【164】小さな背中
ルース達と商人は、ゴブリンから襲われた場所で出発の準備を整えると、その後一緒に出発した。
商人達2人は幌馬車の御者席に座り、ソフィーは商人達の気遣いで馬車の空いている場所に乗せてもらっており、ネージュも当然のようにソフィーと共に馬車に乗り込んでいった。ソフィーは辞退しようとしたが何とか説得して乗ってもらい、それに付き添うようにルース達はその馬車を囲んで歩いている。
「この辺りはもう何年も通っていて、“魔物が出ない場所“っていう認識だったんだけどなぁ…」
「だから、護衛がいないのですか?」
「そうなんだよ。流石に日が落ちれば香を焚くが、日中は視界も良いから安心してたんだけど」
「ソロイゾからここまでも、日中魔物は出ないって事ですか?」
「ああ。中央付近は人通りも多いし、定期的に冒険者達が動いてくれているから安全なんだ。つい最近までここも安全って言われてたんだけど、どうした事か魔物が出るようになったみたいだな…」
フェルと話すペイジは、そう言って魔物の襲撃に不安を募らせた。
「この辺りは、“加護の道“って呼ばれてたんだが…」
「大層な名前がついてるんですね?」
フェルが不思議そうに聞くも、鷹揚にパーカーが笑った。
「それは皆が勝手につけた呼び名だよ。ただ“加護の道“って呼ばれる位、魔物が出なかったんだ。だけどもうその名前も、返上だけどな」
「へえ…そんなに安全な道だったのか」
「ああ。この近くの村人達によれば、大昔この辺りに聖女様がいたって事で、その恩恵だろうと言っていたな」
ペイジの話に、後方にいるデュオーニがピクリと反応したが、気付いたのはルースだけだっただろう。
「それは凄いですねぇ」
ルースは驚いたような声で、その会話に加わった。
「まぁ眉唾物かもしれないが、次に寄る“ジャコパ“という村で、そういう言い伝えがあるって聞いたんだ。私達も今日までは、その恩恵で魔物が出ないのかとも思っていたんだがなぁ…」
「時間が経ちすぎて、その効力が切れたんだろうか?」
ペイジとパーカーはそう言って不安そうにして話していた。
聖女の話ならばネージュが何か知っているかも知れないと、ルースはソフィーと馬車に乗るネージュを視界に入れるものの、ネージュは何も反応していない様に見えた。元々獣の表情は分かり辛い事もあり、ルースはネージュの胸中をうかがい知ることはできなかった。
それからの道中は順調に進んでいき、途中で昼休憩や馬の水分補給などで時々止まりつつも、その日の夕方前にはそのジャコパ村に到着した。
その村へは先に連絡が済んでいたのか、馬車が村の中に入っていけば村人達が商人の馬車に続々と集まり始め、すぐさまペイジとパーカーは忙しそうに村人達の対応に追われた。
それを離れて見ているルース達は、手持ち無沙汰に立ち話をしていた。
「聖女がいた村か」
フェルはそう呟くと、村の景色を見渡している。
このジャコパ村は、ルースの出身であるボルック村より少し規模が大きい。そして今馬車に集まっている村人も、途絶えることなく何処からか集まってくることを考えても、住人が多いのだろうと想像がついた。
その村人達の様子を眺めていれば、先程からその周りで一人の子供が商人の馬車をみようとしてか、群がる大人達の後ろをウロウロと歩き回っている。
ソフィーはそれを見て、心配そうな声を出した。
「あの子、何か探しているのかしら。さっきから馬車の周りをウロウロしているけど、パーカーさん達に声を掛ける事が出来ないみたい…」
ソフィーが言った子供を注視すれば、まだ10歳位の栗色の髪をした男の子が一人、群がる大人たちの後ろで物言いたそうにしていた。
「どうしたんだろう」
デュオーニも心配そうに目を細めた。
「何か、買いたい物でもあるのでしょうか?」
「あまり金を持っている様には見えないが…」
挙動不審な子供をルース達は少しの間見守っていたが、ソフィーが耐えられなくなったようで「私、声を掛けてくる」と、そう言ってネージュを伴い歩き出して行った。
「ソフィーは世話焼きだなぁ」
フェルは、困ったように笑って頭を掻いた。
そこへ辿り着いたソフィーはその男の子に声を掛け、腰を落として目線を合わせるように話し始める。
そして何度か頷いていてからルース達のいる方へと、もの言いたげな視線を向けてきたのだった。
ソフィーの視線に、ルース達は顔を見合わせる。
「何かあったのでしょうか」
「さっぱりわからん」
「困りごとかなぁ」
そんな話をしていれば、ソフィーが男の子を連れてルース達の所へ戻ってきた。
「どうしたのですか?」
ルースの問いかけにソフィーは男の子の背に手を添え、ルース達を見る。
「この子、傷薬が欲しいんですって」
「彼が、どこかに怪我をしているんですか?」
