【205】想像と現実
「今日は、チュキラ船長の船だったんだ」
「…そうか」
キースは船長に売り物にならないからと貰った魚を台所に置いて、父親が横になるベッドへと近付く。
あの事故から2か月が経ったが、風邪をひき寝込んでしまった父に十分な栄養を摂らせてやる事も出来ず、熱は引いたもののずっと体調は悪いままだ。
魔女のチタニアが町にいる間は、チタニアの好意もあり少ない金でも色々な薬を都合してくれているが、それでも回復の兆しがない父を、キースは精一杯気遣っている。
一気に十も年を取ったように見える父の背中を支え、湯に溶かした滋養がつくという薬を飲ませる。チタニアはフレーリーの回復は気力次第だと言っていたから、キースはどんなに疲れていても父親の前では笑顔を見せるように心がけていた。
父親に薬湯を飲ませて横にし、少し厚めの布団を首元までかけやる。
「今日は少し波が暴れてね、新人たちは船縁に掴まって青い顔をしてたよ」
そう話すキースの言葉に返事はないものの、薄く笑みを湛えた視線とぶつかる。
その視線に笑みで返し「少し寝てて。今夕食の支度をするから」と囁くように言えば、ゆっくりとフレーリーは目を瞑る。
たった2か月前までキースは父と共に船に乗っていた。それなのに今その父は、自分を支える事も出来ず、日々の殆どを横になって過ごしている。
あれは時期的にも悪かったのだろう。今が夏であればまだ、風邪を引いたりすることもなく、体力も多少は維持が出来ていたはずだ。しかし今更それを思っても何も始まらぬ事はわかってはいるが、台所に戻るキースの歩みは引きずる様に重かった。
このまま船の手伝いを続けていても、父親に高価な薬を飲ませる事は出来ない。
チタニアからは何度かポーションをもらったが、それでも体の細さは変わらない。1日2日血色は良くなるものの、動き回る事さえ出来なくなった体は、フレーリーの気力をそぎ落としていくのだ。
“教会に行けば、欠損さえ治してくれる“
船乗りたちに励ましの様に言われた言葉は、有難いと思うものの、それには高額な治療費がかかるらしく、キースが全財産をかき集めたところで、その額には遠く及ばないという事だった。
キースはここの処ずっと考えている。
どうにかして大金を得る事は出来ないかと、町中を歩く時や船乗りたちの話に聞き耳を立ててはいるが、そもそも船乗りたちもそんな事を知っていれば、わざわざ危険な海に出る事もしないというもので、そんなキースは日々焦燥感を持て余していた。
そんなある日、キースが仕事帰りに街中を歩いていると、武器を持った地味な装束をした冒険者らしき男達が話している声を拾った。
「ダンジョンの二階層目は金になる」
「本当か?」
「ああ。俺はもう、金貨5枚分は稼いだぜ」
この自慢げに話す男はここ数か月分の成果を話していた訳なのだが、そんな事を知らぬキースは“金貨“という言葉に、動かしていた足を止めた。
父親の体を教会に治療してもらうには、金貨単位の金が必要になるのだ。それが実際に何枚必要になるとは知らなかったキースだが、その言葉が唯一の希望に聞こえていた。
ダンジョンに入れば金貨が手に入る。キースはそこで一つの決意を胸に抱き、明日からの予定を考えながら家路に向かったのであった。
そうして翌日、キースはいつもの通りに仕事へ行くと言って家を出て、普段は足を向る事はない冒険者ギルドの建物前に立った。
キースは毎朝、まだ陽も昇らぬ時間から家を出て船に乗る為、冒険者ギルドの前にも人通りは少ない。
重厚な扉を開けキースはキョロキョロとしながら、職員らしき人が立っているカウンターへと近付いて行く。
この時間でも冒険者らしき者達が数人いて、奥の席に座って旨そうな匂いの物を口に運んでいる。
それらを横目に、カウンターに立っている者に声を掛ければ良いのだろうと、キースは初めて入った冒険者ギルドに、騒がしい心臓をなだめつつ動揺を顔に出さぬように声を掛けた。
「おはようございます。オレは冒険者になりたいんですが、何をすれば良いですか?」
船乗りの様な服装をしているキースを見た職員は、目を瞬かせつつも笑みを浮かべてキースの問いに答える。
