【170】古の珠
「いつも身に着ける物といえば…武器?」
デュオーニが思案顔で呟いた。
武器は寝る時以外いつも身に着けているし、寝る時でさえ手の届く所に置いている。そして服のように取り替える事もない為、その案は良いとルースは首を縦に振った。
「じゃあ試しに、デュオの物からやってみるわね。そうなると…弓?矢?」
「弓が良いと思います」
ルースは、デュオーニの足元に立てかけてある弓に視線を向ける。
おもむろに手を伸ばしたデュオーニは、弓を持ち目の前に掲げた。この弓は、高価な弓ではないであろう簡素な造りをしているが、良く手入れされ使い込まれているデュオーニが大切にしている物だ。
その弓をソフィーが受け取り膝の上に乗せ、そして魔力を体に纏わせると、弓に手を添えて目を瞑った。
ルースの目にはソフィーの魔力が、その弓に浸み込んで行くのが視えている。それが収まる頃には、その弓は何事も無かったかのように元の姿に戻る。
聖魂というスキルは今のソフィーを見た限り、何かを唱えたり動きを加えなくとも、触れて思えば魔力を付与できるスキルである様だ。
「もう出来たんですか?」
デュオーニはソフィーが差し出した弓を受け取り、キョトンとしている。
「ええ。多分出来たと思うけど、どれ位の間効力が続くのかはわからないから、そこは今後確認させてもらう事になると思うの」
「わかりました。ありがとうソフィー」
デュオーニは恥ずかしそうにソフィーにお礼を伝え、その言い方にソフィーは少し驚いた顔を見せるも、すぐに嬉しそうに笑みを見せ頷き返した。
「では次はフェルですね。肌着にしてもらいますか?」
ルースがそう言って口角を上げれば、フェルは焦ったように「それはやっぱり止めておく」と両手を振った。
ソフィーもそれにクスリと笑って空気を換える。
そしてフェルが手渡した剣にもソフィーが魔力を与え、後は様子見となった。
「それにしても、タイミング良くスキルが現れたんですね」
今使ったスキルは、先日新たに現れたものだとデュオーニにも伝えた。
そしてルースのスキル“叡知“も最近出たものだと言えば、デュオーニは考え込むようにして焚火に視線を落とした。
「話を聞いた限り、皆のスキルはメイフィールドにいた時に出みたいだし、全てが上手くいき過ぎているような気がする…」
それはデュオーニに指摘される前から皆気付いている事だが、それについてはルースに思い当たる節がある。
「多分、それは私のスキルのせいだと思います」
「ルースさ…ルースのスキルは、倍速?」
「はい。それと名称で言うなら“波及“と“叡知“、それと“雲外蒼天“」
「はぁ…聞いただけだと全く分からないスキル…だね」
先程からデュオーニが頑張って口調を変えてくれるのを、ルースは嬉しく思いつつ口を開く。
「はい。“波及“は、私の“倍速“というスキルに紐づけされているらしく、私の周りの人へも影響を与えてしまうスキル。そして“叡知“がステータスを視る事ができるもの。最後の“雲外蒼天“とは、はっきり言えば自分では操作できないスキルという事らしいのですが、他の言葉を代用するなら、“進む道を照らしてくれるスキル“であるらしいです」
「進む道を照らすスキル…」
デュオーニはルースの言葉を吟味するかのように、その言葉を繰り返して視線を落とした。
この説明でも抽象的であるとルースも感じている為、旨く伝わっているかは分からないが、何となくルースはこのスキルのお陰で、自分を取り巻く環境が変わってきている気がしていた。
ルースは頼もしい仲間たちに目を細め、これから先の旅も、皆が揃って前に進めるようにと願っていた。
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ルース達が森の中を進みノーヴェの町を目指していた頃、ルース達から遠く離れた場所でも、宿命の変化に気付いた者が居た。
その者は“アルフレード・キルギス“といい、栄えある王都の魔法師団に所属する魔法使いであり、予言の魔導具を日々確認する事を業務の一環としている男だ。
この国は遥か昔から魔者の襲撃に苦しみ疲弊してきた為、その魔者の出現を予知することのできる“予言の珠“という魔導具を造り上げていた。
この魔導具の存在は王家に係わる者しか知らされておらず、国民の混乱を避けるために、一部の者の手によって厳しく管理されてきた。
しかし、とアルフレードは思う。
先人の記録によれば、前回封印されしものが現れたのは500年も前だと言われている。
