【177】噂の正体
水に銀貨1枚とはどういう事か。そして精霊が飛んでいるという泉へ、その少女に答える前に確認してみようと4人はわずかな距離を進み、泉の際に立った。
「お金を払わないと、触っちゃ駄目よ?」
この泉を仕切っているのは自分であると、その少女は訝し気にルース達を睨んだ。
そうしている間にも泉から水を汲み上げた人が、満足気な顔でその水差しを布に包み、大切そうに胸に抱えると山を下りていった。その人物には後ろから1人の男性が付き従うようについて行き、残りの大人たちは3人となる。
ルース達はその列に並ばず、彼らのやり取りを見ているだけだ。
それをチラチラと確認しつつも、少女は手際よく銀貨を受け取り、自分のポケットに入れている。
そしてまた一人水差しを出して泉から水を汲み上げ、嬉しそうに帰っていく。
素直に金を払い、何が嬉しいのか分からないが、皆満足そうに水を抱えて帰っていくやり取りを、ルース達は黙ったまま見つめていた。
ルース達の後ろでは、ネージュが勝手に泉の周りを見回り覗き込んでいるが、どうやらその少女は犬には文句を言わない様で、ネージュの行動を止めようとはしなかった。
そうしている内に、ここにいた大人達が全て水を受け取り山を下りて行けば、残りはルース達4人と少女だけとなる。
「それで、お兄さんたちは要るの?要らないの?」
と腰に手を当てた少女が、目を細めて睨んで来る。
色々と顔に出る少女の様で、ルース達は苦笑したいのを我慢する。
「あの、ここはどのような所なのですか?」
そもそもルース達は噂を聞いてきた訳でなく、何かあると言われ、ただの興味本位でやってきただけに過ぎないのだ。
「あぁ、お兄さんたちは噂を聞いてきた訳じゃないのね。なら当然ね。噂を知ってくる人は皆、お金のありそうな年配の人が多いもの。それに時々代理だって人が来るけど、その人もお貴族様の付き人みたいで護衛をつれているものね…」
何か独りで納得しているらしく、少女はルース達を遠慮なく見回している。
「しょうがないわね、教えてあげる。この泉はね、癒しの水が湧き出てるの。この水を飲めば、怪我や病気が良くなるの。奇跡の水だって、遠い所まで噂になってるって話よ?」
どう?と自慢げに語る少女は、頬を染めてルース達を見る。
そこへ、今まで黙って話を聞いていたソフィーが口を開く。その足元にはネージュが戻ってきており、何かを伝えたのかも知れないとルースは気付いた。
「これは、貴方がやった事?」
ソフィーは泉を指さし、首を傾けている。
その顔にはいつもの零れるような笑みはなく、口元を引き締めじっと少女を見つめている。
ソフィーの問いかけにほんの一瞬身を強張らせた少女は、何もなかったようにそれに返した。
「お姉さん、何を言ってるの?私がやったってどういう意味?私が泉に何かできるとでも思ってるの?人を癒す水を作るなんて、聖女様でないと出来ないわっ」
少女の返事に、今度はソフィーがピクリと肩を揺らした。
「私だって、水を作り替えるなんて出来ないわよ…」
口先だけで呟いたソフィーの声は、幸い少女には聞こえていないようだ。
それでどうするの?と少女はルース達を訝し気に見上げた。
その視線に、何ともしっかりした少女だなと、ルースは内心感心していた。
「お金を払わないんじゃ、お水は渡せないわ。それにお兄さんたちがここにいると、私はいつまで経ってもここを離れられないじゃないのよ」
「おい、この水が人を癒すって、本当なのか?」
フェルがその話の真偽を疑い、尋ねた。
先程までここにいた人達はそれを疑いもしなかった様だが、フェルはその話は嘘じゃないのか?と、片眉を上げて少女を見た。
「まぁそうなるわよね…。全く疑い深い人って、これだから嫌なのよ…」
悟ったような事を言う少女の声は、ルース達にもしっかり聞こえている。
そしてそれを言った少女は、何を思ったのかポケットから小さなナイフを取り出すと、自分の腕を傷つけたのだった。
ルース達があっけにとられていれば、その少女は近くに置いてあったコップを手に取り、泉の水を掬って、その小さい傷に流しかけた。
