【178】大きな輝き
「それで、先程ネージュが言っていた事ですが、それはどういう事でしょうか?」
ネージュは精霊がこの泉の底に沈んでいると言った。
聖女の話に気を取られてしまったが、とルースは輝く泉に目を細めた。
『そのままの意味よ。この泉には精霊が沈んでおる』
ネージュはその言葉を繰り返した。
「それは貴方がした事ですか?」
ルースは事実を確認するように、責めるでもなく少女に淡々と尋ねる。
「そ…それは…」
「その様子じゃどちらにせよ、何か知ってると言ってる様なもんだな」
フェルは困ったものを見るように、少女に言った。
「精霊を何かに入れるなんて出来るの?僕では何処にいるのかすら、わからないのに」
「精霊は触れないの…だから瓶に入れたのよ…」
観念した様に言う少女の言葉に、ルース達は目を見開いた。
「はあ?何してんだ、お前」
フェルの言葉にビクリと肩をすぼめた少女は、次の瞬間、睨むようにフェルを見た。
「だって、この精霊たちがいなくなったら、ここの水はただの水になっちゃうのよ?ここにずっといてもらう為には、こうするしかなかったのよっ」
「何言ってんだ?精霊はお前のものでも何でもないだろうが。なぜ自由を奪うような事をする?そんな事しなくても、精霊はここに沢山いるんだろう?」
フェルはその身勝手な考え方に、納得できないと奥歯を噛みしめた。
『精霊は気まぐれゆえ、いつかはここからいなくなるやも知れぬもの。そして精霊を使役する事は出来ぬとわかり、困ったこの娘は瓶に閉じ込め、何処にも行かぬように自由を奪ったのであろう』
「そんな身勝手な…」
デュオも、流石にそれは無いよと眉をひそめた。
「なぜそうまでして、精霊を留めたいのですか?」
そこへルースの静かな声が降る。
一見優しくも聞こえるルースの声に、その少女は縋るように視線を向けた。
「うちの村は小さいの。大人たちはのんびりしていて良いと言ってるけど、何もない所だから食べる物も皆で分け合ってる位で…。だったら誰かがお金を稼がないと食べていけないでしょう?だから私はこの泉の噂を流して、人が来るように仕向けたの」
「そんで金をとっているって訳か…」
フェルの言葉に不承不承頷くと、少女は視線を泉に転じて目を細めた。
「私は小さい時からここにキラキラするものがいるのを知っていたの。お腹が空いたときは、ここの水を飲んでお腹を満たす事もあった。ここは元々傷を癒す泉だったの。だからもっと効果を上げるために、精霊を捕まえて泉に入れた…」
下の集落の者達もここに泉がある事は知っているらしいが、大人たちはこの泉に精霊がいるとは知らないのか、それを見ていた少女は少しでもお金を稼ごうと効果のありそうな精霊を沈めたのだという。
「だからといって、精霊の自由を奪うのは止めてあげて?そんな事をしなくても精霊は貴方の心に寄り添ってくれると思うの…」
ソフィーは悲しそうに手の平を見つめている。
ルース達には見えないが、おそらく手の上に精霊が乗っているのだろう。
「さっきからお姉さんの所に沢山集まってきてるんだけど…。お姉さん、何をしたの?」
『ソフィアは何もしておらぬ。精霊に好かれておるだけじゃ』
「凄いのね、私では触る事も出来ないのに…」
あっけにとられる少女をそのままに、ルースはネージュへと視線を向けた。
「この泉は深いですか?」
『中央の窪んでいる所はそれなりに深かろう。そこに精霊が沈んでおる』
ネージュの声に、少女はハッとした様にルースを見た。
「うそ…お兄さんこの泉に入るの?」
「はい。精霊が沈んでいるのに、そのままには出来ませんから」
そう言ってルースは、服以外の身に着けている物を外していく。
「おいルース、泳げるのか?」
「さぁ。水に入った事はありませんのでわかりませんが、泳ぎの知識はあります」
ルースの飄々とした返事に皆があっけに取られている間、身軽になったルースは泉に足を踏み入れて行く。
始めはブーツほどの深さだったものが一歩ずつ進むにつれて深さを増し、膝、腿、そして腰までの深さとなる。服に浸み込む水は痺れる程冷たく、湧き水であろうかとルースは奥歯を噛みしめた。
