【183】勝利に繋げ
「よーし!皆、網を引き上げるぞ!」
「「「「「おおー!!」」」」」
それから数日の航海を経て漁場に着いた船は、仕掛けてあった定置網を引き上げる為に、声を出し合ってその作業に当たる。
「ほらそこっ!ボラン!遅れてるぞ!」
「はいっ!」
この網の引き上げはいくら魔導具の滑車を使っていても、補助をする人力がバランスよく配置されていなければ、うまく引き上げる事は出来ないのだ。
「「「おー!」」」
「「「えいやー!」」」
「「「おー!」」」
「「「えいやー!」」」
そんな独特の拍子に合わせ、魚が大量に入った網を引き揚げる。
― ドサッ ザザーッ ―
「うわぁー!」
「またクラーケンが入ってやがる!」
「皆下がれ!!」
いつもこの定置網には何かしらの魔物が紛れ込んでおり、その息の根を止めるのはフレーリーの役目で、甲板に打ち上げられた魚に交じる小振りのクラーケンに即座に反応したフレーリーが、皆を下がらせ自ら前に出ると、甲板上でのたうち回るクラーケンの急所に剣を突き立てる。
『キイーッ!』
毎度の事とはいえ暴れる魔物に船を破壊されれば、この船の乗組員全員の命を失う事になり兼ねない。
その為の護衛として、フレーリーは色々な船から仕事の依頼をもらっているのだ。まずは船員に怪我をさせないよう退避させ、暴れる魔物を速やかに仕留めなければならないのである。
そうして甲板が落ち着けば、再びキースの出番がやってくる。
皆が網から魚を外し船内の水槽へ放り込んでいけば、帰路の間の魚の鮮度を保つ為、キースはその水槽に氷を作って落としていく。ここは海水を入れる水槽であるが、時々キースが氷を落とし低温で眠らせる事で、暴れて魚同士の体を傷つけないよう配慮するのだと説明を受けていた。
「本当にお前さんたち親子は、使える人材だなあ」
ガハハと豪快にバーネットが哄笑するのはいつもの事で、フレーリーもキースもその言葉に構わず、次の網を仕掛ける船員の手伝いを始めている。
この様にしてルカルトの町の粗末な家に住む親子は、日々の暮らしの為に港から出る船に乗り、その勤めを果たしていたのである。
しかしそんな2人は一つの船に専属で雇われている訳ではなく、船によっては漁に出る期間が空くものもある為、その都度船の都合で声を掛けてもらう言わば日雇いのような立場で、多数の船員を抱える船でさえフレーリー達の一日の収入は他の船員と大差ないと言って良い額であった。
「もっと金額あげてくれねーかなぁ」
キースは家で父親と二人、夕食の支度をしながらそう零した。
「何を言ってるキース。こうしてギルドに属さない俺達を、雇ってくれているだけでも有難い話なんだ。贅沢言うもんじゃないぞ」
「……何で父さんは、ギルドに入らないんだ?」
フレーリーは剣士の職業を持つが、どのギルドにも属さず生活をしている。
その為身元の保証もなく普通であれば仕事が得られないのだが、知り合いになった漁師達が仕事を依頼してくれるので、何とか生活できていると言えるのだ。
「ギルドは面倒だ」
そうぶっきらぼうに言う父親を、キースは困った者を見るように眉を下げて見つめた。
この父親がキースの本当の親ではない事をキースはとっくに気付いているが、キースは敢えて父親から何かを言われるまではと知らない振りをしてきているのだ。
その事と何か関係があるのだろうかとキースは思い至り、「そう」とだけ返事をしてその話を終わらせた。
このフレーリーという人物は多くを語らなかった。
人から聞いた話では、昔は他の町で傭兵のような事をしていたようなのだが、キースが記憶する頃からの父はもうこの町に住み、今のように船に乗り込んで生活をしていた。
なぜそうしてくれるのは分からないが、キースを本当の息子のように面倒を見てくれいつも気にかけてくれる、キースにとっては本当の父親なのだった。
だからそれがいつまでも続く様にと、キースも敢えて尋ねる事はせず、日々父と船に乗る生活を続けていたのだった。
そんなある日、今日も別の漁船から声がかかり、2人はその船に乗り込んでいた。
この船の船長とも付き合いは長く、時期を置いて時々出港するこの漁船にはもう何回も乗せてもらっていた。
この船はバーネットの所持する船よりも大きく船員も多いが、その分一度海に出れば一か月程戻っては来ず、その為一度船を出した後は次の出港まで、準備の為3か月から半年ほどの期間をあけるという遠洋漁業専門の船だった。
「おう2人共、きてくれたか」
「ノイラ船長、今回も声を掛けてくれて感謝する」
「いいや、こっちの都合で呼んでるだけだから、そこは気にすんなって。お前さんたち親子が居てくれりゃあ、航行も楽になるしよ」
カカッと笑うノイラも、他の船乗りのように豪快な男だ。
このノイラも自ら剣を持つが、その長旅では戦闘員は何人いても足りないのだ。