「おはようございます。冒険者登録をしたいという事でしょうか?」
キースは口を引き結び、神妙に頷いて返す。
「それではこちらに、必要事項のご記入をお願いいたします」
そう言ってカウンターに出された板状の魔導具には、名前や性別、年齢などを書く欄がある。
キースは教会へ行って学問を学んではいないが、父親や船乗りたちに文字の読み書きや生活に必要な基本的な事は教えてもらっていた為、ここはすんなり出来そうだと、キースは安堵の息を吐いてそれらに記入していった。
今の時間はギルド職員も余裕があるのか、丁寧にキースへと対応してくれる。
「こちらが冒険者ギルドの身分証になります。クエストを受ける際やお金のやり取りをする時に必要になりますので、なくさないようにしてください」
目の前に置かれた光沢のない鋼色をしたカードへ、キースはそっと手を出してそれを握り締めた。
父親は頑なにどのギルドにも登録しなかった事を思い出し、この事は父親には言わないようにしようと考えつつ、キースはそれを大事に懐へしまう。
「それではキースさんは、今日からF級の冒険者となります。あちらにある掲示板から、F級と書かれているクエストを受ける事が出来ます。キースさんはお一人なので、初めの内は納期がないものをお選びになるとよろしいと思います」
と、ギルド職員が説明をすれば、キースは困ったように眉を下げる。
「あの。オレはダンジョンに入りたいんですが、そのクエストという物に貼り出されているんですか?」
キースの言葉を聞いたギルド職員が、“またか“というようにため息を吐いた。
「え?…何かあるんですか?」
職員の反応に困惑するキースが、何かあるのかと尋ねた。
「ああ、すみません。キースさんはご存じないかと思いますが、冒険者に成りさえすればダンジョンに入れる訳でもないのです」
キースは理解が出来ず、職員へ聞き返す。
「え?ダンジョンは冒険者しか入れない所だと聞いてたのに、どういう事ですか?」
話が違う、とキースは焦りを感じていた。
「キースさんはダンジョンを目的とされていたのですね…でしたら申し訳ありませんが、冒険者になったと言っても、F級冒険者一人では、ダンジョンに入る事は出来ない規則になっているのです。その為F級の方々は、必ず2人以上でパーティを組んでいただいて、それから…という事になっています」
「そんなっ!」
キースはカウンターに身を乗り出す勢いで、職員の前に顔を突き出した。
その顔には必死さが滲み出ており、何か訳があるのだろうかと、ギルド職員も申し訳なさそうに眉を下げるのであった。
キースはずっとこのルカルトの町には住んでいるものの、その殆どは海に出ており、教会の学び舎に行き同年代の者達と知り合いになる事もなかったため、キースの知り合いと言えば、近所の住人達と船乗り位なのだ。
別にキースは人見知りという訳ではないが、今までとは畑が違う冒険者達とでは、すぐに打ち解けてパーティに入れてもらう事も無理であろうと、奥の席に座る者達を横目に見ても相手には視線さえ向けられない。
それに冒険者達と明らかに装いが違う自分は、彼らからすれば異質に見えているのであろうと、なまじ回転の速いキースの思考は、ギルド職員の一言で望みを絶たれた事に思い至るのであった。
だが、キースはここで諦める訳には行かなかった。
何としても大金を稼いで、父親に元気になってもらいたいのだと、キースは再びギルド職員へと視線を戻す。
「誰か紹介してもらえませんか?オレは魔法が使えるんです。オレ一人で戦うのでも良い。だから誰か紹介してください、お願いします」
キースはどんどん気が高ぶってくるのを抑えきれず、カウンターに頭をぶつける勢いで、ギルド職員へと懇願し続けるのであった。
いつも拙作をお読み下さり、ありがとうございます。
重ねて誤字報告もお礼申し上げます。<(_ _)>
更新についてですが、明日からはまた出来得る限り、毎日に戻そうかと思っています。
一か月ほど、隔日にお付き合いいただきありがとうございました。
明日からもまた、引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。