為魔物や獣も暖かな季節には活発に動き回るであろう場所である。
ルースは周辺に魔力を漂わせて魔物の気配を探る。
ただ今のところ問題はなさそうだと、ルースは皆へ休憩にしようと提案するのだった。
「そうだな。昼メシにしよう」
とフェルが一番に声を出せば、皆も笑いつつお腹が空いていると言って座る場所を探し、川辺にある大きな石を囲んで皆は腰を下ろした。
「天然のテーブルだね」
デュオが笑いながらソフィーが出してくれる食料を、その石に並べていく。
その石は1m四方の楕円で、上面が切り取られたように平らになっている。元々はもっと大きな岩だったものが、何かの原因で割れ、今の形になったのだろうと想像する。
「面白い形だな」
キースは珍しそうに石を見つめ、目を細めた。
キースはずっと海へ出ていた為、この様なものでも初めてみるのだろう。
海岸付近の磯浜にある岩は、波にさらわれてもっと歪な形をしている物が殆どだ。どちらかと言えば、ルース達は海にある不思議な形をした岩の方が興味をそそられるが、それは慣れと生活環境の違いであろうとルースは思った。
こうしてその日の昼は、ソフィーが作り置いてくれていた磯の香が漂う魚介のスープに、白身魚を薄くスライスし、モレンのしぼり汁で漬けたマリネをサラダ菜で包んだサンドパンが並ぶ。
「美味い」
キースはアマノリという海藻をふんだんに入れ貝や魚の粗も入った、磯の香り立つスープにホッと息を吐く。キースには食べなれた食材であろうが、ソフィーはルカルトで目新しい食材に目を輝かせ、店員に調理法を聞きながら楽しそうにそれらを買い込んでいた。
「このアマノリはとっても便利ね。他に何かを入れなくても味に深みが出るの」
「そうだね。これは安いし町の者は良く使う食材だよ。一品足りないという時にあると便利なんだ」
キースも自炊をしてきた為、ソフィーの話に言葉を添えた。
「まだ出発して一週間も経ってないのに、このスープが懐かしく感じるよ」
と、キースは眉尻を下げて笑う。
時々乾いた風が通り過ぎていく川辺で、熱々のスープは心も体も温めてくれるのだった。
そんなのんびりとした昼食を摂っていると、ルースの魔力に何かが反応を示した。
しかし、周りにいるネージュやシュバルツを見ても警戒する様子もなく、ルースは周辺を見回すが特にこれといった物は目に映らない。
首を捻りつつ食事を再開していけば、暫くして拭えない違和感にルースが木々の方へと視線を向ける。
そこにはなぜか1本だけ、2m程の若木が林から抜け出たように立っていたのだ。
先程までこんな木は無かったはずだと、じっとルースがその木を見ていれば、ルースの視線に気付いたフェルが「どうかしたか?」とルースへ声を掛けた。
「いえ先程、こんな木があったかなと思いまして…」
ルースが指をさすまでもなく、その木は誰の目にも、川辺に飛び出して来たようにポツンと立っている。
「なかったと思うな…」
言われればフェルも変だなと、視線をそれに向けたままサンドパンを口に入れる。
皆の視線を受けている木は特に変わったものでもなく、ただの細い木にしか見えないものだった。
『悪さはすまいよ』
何に対してなのか。ネージュは眠そうに伏せている顔でチラリと目線だけでその木をみると、パタンとひとつ尻尾を振った。
大きな口を開けて皆から食事を分けてもらっていたシュバルツも、ゴクンと喉を鳴らすと顔をその木に向けた。
『子供ノ“とれんと”ダ』
何を今更言わせるのかというように、サラリと口にしたその名前は、ルース達も本で見た事のある名前だった。
という事は
「魔物じゃないか…」
フェルが図鑑で見たトレントという名を思い出したらしく、皆が一瞬で緊張に包まれるも、ネージュがそれを止めた。
『問題ないであろう。まだ若木ゆえ、好奇心旺盛なのじゃろう。人間に興味があっただけで、こちらに危害を加えるつもりはない様じゃしのぅ』
ルースの感じた違和感はこのトレントであったらしいが、気付いていたネージュとシュバルツは魔物の気配を読んで、危険はないと判断し、皆に警告しないでおいたらしかった。
「触れるの?」
ソフィーがネージュへと聞けば、それはしない方が良いという。
『人馴れされるのもよろしくはないであろう』
そういう事かと、ルース達は少しずつ近付いてくるトレントに気付かぬふりをしたまま、食事を済ませる事になった。多少その存在が気になるものの何とか食事を進めていくと、結局そのトレントはルース達が食事をする風景を眺めた後、気が済んだように木々の中へと溶け込んで行った。
「何だったんだ?」
「さぁ…」
フェルとルースは顔を見合わせ、不思議な魔物もいるものだと苦笑を浮かべたのであった。