【219】背負うもの
元々キースは本人が意図するにかかわらず、人に対して配慮する癖がついていたはずだった。
それはキースが子供の頃から大人とばかり接触してきた事で、顔色やその場の雰囲気を察する様になったキースの癖の様なものだ。
しかし今のキースはそれを発揮させる事なく、さほど付き合いが深い訳でもないルース達に気を遣わせ、こうして自分の面倒を見させることになってしまったのだと、キースはやっと暗い闇の中から現に戻ったかのように、温かなぬくもりに触れた事でそれに気が付いたのだった。
そんな彼らに、キースは言葉を発する。
「オレは…父さんと二人暮らしだったんだ」
突然キースが紡いだ言葉の真意がわからず、ルース達は視線を落としたキースにそっと顔を向けた。
「オレと父さんは船に乗って船乗りとして働きながら、魔物から皆を護る護衛の役目もしていたんだ…」
キースがルース達に自分の事を話そうとしているのだと気付き、ルース達はそっと見守る。
「3か月前、海に出ていた時だった。それまで遭遇した事がない程の巨大なシーサーペントが出た。そこでオレは自分の役目を十分に果たす事が出来ず、父さんが海に投げ出されてしまった…」
キースは手元のカップを手に取って口に含むと、こくりと一つ喉を鳴らし、下ろしたカップを指で弄びつつ再び口を開く。
「父さんは海に投げ出されても、自分の役目を果たそうとその魔物と戦い、それで片腕を失ってしまった」
キースの話に、デュオが泣き出さんばかりに顔を歪めた。
キースの境遇がデュオにも通ずるところがあったのだと、ルースはデュオを見て唇を噛む。
「それが利き腕だった事もあって、父さんは日に日に衰弱していってしまったんだ…。丁度寒い時期だったのも重なって、風邪を引く事も多くなってね。以前は風邪なんて滅多に引かない人だったのにな…」
キースはカップを握り締め、更に視線を落とした。
「ワイバーンの肉をもらった日に、父さんが亡くなったんだ…」
ルース達は掛ける言葉もなく辺りは静まり返り、風に踊る草花の囁き声だけが、サワサワと時折過ぎていった。
『心の傷も友とおれば、いつかは癒えて行くものであろう』
ネージュがキースへと語り掛けるも、慰めてくれる事は嬉しいが、そう簡単にはいかないものだとキースの心は沈む。
不甲斐ない自分が父親を守れず、最後まで迷惑ばかりかけたまま逝かせてしまった。
その想いを共有できる友と呼べる人達は船に乗れば会う事もあろうが、陸ではキースの友と呼べる者は殆どいないのだ。
かと言ってまた船に乗るという気にもなれず、キースは一つ息を吐き、そう一考した後その口から出た言葉は否定でも肯定でもない言葉だった。
「…ありがとう」
こればかりは当事者ではない者には理解されないだろうと、キースはネージュへと悲しい笑みを浮かべた。
「僕は…僕は父さんを傷つけてしまったと知った時、自分に絶望したんです…」
唐突に話し出したデュオが、そこで自分が起こしてしまった出来事をキースへかいつまんで話していった。
父親の利き腕を駄目にした事、その事実を自分には知らせず両親が守ってくれていた事、そして偶然その話を聞き、目の前が真っ暗になってどうして良いのかわからなくなったのだと。
「でもその時、僕の背中をルースとフェルそしてソフィーが支えてくれた。この3人には本当にお世話になったし、そんな弱い自分を変えたくて僕は皆と一緒に旅に出たんだと、今ならわかるんです」
デュオは「情けないけど」と言って、キースに向かって苦笑した。
「そんな事はないと思う。デュオ君は自分を変える為にちゃんと行動したんだし、それは凄い事だと思うよ」
真面目な顔でキースがデュオへと視線を向ければ、デュオは「ありがとうございます」と感謝の言葉を返した。
「私は両親を早く亡くしてしまったけど、両親の友人が私の面倒を見てくれて、愛情をもって接してくれていたから恵まれていたのだと思うわ…」
デュオに続き、ソフィーも小さい頃に両親を事故で亡くしているという、自身の身の上を話し始めたのだった。
「そうか…小さいうちに、大変だったね」
キースはデュオとソフィーの話を聞き、自分が今辛い時期であるはずが、一人一人に労いの言葉を掛けている。
キースの話から、なぜかそれぞれの生い立ちの話になっていった。
「でも、フェルとルースが居てくれたお陰で、私も自分にできる事をしようって考えるようになって、2人と一緒に旅に出る事にしたんです」
ソフィーはそう言い終えるとキースへと微笑み掛けた。
「そうか。ソフィーさんも頑張ってるんだね」
「いいえ、私なんてまだまだです。ルースに比べれば…。ね?ルース」
ソフィーに話を振られたルースは、目を瞬かせて首を傾げる。
「はい?何の事ですか?」
ルースは思い当たる事がないとソフィーに言えば、
