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【187】子供のまま

「っ来るな!」


 フレーリーの叫び声が聞こえ、キースが視線を再び父親へと向ければ、魔物が近付いてきた事に気付いたフレーリーが海に浸りながらも剣を抜き、魔物の影を凝視していた。


「父さん!!」


 キースが叫んだのと同時、惰性で動いていたはずの魔物は、頭から血を流しつつもフレーリーの前で鎌首をもたげ口を大きく開いたのだった。

 そして止める間もなくフレーリーはそこを目掛け、不安定な海面で剣を突き出し、右腕ごとその口の中へ深々と剣を押し込んだ。


『ギシァー!!』


 フレーリーの突き上げた剣が急所を貫通したのか、それで動きを止めた蛇はガチリと口を閉じ、ゆっくりと海の中へと沈んでいった。


 キースはその光景を海の中から、ただ見つめている事しかできなかった。

 そうしてザバッとフレーリーから大量の血が飛び散ったかと思えば、突き出していた剣と共に、フレーリーの二の腕から先がなくなっていたのだった。


「父さん!!!」

 キースは急いで父親の下へと水を掻き進んで行くも、フレーリーは体から力が抜けてしまったように、小さな板に寄りかかるようにして、辛うじて水面に顔を出している状態だった。

 急がなくては!

 その数メートルさえ遠く感じるほどの葛藤の中、ようやく父の体に腕を回し、キースはその顔を覗き込んだ。


「父さん!」

 キースが覗き込んだその顔からは血の気が引き、元々海中にいた事で体温を奪われてしまうところを、更に血を流してぐったりとした状態になっていた。


 キースがそうしている間に船から小舟が下ろされ、ノイラ船長が乗って真っ先にフレーリーの所まできてくれていた。

 そしてすぐに船に引き上げられたフレーリーは、出血を抑える為に腕の根元を縛り、既に失っている体温を上げる為キースが温風を出して温めながら、所々破損の目立つ船の医務室へと運ばれていったのだった。

 そしてチタニアの治癒魔法によって、フレーリーは辛うじて一命をとりとめたのである。


 その後、運行には支障がないと分かった船は、海に落ちた者達を救助すると、ルカルトの町を目指し再び出航した。

 船員たちは仲間を失い、皆沈痛の面持ちで入港の作業を進めていく。

 やっと港へ帰れるというのに、浮かれた者はもう誰一人としていなかったのである。


 こうして1日の距離を無事に進みルカルトの町へ入港すると、破損の目立つ船に皆が目を留める中、フレーリーを船員たちに運んでもらい、キース達は住み慣れた粗末な家へと戻って行ったのだった。


 長屋の前を通るキース達を見た住人達は、担がれ意識のないフレーリーを見て誰も声を掛ける事すらできず、事情を察したのであろうか、痛々しい表情を浮かべキース達を見送っていたのだった。




 それからキースは父親の意識が戻るまで、体を拭きチタニアに渡されたポーションを少しずつフレーリーの口へと流し入れ、看病を続けていった。

 チタニアによれば、フレーリーは体の血を流し過ぎた事と体温が低下していた事などにより、重篤な状態であると説明を受けた。だがこれ以上は魔女でも治癒は難しく、あとは本人の体力次第であり、ポーションを与えて血のめぐりを戻す事で、意識が戻ってくるだろうと言われていたのだった。


「父さん…」


 キースは3日経っても目覚めぬ父親の傍を離れず、かいがいしく世話をしているが、小さな家にいつも溢れていた会話もなく、この世界にたった一人になってしまった様な寂しさを覚えていた。


 それでも、父がいつでも目を覚ましても良いように、湯を沸かし重湯を作る事は忘れなかったが、キースはその間生きた心地もせずただ父の回復だけを願い、おぼろげに生きていたようにさえ思えた。

 自分には父親の存在が全てであったのだと、キースは今更ながらに思い知らされたのである。


 こうしてフレーリーの意識がなくなり4日目の昼過ぎ、やっとフレーリーの瞼が動き、その視線を傍に座るキースへ向けたのである。

「キ…」

 喉が掠れているのか声を詰まらせた父親の為に、キースは慌ててポットから白湯を注いだカップを持ち、父親の体をゆっくりと起こしてやる。


「ゆっくり飲んで」

 言葉少なにキースはその父を見守ると、父の肩がピクリと揺れ、なくなった右手でカップを取ろうとしたことを察した。その時のフレーリーの表情は、驚きを含んだ後すぐに諦めたものになった。

