【201】逃げ回る階層主
大きなカニは横幅があるだけで、割と厚みのない体を器用に横へ動かし、木々の間を縫うように進んで行く。それでも分かる通り、この空間は全体的に見晴らしが良くないのだ。
ルースとフェルは魔物の後を追うように走っていくが、これが存外脚が速く、ルース達は余り距離を詰める事が出来ないのだった。
ただ逃げ回るカルキノスを追いかけるだけでは戦闘すら始まらず、ルースとフェルは顔を見合わせて肩をすくめてみせた。
この視界の狭さでは、デュオの弓は当てにできないだろう。それならばせめて追いついて直接剣を刺し込みたいのだが…。
「私が脚を止めます」
ルースがそこで言い放つと、フェルは待ってましたとばかりにニヤリと笑った。
「“氷結“」
スライムの時と同様に、ルースはカルキノスを凍らせて脚を止める算段だ。
そしてそれを受けた魔物は、狙い通り白く凍り付きピキリと動きを止めた。
「これで行けるな」
フェルはやっと追いついたとばかりに剣を振り上げるも、その時魔物から魔力が膨れ上がる。
ルースは咄嗟にフェルの前に回り込むと、前方に土の壁を出す。
「“土壁“」
フェルはルースへ振り下ろしそうになる腕を止め、焦ったように声を出した。
「あ?ルース!」
その時壁の向こう側で、何かが砕ける音が響き渡る。
―― パリーンッ! ――
ルースはその音が消えると瞬時に土壁を消し視界を確保すると、そこには凍り付いていた体に自由を取り戻していた魔物が、大きなハサミを振り上げる姿が現れたのだった。
「うおっ!」
フェルとルースは、振り上げられたハサミが下ろされる場所から回避する為に、左右に転がり出た。
「あれは自分の魔力で氷を破壊しました。この手は使えない様です」
ルースは体勢を整え、剣を構えつつフェルに説明した。
ルースが凍らせた体は、相手の魔力によって自由を取り戻してしまったのだ。この魔物の体自体が堅そうな上、魔物の魔法もあって攻撃が通り辛そうだとルースは判断する。
「チッ、面倒だな」
フェルは近付く事さえ出来ない魔物に、イラついているらしい。この階層主を倒さない限り、下の階層へ行く事は出来ないのだ。
「初心者用のくせに、生意気だな」
そこは“さすが階層主“と言うべきではないのかと、ルースは笑みを浮かべつつ、再び逃げるように走り出したカニを追いかけるルースとフェルだった。
多分この魔物の体力は化け物級である為、こうして逃げ回り相手が消耗するのを待って、反撃に出るつもりであろうとルースは思考する。そして魔力を纏ったまま動き回る魔物を見れば、風魔法で補助をしながら走り回っていると思われた。
魔法を攻撃に使わないのであれば、距離を取っていても問題はない。
ルースは一定の距離をあけて追いかけるフェルへ、攻撃を指示する。
「フェル、魔法を」
「おう! あまねく在る賢智の源よ、それは輝きとなりて現れん。“落雷“」
フェルは走りながらもなんとか雷を落とすも、軌道を変えてそれを避けられてしまう。
「私が左側へ魔法を放ちます。フェルは右に落としてください」
「おう」
ルースが即座に、カニの前面に当たる左側へとファイヤーボールを打ち込めば、魔物はそれを避けるように右に進路を変えた。
そこへ詠唱を終えたフェルの雷が落ちれば、魔物はその刺激によって動きを止める。
「フェル」
「おう」
― ヒュンッ ―
距離を詰めて突っ込んで行くルースとフェルの横を、風を纏った矢が通り過ぎていった。
ルースはそれを視界に入れ後方を振り返れば、辛うじて姿が見える位のデュオが、弓を構えたまま全身に魔力を纏っていた。
だが木々が間にあるせいで、それらを縫うようにしなければここまで矢は到達しないはずだが…。
ルースがそう思ったその時、矢に貫かれた魔物の悲鳴が聞こえ、ルースは再び魔物へと視線を転じた。
すると、矢が当たったと思われる脚が一本なくなっており、体勢を崩してたたらを踏む魔物がいた。