「ちゃんと見ていてよね」
そう言った少女の腕は、滲んでいた血を洗い流しその上から更に水をかけ続ければ、小さな傷は徐々に薄くなりそして見えなくなった。
「ヒュ~」
フェルが口笛を吹いて、目の前の出来事を称賛する。
「ね?癒しの水でしょ?これで信用した?…たまにいるのよね。自分から噂を聞いてここまで来たくせに、難癖付ける大人が」
そう言って濡れた腕を布で拭き取っている様子は、何度もやった事がある動作で慣れているのだ、と言っているようなものだった。
「では、貴方がやった訳ではないのね?」
先程の問いの続きを話し出したソフィーは、見つめていた泉から視線をはがし、少女へと向けた。
「お姉さんはさっきから何を言ってるの?だから、私が人を癒すな…「そうじゃないわ?貴方がこの泉の中に、精霊を閉じ込めたのかと聞いているの」」
その言葉に、ルース達は一斉にソフィーを振り返る。
「はぁ?」
フェルはそう言って泉を凝視した。
「なにを、いってるの…」
言われた少女は明らかに声が小さくなり、虚勢を張ってはいるが、先程よりも弱々しい反論をした。
ルースがそういう事かとネージュを見れば、ネージュはその視線を受けて念話を発した。
『この泉の中に、何かに入れられた精霊が沈んでおる。どうやったかは知らぬが、この者がそれを泉に入れた事で水が変質したのであろう』
「え…?誰がしゃべってるの?」
ネージュの声が少女にも聴こえたらしく、少女は辺りを見回していたが、ルースの視線を辿ったのかネージュを視界に収めると、目を見開いて口元に両手を押し付けた。
「貴方は、聖の魔力をお持ちのようですね」
ルースは目を細めて少女を視る。
「――え?」
『ふむ。本人は何も分かっておらぬようじゃのぅ』
少女の反応を見たネージュは、自分が聖の魔力を持っていると気付いていないらしいと言う。
要するに、この少女は聖の魔力を持っているが、まだステータス上では聖職者であるとは出ていない為、本人は特に魔力があるとも気付いていなかった。か、もしくは下の集落には教会もなかった様であるし、ステータス確認すらしていないのかも知れない。
そしてこの少女は聖の魔力を持っており精霊を視る事が出来るらしく、どうにかして精霊を何かに入れ、泉に沈めたという事なのだろうと推測する。
「私ってもしかして、聖女様になれるの?」
独り言のように言葉を紡いだ少女は、聖女に憧れているのか、聖女になりたいと言っている様に聞こえる。
「聖女になりたいの?」
そこでソフィーが苦笑を含んで尋ねた。
「ええそうよ。私は大きくなったら、聖女様になりたいの。聖女様は皆を癒す凄い人なの。女の子なら憧れない人はいないわよ。ねえ、聖女様はいつも私達の中から生まれるのでしょう?だったら私が聖女様になれる可能性もあるのよね?」
そう話す少女は、今までとは打って変わって年相応の子供に見えた。
確かにお話に出てくる聖女は、混沌の世に現れ、人々を救い導いて行ったという美談のように言われているが、実際の聖女は闇の魔の者と対峙し、それを封印せしめる者としての役割を担っている。その様に綺麗な話だけでは終わらないであろうと、ルース達には分かっている事だった。
『そのものは聖女ではあらぬ。今世の聖女は、すでに現れておるゆえに』
ネージュの声を拾った少女は、失望の色を浮かべた表情でネージュを見た。
「でも、だったら聖女様の手助けをするために、私はここで人を癒していってもいいじゃない…」
「それはどうでしょうか。そもそも貴方はお金を取って、人を助けているつもりになっていますが、本当の聖女というものは、自分の事すら顧みず人と寄り添いその人の助けになれるよう、いつも心の中で最善を考え行動する心の綺麗な人であると、私は知っています」
「ああ。いつも自分の事は二の次だよな」
フェルも苦笑を浮かべ、ルースの言葉を肯定する。
その2人の言葉に下を向いたソフィーの顔が、恥ずかしそうに赤く染まっていた事は、ネージュだけが見ていたのであった。