それが収束した後、共に出現すると云われる魔者がもたらした混乱を鎮め、破壊された町を復興し、やっとここ300年ほど、人々は平穏な暮らしを取り戻したと云われている。
しかし一度平和な世を取り戻せば、いつしか人々の辛い記憶は風化し史実を知らぬ者達が営みを送る中で、500年前の事などお伽噺だと一笑に付される事となっていた。
かくいうアルフレードもこの国の魔術師団に入って10年。
封印されしものの出現を予言すると伝わるだけの何の変化もない珠を、毎日確認するなど時間の無駄ではないかと、自分は意味のない作業をしているなと失笑すら漏らしていたのだ。
しかしそんな矢先、アルフレードはこの魔導具がまだ正常に稼働している事を思い知らされたのだった。
「色が…変わっている…」
この珠は、いつもはただの水晶のように透き通った輝きを纏っているだけのものだ。それが今日はどうした事か、その水晶のような虹色の輝きに一か所、黒いインクを落としたように下から黒い影が滲みだしていたのだった。
アルフレードは両眼を擦り自分の錯覚ではない事を確認するも、それは無駄な抵抗だとあざ笑うかのように、それは予言の珠を黒く汚していたのだった。
アルフレードは咄嗟に口元を抑え、この静かな魔導具室内に響き渡ってしまう声を抑え込む。そうして震える手で、持っている記録紙のボードに変化を記入しようと手を伸ばすも、震える手がそれを掴み損ね、それがバサリッと床を鳴らした。
「なぜ…なぜ今なんだ…。せめて、俺が死んだ後にしてくれれば良いものを…」
そう呟いてしまうのは、まだ辛うじて正常な思考を保っていたと言えるのかも知れない。
アルフレードは気力を振り絞り、いつも単調だと思っていた予言の珠の記録を終えると、まるで現実から逃げるかの如く、その部屋を足早に後にしたのだった。
そしてアルフレードの記憶はそこから曖昧となったものの、どうにかして上司にその事態を報告し、その後慌てて執務室を出て行った上司の後姿を、アルフレードは抜け殻のように突っ立ったまま見送ったのだった。
コンッコンッコンッ
「入れ」
「失礼いたします」
壁一面に本棚が置かれている上品な部屋に、緊張を含んだ声が入室してくる。
許可を出した者は、明日の会議に提出する魔法師団の次年度予算を確保するため、作られた書類に目を通しているところであった。
そして書類から顔を上げた男の目の前に立つ者は、入室し緊張を滲ませた顔の魔法師団、魔導具研究班リーダーの“ジェンブリー・ホイヤー“だった。
「どうした、ホイヤー」
このホイヤーという男は魔法使いでありながら、どちらかといえば魔法を使う事よりも魔導具の研究をする事に熱を帯び、いつも新しい魔導具や古の魔導具を触って過ごす事が多く、その為この魔導具研究班のリーダーとしては最適な男だと考えられていた。
そんな男が血相を変え緊張した面持ちで入室してきたが、こちらから声を掛けた途端、堰を切ったように話し出したのだった。
「お忙しいところ申し訳ございません。至急上申したい件がございます」
はじめ緊張していると思ったホイヤーだったが、こうして話し始めると頬が上気し目を輝かせ始めていた。
「何だ」
「はい。先程、予言の珠の定時点検にて変化が見付かりました。やはりあの魔導具は千年以上経っても、正確に駆動していると思われ…「ちょっと待て。今何と言った?」」
話の途中で言葉を挟まれたホイヤーは、目を瞬かせてから団長の問いに返事をした。
「やはりあの魔導具は…「その前だ」」
「あっえぇと。予言の珠の定時点検で変化が見付かった、と」
報告を受けている魔法師団長“エリック・ルーメンス“は、いつもの厳しい表情をさらに深くし、彼を知らない者が見れば一目見て逃げ出してしまうであろう程の、眼光炯々とした眼差しをホイヤーへ向けた。
「何だと…」
エリックはこの魔法師団に入団して30年。一度も変化のなかった魔導具など本当に動いているのかと、気にも留めていなかった物の異変を聞き、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
先代の魔法師団長からこの任を引き継ぐ際、「予言の珠に変化があれば、速やかに王家に報告せよ。まぁ私達の生きている内には、そんな事は起きるはずもないだろうがな」と、半分冗談のように聞いた言葉が脳裏をよぎった。
深く腰掛けていた椅子から立ち上がったエリックは、先代から受け継いだ業務を実行に移すため、報告に来た部下を引き連れ、早々にウィルス王国魔法師団長の執務室を後にしたのだった。