そこへフェルがすかさず突っ込んで行くのを横目に、ルースはデュオへ視線を向ければ、嬉しそうに笑むデュオと視線が絡んだ。
デュオは、魔力を纏わせた矢の起動を自在に操る事が出来るようになったのかと、ルースもその笑みに負けぬ笑みを向けてから、魔物へ視線を戻した。
そこには、フェルが硬い甲羅に剣を当て弾かれている姿が見えた。
「フェル、関節です!」
ルースも駆けつけながら、剣が通る場所を伝える。
「おう!」
フェルは即座に体勢を低くして大きなハサミをやり過ごすと、そのまま地を蹴り上げて魔物とすれ違う。その時フェルの剣は、デュオが落とした上の脚を切りつけていた。
第二関節から先を飛ばされた脚に、またバランスを崩した魔物は、もうスピードを出して走れなくなった事で、ルースとフェルの前に立ちふさがるように腰を据えたらしい。
であれば…。
ルースは剣を上段に構え、大きく振り下ろす。
魔物との距離がある為ルースの剣は空を切っていたが、振り下ろされた剣からは突風が吹き抜けて行く。ルースが剣に風魔法を乗せた事で、その魔法は勢いをつけ縦に回転しながら魔物へと到達した。剣から放った風の刃だ。
『ギィィー!!』
悲鳴を上げた魔物は避けようとはしたものの、4本揃っていた側の脚の1本も根元から切られ、体を大きく傾かせた。
前傾姿勢のままこちらに体を向ける魔物は、全身から怒りを溢れさせている。ジワジワと追い詰めるルース達を、苦々し気に見つめている様にさえ見える。
「フェル、口元を狙って下さい」
「おう」
ルースは一番脆弱そうな部分を、フェルに伝えた。
走り回っていた時は上体を起こしていたが、脚の自由を奪われたため前傾姿勢になった魔物は、急所である顔を護るために大きなハサミを振り上げ、息吐く間なくルースとフェルへ振りかざしてくる。
ブウンとうなり音を上げて通過するハサミを躱し、ルースとフェルは左右から挟み込むように左右のハサミを剣と盾でいなす。
「デュオ!」
ルースは、魔物が急所をむき出しにしている所でデュオへと声を掛ければ、既に準備していたデュオから、回転の掛かった矢が放たれた。
― ヒュンッ ―
それは木々の間を縫うようにして軌道を変えながら、大きなカニの口へと突き刺さる。
『グエェェェーッ!』
カニの顔とよばれる部分は小さく、狙いも“口“と限定されていたが、そこに吸い込まれるように刺さった矢を受けた魔物は唸り声を上げたあと、力を失いクタリと地に伏せた。
― ドンッ! ―
土埃が収まるまで、ルースとフェルはそれを見つめていた。
「これが食えたら、旨かっただろうな…」
フェルの呟き声は、戦闘の感想とは別物であった。
そこに残っていた青いカニは、フェルの声に怯えたようにスゥーっと消えていった。
魔物の気配が消えた事で、後方にいたソフィー達がルースの下へ合流すると、森であった場所が一転して土が剥き出す洞窟の風景へと変わった。
「どうなってんだよ、ダンジョンって」
フェルは開いた口がふさがらず、変わってしまった景色に唖然としている。
「ねぇ、見て」
そのフェルにソフィーが声を掛ければ、皆の視線はソフィーが指さす物へと集まった。
「今度は宝箱なのか?」
一階層目の階層主のドロップは、剥き出しの魔石であったが、ここは宝箱が出たようだ。
重そうなその箱は50cm程の横幅があり、持って帰れるものではなさそうだった。
「ここで開けろって事だよね?」
デュオがフェルに視線を向ける。
それを開けてくれと受け取ったらしいフェルが、満面の笑みでその宝箱に手をついた。
皆が固唾をのんで見守る中、フェルはロックをカチリとはずし、その蓋を重そうに持ち上げたのであった。
いつも拙作にお付き合い下さり、ありがとうございます。
次回の更新は、8月13日となります。
引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。