 自分の右腕がもうないのだと思い出したのであろう、左手を出してカップを弱々しく握ると、それをゆっくりと口元へ運んだ。

「ゲホッゲホ」

「父さん、少しずつね」

「ん…ああ」

 急に喉に入れたからか少々(むせ)てしまったものの、時間をかけカップ一杯の水を飲んだフレーリーを、キースは再び横にしてやった。


「何か食べれそう?」

 キースの問いにフレーリーは首を振る。

「そう。オレは傍にいるから、喉が渇いたり腹が減ったらいつでも言ってよ」

 そう明るく声を掛けるも、フレーリーの表情は動かなかった。

「他の奴らは…」

 何の事かを聞かずとも、キースは父親があの船の船員の事を言っているのだと分かった。

「…3人」

「そうか…」


 あの時の襲撃で海に投げ出された者の内、3人の船員を見つけ出す事が出来なかったのだった。

「俺達が居たのにな…」

 自分達は護衛として雇われていたのにと、言いたいのだ。


 しかし小さな魔物であればいざ知らず、あれは想定外の大きさの魔物の襲撃であり、キースもフレーリーも最善を尽くして戦ったと言わせて欲しい。

 しかし船員3人と父親の右腕を失って、キースが責任を感じている事も確かである。


 自分がもっと強かったなら、自分がきちんと(とど)めをさせていたのなら、父親は腕を犠牲にする事もなかったはずであると…。

 キースはきつく目を瞑り、拳を握り締めその感情に耐えた。


「お前は一人で良くやった。俺も最後に護衛としての役目を果たせて、ホッとしているよ」


 まるでキースの心を慰めるかのような父親の声を聞き、キースは泣きたくなった。

 自分は二十歳になってもまだ子供のままで、これでは父親の背中に隠れ安心している子供ではないかと。

 そんな考えが頭をよぎったが、今は父親に元気になってもらう事が先だ。

 キースは後ろ向きになりそうな考えを振り払い、父親へとなけなしの笑みを向けたのだった。


 これから冬に入りどんどんこの家は寒くなってくる。いくら気候の良いこの港町も、真冬になればやはり寒さも厳しくなり、この粗末な家は冷気が浸み込んで来るのだ。

 それまでには父も元気になってくれるだろうと、根拠のない考えに今は縋りつき、再び目を瞑った父親の顔を見つめたキースは、今度は自分が父親を支えていくのだと、心の中で硬く誓ったのであった。



 それから暫くすれば、ルカルトの町にもチラチラと雪が舞うようになった。


 父親は体を起こせるようにはなったものの、暫く寝込んでいた事もあり段々と筋肉も落ち、逞しかった体も小さくなっていった。

 それでなくとも利き腕を失い、何をするにも不自由になってしまったフレーリーが、食事も量を摂る事が出来なくなってしまったのも一つの要因であろう。


 そんな父を家に残しキース一人で働きに出る事にしたものの、長期で家を空ける訳にも行かず、漁船は沿岸漁業を営む船に近場の同乗をさせてもらい日帰りの仕事を優先した。


 だがそれは沖合漁船の賃金よりも安く、毎日のように働かせてもらっても、キース達の生活は以前ほどの余裕はなくなったのだった。


 父親の怪我がいくら仕事中の事故であったとは言え、フレーリーもキースも、どのギルドにも属していなかった事で、ギルドから支給されるはずの見舞金や援助金などを受ける事も出来ず、じりじりと今までの僅かな貯えさえ切り崩していく生活を続けていった。


 それが分かっている父親は、以前の会話も忘れたかのように段々と口数も減り、笑顔さえなくなっていった。

 時々、ノイラ船長や以前世話になった船の船長たちが差し入れを持って訪ねてきてくれるが、それも船が出てしまえば皆いなくなり、あとは近所の人達が日に何度か声を掛けてくれる位の寂しいものとなっていった。


 キースが家を留守にする間、フレーリーは少しでもと家事を手伝ってくれていたが、その間、凍えるような室内であっても節約のためにと火さえ熾さず、寒さを我慢していたらしかった。

 キースがそれに気付いた時には、父親は風邪をひき重い咳を繰り返すようになっていた。


「父さん…」


 キース一人の稼ぎでは父親を養うのは難しく、自分の考えの甘さに自責の念にかられながら、キースは熱を出した父親の看病を続けている。

 そして時々目を開ける父は、キースへいつも感謝の言葉を伝えてくれる。


「ありがとうキース」


 そう言われる度キースはやりきれない気持ちを隠し、安心させるために父親に笑顔を向けるのであった。


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