【180】間一髪?
子供は何も考えず、皆を助けようと思い目先の事に飛びついた。
それで多少の目的を果たせたかもしれないが、それによって支払う代償は大きかった。
それは、たかが子供の戯言だと済ますには余りにも大きな代償で、今までの生活や住むところさえも失う事になるであろう結果。
“少しなら大丈夫“、“こんな話は広まらないだろう“と軽い気持ちで考えた事であろうと、その先に続く結果が全てであり、一度広まった噂は更に広まっていく事だろう。
これに関してルース達はどうする事も出来ず、少女は諭されて、初めて取り返しのつかない事をしたと自覚できている様子であった。
「ごめんなさい」
小さな謝罪の言葉が落ちるも、それに返す言葉はない。
この父親も自分の子供がしでかしたことに、いくら小さいと言えど村全体が影響するはずで、ローズの家族は一生肩身の狭い思いをする事になるはずだ。
「父さんにではなく、その謝罪はここに住まう精霊に伝えなければならない。私達はここを離れれば良いだけの話だが、この泉は隠れる事すら出来ないのだから」
疲れ切ったように父親がそう言ってローズの頭をポンと叩けば、言われたローズはその通りに泉へ向かい深々と頭を下げた。
「あなた達の静かな生活を奪ってしまってごめんなさい」
そうして頭を下げたローズの隣で、父親も一緒に頭を下げている。
この父親は精霊が視えていない様子であるものの、その存在を否定する事はせず、精霊を命ある者として丁寧に扱っている様だった。
そんな2人の前にある泉が、突然輝きを増した。
それは目を瞑っていても分かる程の輝きで、2人はそれに気付き頭を上げて泉に目を向けるも、余りの眩しさに目を瞑り手をかざしている。それは傍で見ていたルース達も同様だった。
そうして光が収まり手をどけると、ルース達の目の前にあった泉は、忽然とその姿を消していたのだ。
「は?」
驚きにフェルの声が落ちる。
『場所を移したか』
何かを察知したのか、状況を見たネージュが念話を送る。
「泉が場所を移したのですか?」
ルースがネージュに尋ねると、ルースの言葉を聞いたローズの父親が、なぜかホッとした様に肩の力を抜いたのだった。
「良かった…。移動してくださったか…」
自分達の水場がなくなったというのに、この父親は安心した様にそう呟いた。
「どういう事ですか?」
デュオが父親に尋ねれば、自分達の祖先の言い伝えだという事を教えてくれた。
「私達はここにあった泉と共に生きる民です。私達は自分達を“泉の民“と呼んでいます。私達の間では何百年かに一度、泉は場所を変えると言われてきました。私達はそれを追って、移動しながら暮らしてきた者達です」
それではこの泉が移動できる事を知っていたという訳で、では今回の事も、はなから移動させればすむ話ではないのかと尋ねれば、それは人の力では出来ない事だと言われた。
「しかし私達を見限れば、泉は移動ではなく枯れてしまいます。今回泉ごとなくなっている事を思えば、移動して下さったのだと解りました。私達は再び泉を探し、移動しなければなりません。それはいつ何時おこる事かもわかりませんから、人間の都合ではどうにもならない事なのです」
そう言った父親は、緊張をはらんだ表情でソフィーを見た。
「あなたは聖女様ではありませんか?」
なぜか確信を持って、父親は問う。
「なぜ、そう思われるのですか?」
戸惑うソフィーの代わりに、ルースは動揺を隠し冷静に問い返した。
「私達の言い伝えでは泉に聖女様が訪れる時、泉は移動していくというものがあります。精霊はいつの世も聖女様に会うために、その時を求めて移動していくのだと。今回の事もその流れのひとつとして、聖女様にお会いし、役目を終えて移動したのだと思いました」
「流れ…」
先程精霊王も“流れ“と言っていたと、ルースは思い出す。
「ええ。泉の精霊は我々に、全ての者は時の流れの中にある小さな存在であると伝えています。私達も小川の流れに浮かぶ木の葉のように、時間の流れに従い生きて行く者。その流れに逆らう事なく自然に身を任せ、泉と共に在るものと自負しております」
だから、また泉を追いかけて移動していくという事のようだった。
「泉が移り行くという話は親から聞かされる話の中だけの事で、その話は夢物語だと思ってきました。それを私は、自分の目で見る事が出来ました。今のこの気持ちは言葉で表せない程、歓喜に満たされています」
そう言った父親は、優しい手つきでローズの頭を撫でた。
「聖女様、癒しの泉の事はどうかご内密にしてください。私達がここを離れれば、この子が流した噂もいつかは消えてゆくでしょう。私達は泉の秘密を表に出す事を望みません。それはこれからも続いて行く、私達の小さな望みです」