「だって、ルースは何も分からないところから始まってるんだもの…」
と、ソフィーがルースへ言った。
「そうだよな。ルースはいつもこんな風だけど、割と大変な人生を送ってるんだよな」
フェルが言う“こんな風”とはどんな風なのかを確認したいところではあるが、今はそれを話す場ではないと、ルースは苦笑するに留めた。
「私は別に大変な事はありませんよ?」
フェルは何を言っているのだと、ルースは呆れたように視線を向けた。
「そうだよね。ルースは自分の小さい頃の記憶がないんだし…」
「それに、本当の親も分からないんだものね…」
ソフィーの言葉にピクリと肩を揺らしたキースは、「そうなのか?」とルースに視線を向ける。
「それは事実ですが、然程大したことではありませんし、普段は気にしてもいません。初め旅に出た理由はその記憶を探す事が目的でしたが、今は頼れる友人たちと過ごす事で、それは二の次三の次のようになってしまいました」
心の底からそう言っていると言う笑みで、ルースはキースをじっと見つめる。
「私は、私を見付けてくれた育ての親からの慈しみを受けて育ちました。今の私には、それが一番大切な事なのです」
キースは、ルースの言葉に共感した様に深く頷き、薄っすらと笑みを浮かべた。
今のキースの心の愁いの中には、父が今際の際に残した本当の親だと言う者の事も含まれていたが、今のルースの話でそれは気にする必要のないものであると気付き、心のしこりが一つ溶けたように感じたのだった。
もしこれが自分一人で悶々と考え込んでいたのであれば、フレーリーが亡くなり一人きりになった自分は、本当の親だという者にも興味を持ったのかも知れない。そしてすぐにでも王都へ行って、彼らを知りたいと思っていたのかもしれないなと、キースは心の内でその可能性を考えて一人失笑する。
この束の間の時間だけでも、彼らにも色々と背負うものがあると知ったキースは、この中で自分が一番子供であるのだと恥ずかしくなり苦笑するのだった。
『おぬしも少しは冷静になったようじゃのぅ』
ネージュが再び、そこでキースへと言葉を掛けた。
「どうしてそう思うんだ?」
キースの表面上は特に変えたつもりもないため、ネージュへ何でもない事の様に聞き返すも、内心ではなぜ心中がばれたのだと少し動揺していた。
『そのようなものは、魔力の揺らぎでいかようにも感知できる。魔力とは語らずも感情が籠るものであるからのぅ』
ネージュのいつもの尊大な口調に、ルース達は思わずクスリと笑みをこぼす。
「あ、ごめんなさい。ネージュったらキースさんに対してもいつもの言い方になっているものだから、それが可笑しくて…」
キースを笑った訳ではないのだとソフィーはキースへ謝罪するも、合点がいったようにキースは笑って頷いた。
「君…ネージュ君は、本当に博識なんだね」
感心した風にキースが言った言葉も、ネージュは当然だと言うように澄ました顔をしており、それで更に笑いが起こるのは言うまでもない。
キースはこのひと時で随分と心が軽くなったように感じ、笑い合う4人の冒険者を見つめ、一人目を細めていたのだった。
そうして休憩を終了して再び場所を移動しつつ、ルース達はスライムと遭遇する為、静かに薬草採取に没頭する事30分。
『来タゾ』
木の上に留まるシュバルツから本日初めての報告が入り、5人はその念話に手元から視線を上げ、シュバルツが留まる木を見上げた。
“どこだ?”と言うようにフェルが眉を上げれば、シュバルツからは『お前の後ろだ』と念話が返ってきた。
今フェルは一人で少し離れて作業していた為、フェルの周りに魔法で足止めをする者がいない。
それを聞いたフェルが覚悟を決めた様に「わかった」と大きく頷いて、ゆっくり背後を振り返った。
ルース達は顔を見合わせ、フェルが一人でスライムと対峙すると理解し困ったように眉を下げるも、スライムが近くにいる以上、ルース達は動き回る事も出来ず、黙ってフェルを見守る事にした。
そして下草の陰から黄色いスライムが姿を現わせば、フェルはそこへ向かって飛び出ていった。
その距離は約3mであったが、そこはやはりいつものそれに発展したのだった。
フェルの突撃を察知したスライムが、大きく跳びはねてそれをスルリと躱す。
「うわーマジかっまただよ!」
フェルが飛び回るスライムに剣を振り回して追いかければ、スライムは突然軌道を変えてそれを易易と躱し木々の中を逃げ回っている。
「ふふ…」
ルースの口元から零れ出た声に釣られ、皆にも小さく笑いが広がっていった。
「っくっく」
キースでさえ口元から声が漏れ、フェルがそれに気付いて大声を出した。
「もぉー!笑ってないで手伝えってばぁー!」
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