【186】忍び寄る影
「ん?何だありゃ…」
見張り台の上に立つ船員が独り言ちた。
それは陽の光を受けて反射する海面に不自然さを感じたからで、船員の勘とでも言うのだろう、素人では気付かぬ程の小さな変化であった。
その呟きを拾った地獄耳の船員が、下から声を張り上げた。
「どーかしたか?!」
「向こうの海面が変なんだ!」
大声で話している為それは他の船員にも聞こえる訳で、それらの声を拾ったキースも、見張り台から身を乗り出すように見ている者の視線を辿った。
今日は穏やかと言えど多少の追い風があり、その風は常に海面に変化をもたらす為、一見すると何処の事だかわからない。
「ああ!確かに何かいるな!そっから何かわかんないのか?」
「こっちからでも逆光で、目視出来ないんだ!」
そんな会話に、皆わらわらと甲板に姿を現す中、当然ながらノイラ船長も甲板にやってきた。
「どうしたボノ!」
見張り台に立つボノへと、船長は視線すら向けずに尋ねた。
「左舷8時方向!約9マイル先に違和感です!ですが、目視では確認が取れません!」
ボノの報告を受け、魔導具である双眼鏡を覗き込んだノイラは、ボノが言った意味を確認した。
確かに何かがいるようで、大きな魚か魔物の区別は付かないが、船員の安全を第一に考えなければならぬ船長としては、ここは警戒するに越したことはない。
「ボノはそのまま!他は配置につけ!未確認生物がこちらへ向かっているが魔物の可能性もある。気をぬくんじゃねーぞ!」
こうして人力では最速でその陰に気付いたものの、その物からすれば、そんな準備は意味のないものであった。初めに異変に気付いてから10分もすれば、それは静かに距離を詰め、船の近くまで忍び寄っていたのだ。
「船長!蛇だ!」
見張り台からそれを追っていたボノは、その影の全形を確認して声を張り上げた。
「チッ!シーサーペントかっ!」
シーサーペントは海にいる魔物の中では珍しくないが、それは個体の大きさによりまた異なってくる。
「体長の推定、10m」
ボノの声に、船員たちは一斉に息をのむ。
それはいつも見掛ける2m程の物よりも、更に成長を遂げているのだと知る。
2m程度のものであれば、魚と一緒に網にかかる事もあるため見慣れた大きさともいえるが、その体が10mともなれば、縦にも横にもその大きさは膨らみ、強い個体だと想像できた。
この船の全長は50m程で漁船の中では大型ではあるものの、海の上に出てしまえばその大きさは心もとない。
そして対するシーサーペントは10m程だというから、丸のみにされる事はないだろうが、攻撃されれば船も無傷では済まないだろう。
「キース!」
船長はキースの名を呼んだ。
キースの魔法の力に頼らねば、この船が藻くずとなる事を船長は理解したのだ。
「船長、近すぎるから船を包むのはもう無理だ。あれを攻撃して追い払うしかない」
そう言ったキースの隣には、フレーリーが並び立った。
その言葉に神妙に頷いた船長の手には、既に腰にある剣の柄が握られていた。
「お前達、船の進路と魔物の動きに注意しろ!持ってかれるんじゃねーぞ!」
「「「「「おおー!」」」」」
シーサーペントはこの船に乗る者達を、一人残らず飲み込むつもりなのだろう。
ここまで大きくなった個体であれば、今まで人が乗る船と会った事もあるはずで、だからこそ人の味を覚えたこの個体は、船という人が乗る物を襲う事で腹を満たすつもりなのかも知れないと、執拗に追いかけてくる影に、キースは背中に冷たい汗が伝い落ちるのを感じていた。
遠距離攻撃が出来るものは、この中でキース一人だけだ。
船には多少の槍を積んでいるだろうが、他の者は魔物がこの船に乗り上げるか、海に落ちてからでなければ接触する事は出来ないだろう。
キースは一度、その影を振り切るように帆に風を当て加速させてから、泳ぐその影を視界に捉える。
「いきます! “竜巻槍“」
船上から発したキースの渦巻く風は、先を尖らせてその影へと落ちる。
― ザバッ! ―
先制した魔法が当たったシーサーペントは、海中からその胸程までを海上へと押し上げ、その首元から一筋の赤い液体をタラリと白い体に滴らせた。
かすり傷程度の傷を負わされたシーサーペントは、攻撃された事を理解すると、その巨大な頭にある口を大きく開き、威嚇の咆哮を轟かせた。
『シャアアァァー!!』
船から50m程の距離に鎌首をもたげた魔物は、再び海中へと首を沈めた。
「来るぞ!!」
船長の怒鳴り声が飛び、船員たちも船を守るために動き出す。そうして何人かが槍を海に投げ込むも、それは敢え無く躱されて行く。
―― ドーンッ! ――
船底から鈍い音が響く。
シーサーペントが体をぶつけてきたのだ。
「「「「「うあぁー!」」」」」
グラリと大きく傾く船に、船員たちの叫び声が広がった。
「振り落とされるなっ!!」
ノイラ船長の声がどこまで届いているのかは分からないが、船員たちは海に投げ出されないよう必死に船にしがみ付いている。
キースも船縁を掴む手に力を込め、魔物の影を追いかけるように海中を覗き込んだ。