泉の中は澄んでおり、ここまで来ればその先に何かキラキラと反射するもの沈んでいると分かる。ルースは大きく息を吸うと、腰をかがめ頭から水に潜った。
ルースは目を開き、冷たい水の中で腕を水平にかいて進んで行く。その視界には青く輝く光が水中にキラキラと漂い、まるで夢の中にいるような景色だとルースは思う。徐々に深くなる底から足を離し、ルースは水を蹴って進んでいく。
そして見付けた。
すり鉢状に徐々に深くなる泉の更に一段落ち窪んだところに、青く煌めく瓶が1つ、沈んでいるのを視界に捉える。
しかし徐々にルースの息が苦しくなるが、あと少しでそれを手にできると、ルースは鼻から上がっていく気泡を抑え極限まで腕を伸ばし、やっとその瓶を掴みとった。
ルースは空気を求めて浮上するため、足を底に着け真上に向けて水底を蹴る。
― ザバッ! ―
水面に顔を出したルースは空気を肺へと満たす為に喘ぎ、青い空に向かって荒い呼吸を繰り返した。
「「ルース!」」
「大丈夫か!」
仲間の声に肺に空気を入れてから顔を向け、手にする瓶を掲げた。
「あり…ました…」
ルースは水を滴らせながら、輝くような笑みを仲間に贈った。
「はぁ…よかった…」
フェルが心配そうにつぶやく声を聞きながら、ルースは仲間の方へと戻っていく。
そうして足をつけ水中から体を起こすと仲間の下まで近付き、ルースは手に持つ瓶をソフィーへ手渡した。
受け取ったソフィーは瓶の中を見つめると、大きく目を見開いた。
「大きい子ね…」
「それが一等大きかったの。だから…」
ソフィーの声に答えるように、少女はそう言って残念そうにその瓶を見つめた。
「精霊は自由にしてあげないと駄目よ?こんなことをしても、この子は喜ばないわ」
ソフィーはそう言うと、躊躇いもなく瓶のふたを持ち上げる。すると傍にいた精霊よりも一回り大きな光が中から飛び出すと、ソフィーの周りを飛び始めた。
「もう大丈夫よ。狭いところに閉じ込めてごめんね」
光は喜ぶようにソフィーの周りを飛んでいるが、勿論ルース達には見えてはいないのだ。
それに視線を向けるのは、ソフィーとネージュとその少女だけで、フェルとデュオはただ彼女たちを見つめていた。
その間ルースはそこから少し離れ、風魔法で服の水分を飛ばし、置いておいた装備を再び身に着けていく。
そしてルースが皆の下へ戻ると、ソフィーの視線がルースの方へと漂ってきた。
どうしたのだろうかとルースがソフィーを見ていれば、ルースの背後で突然気配が膨らんだ。
ルースは振り向きざま仲間の方へと飛び退り、踵を返してその気配を視界に入れれば、そこには淡く光を帯びた景色を透かす人が立っていた。
その体は半透明で後ろの景色を隠していない。ルース、フェル、デュオは全身に緊張を漲らせると、それぞれの武器に手を添えて重心を下げる。
『精霊王であったか』
そこへネージュが訳知り顔で呟くも、その言葉の意味を理解できないルース達は、緊張を保ったままネージュを視界の端に置いた。
だが緊張しているのはルース達3人だけで、ソフィーと少女は目を輝かせてそれを見つめている。
「どういう事ですか?」
ルースがネージュへ向けてそう問えば、話したのは当のそれだった。
『聖獣を伴った聖女。時は満ちているようですね』
その淡い光の中に、薄っすらと人の姿を維持したものは、よく見れば美しい面差しに微笑みを湛え、地に付くほどの長い髪を風にそよがせて言った。
「これが精霊?」
デュオの呟きが皆に届く。
『是、我は精霊王の一人。我を解放してくれて感謝申し上げる』
そう言うと精霊王の気配が揺れた。
「何で精霊が視えるんだ?」
フェルが驚きと共に声をあげた。
『今は姿をみせる時。ゆえに人にも視えるように力を解放した』
その精霊の周りには、精霊王に付き従うように沢山の精霊が集まっている。
『時間を司る精霊王の気配がしたゆえ、我も力を貸すべく姿を現したまでだ』
そう言った精霊王は、ルースへ向かってその手を伸ばしたのだった。