「今回はどれ位?」
キースは航行日程を確認するも、いつもの通り一か月だと大雑把な返事が来て、キースは黙ってそれに頷く。
あくまでこれは予定であり、いざ海に出ればいつ何時何が起きるのか分からないのが、海の怖いところであり緊張するところでもある。
「まあ今回も、何もない事を祈っていてくれって事だな」
カカッと再び哄笑する船長は、他の船員に指示を出す為に去っていった。
フレーリーもキースも、ここからは気を引き締めて一か月を過ごす事になる。
この様な長期の仕事は、多少実入りは良いが、その分気力と体力が必要になるのだ。
「じゃぁ俺達も準備だ」
「そうだった」
こうして大型船に乗り込んだフレーリーとキースは、ルカルトの町を一か月離れる事になったのである。
今回の船旅も順調に進み、風のない日はキースが船長の指示のもと風を作り出し、船足を維持する事に努める。途中別の港に寄港し食料や物資の補給をしつつ、船は順調に進んだかと思われた。
「船長!嵐が来ますぜ!」
見張り台にのぼる船員から大声が降る。
今は夕闇迫る時間だ。間もなく陽が落ちれば海の上には暗闇がのしかかってくる。
そんな真っ暗な視界の中で嵐にあってしまえば、船は知らぬ内に流され、浅瀬に乗り上げ座礁する恐れもあるし、嵐の規模によっては船すら破壊される風をまき散らす事もあるのだった。
船長は船員の声でその方向を確認すると、距離と通過する方角を瞬時に理解し、今の最善の指令を出さねばならない。
「全員配置に着け!このまま南西に流されれば、岩礁に乗り上げる事になる。お前達、あの嵐をここでやり過ごすぞ!全ての錨を下ろせ!!」
「「「「「おおー!!」」」」」
船長の判断に従い、全員が今取る行動に出る。
錨を下ろす者達、大波に備えて荷物を括りつける者達と、皆長く船に乗る船員をリーダーにして、次の指示を待たずともアリの巣をつついた様に動き出した。
「ノイラ船長」
キースは強面の顔に、更に深くシワを刻む船長の傍へと近付いた。
その頭上では、大きな帆を畳む船員たちがせわしなく動く気配がする。
「どうしたキース、手短に言え」
緊張をはらんだ船長の顔にはいつも目尻に作るシワはなく、その分眉間のシワを濃くしていた。
「オレが魔法を使ってみる」
キースの申し出に、どういう事かとノイラは片眉を上げた。
「防御の魔法で船を包み込めれば、多少は被害が抑えられると思うんだ。でもまだこの大きさの船では一度も試したことがない。だから失敗したら、ごめん」
キースの言っている事は、行き当たりばったりに聞こえただろう。
キースは今まで乗せてもらった船を守るために、何度か防御魔法で船を包み込み魔物を防いだことはあるが、まだこの大きさの船を包み込めるほどの魔法を使った事がなく、もし発動出来たとしてもその魔力がいつまで持つのかもわからないのだった。
「誰にでも初めてはある。駄目で元々と考えりゃあ、その申し出は悪くないぜ」
ニヤリと口角を上げたノイラは、キースの申し出に快く許可を出した。
「ただし、俺が合図を出してからやってくれ。ギリギリまでは踏ん張ってみる。お前の魔力がどれ位あるのかは知らねえが、折角できても途中でぶっ倒れるより、少しでも遅らせてから始めた方が最後まで持つ確率も上がる」
「わかった。タイミングは任せるよ」
「おう。頼むぜキース」
バシッとキースの背中を叩いた船長の力で、キースは前につんのめる。
「やる前に、オレを殺さないでくれよ?」
その力の入れ具合に文句を言うキースに、船長はガハハと笑って船員たちの空気を入れ替えた。
その船長の余裕を見た船員たちは、強張っていた顔を緩め、この人に任せれば大丈夫だと安心した表情を浮かべた。
こうしてキースが何気なく伝えた申し出によって、船全体が落ち着きを取り戻していった。
「右舷5時方向より、約11ノットでこちらへ向かって来ており、予測では後60分程で嵐の外周がここへ到達します!」
「皆聞いたな?これより嵐をここで迎え撃つ!各自あと30分以内に、今できる全ての事をしてその時に備えろ!万が一のために、救命艇をすぐに使える状態にしておけ!この嵐をやり過ごす事が出来れば、俺達の勝利だ!!」
「「「「「おうー!!」」」」」
追記:船の用語は難しいですね。という事で読まなくても良い位の軽い作中用語の補足です。(筆者も調査不足で誤記がありましたらすみません)
右舷=船尾から船首に向かって右側のこと。5時とはアナログ時計の5時を指す方向
約11ノット=一応時速20キロを目安にしましたので約11ノット。自転車より速いかなという感じです。
60分=上記の時速を換算し1キロを3分程度で進む事を想定して計算しており、20キロ先に雲の塊が見えている計算にしています。(粗は多そうですが…^^;)