その話をしている間に、下から村人らしき人達が15人程、この野原に集まってきていた。
この父親が先に声を掛けたのか、泉が移動していった事を察知したのかは分からないが、ここにいる者達が泉の民と言っている者達なのだろう。
「ええ。私達はただここを通りかかっただけで、何も見ていないし何も知りません。そして私達は、ただの旅人です」
ソフィーはその願いの代わりに、自分達の事も知らない事にして欲しいと暗に言っていた。
「はい。仰せのままに」
ローズの父親がそう応えれば、村人皆がそろって頭を下げた。
それにしても村人達の人数が少ないとルースが感じていれば、その視線に気付いたのか、父親が笑みを浮かべてルースに説明してくれた。
「私達は、精霊が視える者の家族と数家族を残し、他の者は国中に散って行きます。この泉の民は少人数でなければ、営みを維持していけないのです。そして時々伴侶を連れ、戻ってくる者が居着く場合もあります。それはどこに移動しようとも、泉の民には泉の場所がわかるからです。泉の民は何かあれば、いつでも泉の所へと戻ってくる事ができるのです」
「泉の場所がわかるとは、凄い事ですね。何かのスキルなのでしょうか」
ルースは疑問に思い、尋ねてみた。
「スキルかどうかはわかりません。私達は教会と距離を置いて生活していますから、自分達のステータスを調べる事はないのです」
「え?」
ただ何となく聞いていたフェルも、その言葉には驚いた様だった。
「教会が泉の存在を知れば、私達から奪いに来るでしょう。それだけは何があっても、避けなければなりません」
「では今回の移動は、良い機会だったという事ですね」
ルースは、話の途中から顔色が悪くなっていったローズを見て、笑みを見せた。
「はい。そういう事だと思います」
ローズの父親も、ルースの気遣いに気付いたのか笑みを浮かべた。
「それでは、私達はすぐに出発の準備に取り掛からねばなりませんので、これで失礼いたします」
そう言うとローズの手を握り、父親達は踵を返し、獣道を一人また一人と下りていった。
最後に残ったローズは、ソフィー達を振り返り口元を動かした。
“聖女様、ありがとう“
そう伝えた少女は父親達に連れられ、何もなくなった山を下りていったのだった。
「まるで嵐だったね」
デュオが彼らを見送った後、そう呟いた。
「確かに嵐みたいな子だったな…」
フェルも同意の声を落とす。
ルース達は一旦木陰に入ると、そこで腰を下ろした。
先ほど雨宿りの為に休憩はしたものの、その後の出来事で気力を使ってしまった為、仕切り直しという意味も兼ね、泉のなくなった野原を見回している。
「ねえさっき、ルースは精霊王に何をされたの?」
ソフィーは一部始終を見ていたはずが、ずっと気になっていたのだと、そうルースに聞いた。
「私にもわかりません。ただ魔力が体の中を通っていったとしか、分かりませんでした」
「祝福って言ってなかったか?何かもらったんじゃないか?」
「そういえば、綻びがどうとかも言ってたよね?」
やっとメンバーだけになったからか、皆がそれぞれに考えを口にする。
「綻び…」
ルースは自身に問いかけるように目を瞑った。
“解れが綻びとなり広がっていく“
それは精霊王の弁であるが、精霊王の話全てが抽象的であり、ルース達は答えを出せずに謎が深まるばかりだった。
「私も言われたわ?“流れを掴むことが出来れば手の中に入る“って」
「全てにおいて、精霊王は意味不明だな…」
フェルは肩をすぼめ、目玉をグルリと回して見せた。
『その言葉は、その時になれば解る事であろう。我ら聖獣と同じく、精霊も何かしらの柵を持っておるゆえ、直接的な言葉にできぬ理由でもあったのであろう』
ネージュの念話に、それもそうだとルース達は得心する。
そこへまた、人の気配がここへ上がってくるとルースは気付いた。
『害はない者のようじゃ』
ネージュも気配を感知していた様で、ルースの表情の変化に気付き補足してくれた。
「そのようですね…3人?こちらへ向かって来ています」
「村の人か?」
「さぁ、そこまでは…」
「何か忘れ物かなぁ」
そんな事を話していれば、3人の男性が息を切らして野原へ到着した。
そして辺りをキョロキョロ見回すと、ガックリと3人は膝をつき項垂れてしまった。
「何もないじゃないか…」
「やっぱりなぁ。うますぎる話だと思ったんだよ」
「うぅ、すまない…」
そう話している人達は噂を聞きつけてきた者達のようで、何もない野原を見つめ、脱力した様子でへたり込んでいた。
それを離れて見ていたルース達の間に、小さな笑みが落とされた。
「事が済んだ後で良かったわね」
とは、ソフィーの囁きである。