「“竜巻槍“」
視界を横切る陰にキースは連続して魔法を打ち込むが、その影はスルリと長い体をひるがえし、キースが放つ魔法を躱していく。
もっと速く。もっと威力を上げて。
キースは現状で出来る事を模索しつつ魔法を送り出すが、その影は船の底へと潜り込み執拗に船に打撃を与えてくる。そのたびに船は大きく揺れて人の叫び声が響いた。
「うわああー!!」
「ザント!!」
―― ドッボーンッ! ――
「ザントーっ!!!」
船員が振り落とされて海中へと投げ出され、影はその船員を追って動いて行った。
投げ出されたザントを救出しようとロープを海へ投げるも、それを掴まぬ内にザントは悲鳴を上げ白い頭の中へと消えていった。
キースは魔法を放ちつつも、視界にそれを捉え、奥歯が欠けるほど歯を食いしばった。
キースがこうして魔物を自由にさせている間、友達のような気心しれた船員たちは海に投げ出され、魔物の餌食となってゆく。
ここは海の直中であり、他に逃げる場所はない。そして喩え船は残っても、今のままでは船員が一人もいなくなってしまうだろう。
キースは体にある魔力を惜しげもなく引き出し、祈るように言葉を紡いだ。
「“凍結砲弾“」
キースが放った15m程に膨らませた氷魔法は、海面に姿を現したシーサーペントを包み込むように着弾すると、海水を含めたその一帯を凍らせていった。そして動きを止めたその巨体は、氷に包まれたまま海面にプカリと浮きあがる。
しかしいくら動きが止まったとは言え、それはまだ生きており、氷が解けてしまえば再びこの船を襲う。
「キース!!」
その状況を視界に入れたノイラ船長が、その次をと急かすようにキースの名を叫んだ。
キースは今の一撃で、一気に魔力を引き出した為に倦怠感に見舞われているが、まだ相手が生きている以上、キースはその行く手を阻まねばならない。
「“氷杭“」
今度はその氷目掛け、太い氷の杭を投げつける。
それは氷を砕きながらシーサーペントの頭へと突き刺さった。
―― パリーンッ! ――
氷を砕きその身に到達した杭であったが致命傷にまでは至っておらず、しかも氷が砕けた事によりその体は再び自由となって、魔物は最後の抵抗を見せのたうち回った。
それは船から20mも離れていない場所であった為、再び船は大きく揺れて数名が船外へと投げ出された。
「うわー!!」
―― ドッボーンッ! ――
―― ドボンッ! ――
―― ドッボーンッ! ――
「アージス!!エミル!!」
「ポーター!!」
「フレーリー!!」
「サミュエルー!!」
落ちた者達の名を叫ぶ人の声に、耳慣れた名前が飛び込んできた。
「おいっ!フレーリー!!」
キースはその声にハッと振り向くと、落ちた者達を探して船縁に集まる人達の中へ飛び込んだ。
しかしその最中も魔物は暴れており、大量に血を流し海の色を赤く染めながらもその身をくねらせていた。
またガクリと大きく船が揺れ、キースは船に掴まりつつも海の中にいるはずのものを探す。
中々収まらない揺れに、それでもキースは目を凝らして父親の姿を探していた。
「あそこだ!」
いつのまに来たのか、隣の船長が海を指さしキースがそれを目で追えば、フレーリーが海面に顔を出し小さな板に掴まっているのが見えた。
「父さん!」
船から約40mの所にその姿を確認したキースは、身を乗り出し無我夢中で海に飛び込むと、泡を立てる海の中から急ぎ浮上しその方向へと泳ぎ出した。
「キース!」
船から名を呼ばれるも、振り返る余裕もなくキースは父の下へと泳ぎ続ける。
しかし続けてノイラ船長の声が追いかけてきた。
「そっちに魔物が行った!キース!!」
その声に危険を察知したキースは、皆が指さす方へと顔を巡らせてみれば、それは徐々に父親の方へと迫っている様に見え、キースは大きく目を開いた。
「とうさん!!!」
キースは再び急いで泳ぎ向かうも、もう力も余り残っていないはずの魔物が、先にフレーリーの下へと近付いて行ってしまったのだった。
補足:作中の距離「約9マイル≒約15キロ」です。
こんばんは、盛嵜です。
いつも拙作をお読み下さり、ありがとうございます。
重ねて誤字報告もお礼申し上げます。<(_ _)>
もうお気付きの方もいらっしゃると思いますが、このお話のタイトルを昨日一部変更いたしました。
活動報告には記載しておりましたが、タイトルが今ひとつしっくりきておらず、お話しの途中ですが改変しようと考えておりました。
今日現在は変更したままの状態になっておりますが、もう少し改変する事になるかとも思います。(もしくは大幅リニューアル)
混乱とご迷惑をおかけいたしますが、ご容赦下さいますよう何卒お願い申し上げます。
また、読者の皆様で何かご意見等ございましたら、活動報告へコメント下さると助かります。^^;
そのような感じでまだまだ未熟な筆者ではございますが、引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。