デュオーニが心配そうに尋ねた。
「この子ではないらしいんだけど…聞いても誰とは言わないの」
そんな話にその子供を見下ろせば、うつむき加減で歯を食いしばり眉根を寄せている様子。
ルースはその子の前に進み出て、腰を落とす。
「こんにちは。私はルースと言います。貴方のお名前を聞いても良いですか?」
優しく話しかけるルースに、その子供は視線を上げてルースを見た。
「…僕は“ニーチェ“」
「ニーチェ君ですか。良い名前ですね」
優しく細められたルースの青鈍色の目を見たニーチェは、ギュッと口元に力を入れると、その小さな目に涙を溜めていった。
「ルースが泣かせた…」
フェルが小さな声で言うが、それにはデュオーニが困ったように笑うだけだ。
そして今度はデュオーニもルースの隣に屈みこみ、その子供に微笑みかけた。
「僕はデュオ。ニーチェ君は傷薬が欲しいの?」
体格の良い大人に囲まれ怯えてしまったのかもと、デュオーニも子供に目線を合わせたのだ。
その動きに少し身を引くも、ニーチェは意を決した様にコクリとひとつ頷いてくれた。
「傷薬なら私達も持っていますが、その傷の具合をみないと、どのお薬が良いのかが分からないのです。その方はどのような状態ですか?」
ルースの言う意味を理解したのか、ニーチェが目を見開いてからおずおずと口を開いた。
「ぐったりしてる…」
少しの情報だが、それでは本人は動かせないのだなと、皆は状態の良くなさそうな怪我人を心配する。
ニーチェの隣でソフィーも腰を落とし、目線を合わせた。
「それは大変だわ?おうちの人?」
ソフィーの問いに、ニーチェは首を振る。
「他の大人のひとには、お話しされましたか?」
ルースの問いにもニーチェは首を振り、どういう事かとニーチェの前に屈む3人が顔を見合わせた。
「俺達がそこに行った方が早いんじゃないか?」
フェルは皆の後ろで腕を組み閃いたというように声を出すも、フェルの声にビクリとニーチェが肩を揺らす。
「フェルが怖いのですね…」
「フェルって大きいから…」
それは先程ルースに言った言葉が、フェルにブーメランとなって帰ってきたのだった。
ルースとソフィーがフェルを見上げて言えば、フェルが「今更小さくなれないよ」と情けない声を落とした。
「僕もその方が良いと思います。動かせない怪我人なら、傷薬だけでは…」
デュオーニの途切れた声に、勢いよくそちらに視線を向けたニーチェの目には再び涙が溜まり、不安そうな顔になっていた。
「そうね。その人を診せてもらった方が良さそうだわ」
デュオーニとソフィーの言葉にニーチェは不安を募らせるも、何か困った様子だった。
「ニーチェさん、その人の怪我を治したいのでしたら、その方の所へご案内いただけますか?私達はその人の事を秘密にして欲しいと言われれば、秘密は絶対に守ります」
ルースは先程から言い淀んでいるニーチェを見て、何か知られたくない事でもあるのだろうかと感じていた。そしてその考えは当たっていたらしく、ルースを見たニーチェは、「本当に?」と言って縋るような視線を向けてきたのだった。
「ええ。私達は約束した事は守るわよ?」
デュオーニもソフィーに続いて首肯する。
その2人に視線を向けたニーチェは、「じゃあ、だれにも言わないでね。こっち」といって一人、村の奥へと歩き出して行ってしまった。
「皆さんは先に。私はあちらのお二方に、少し離れるとお話ししてきます」
「でも…」
「シュバルツに連れて行ってもらうので大丈夫ですよ」
デュオーニが言いかけた言葉に、ルースは道案内がいるから大丈夫だと伝えた。
「それじゃ、先に行ってるわね」
「行ってるな」
ソフィーとフェルがニーチェに続いて歩き出せば、デュオーニも会釈してその後を追って行った。
こうして皆を先に行かせ、ルースは忙しそうなペイジとパーカーにその旨声を掛けた。
「じゃあ後で村長の家に来てくれればいいよ。私達はそこに見える村長の家に、いつも泊まらせてもらっているんだ」
「はい、分かりました。それでは少しの間は離れますが、後程あちらのお宅にうかがいます」
ルースは今の雇い主である2人に許可をもらうと、ソフィー達が消えていった方角へと歩き出して行く。
近くにはシュバルツがいるものの、彼らの近くでは気を遣い、降りてこないようにしてくれていたのである。
「シュバルツ、頼みますね?」
『承知シテイル』
一方、先にニーチェの後を付いて歩く3人は、どんどん村の奥へと進んで行く小さな背中に、何も言わずに付き従った。そうしてこれ以上この奥に家があるのかと疑問を浮かべた頃、ニーチェは躊躇う事なく木々の生い茂る森の中へと入っていった。
そこはもう村の中とは呼べず、村に隣接した森だと分かる。
「ニーチェ君、その人はこんな森の中に?」
「うん。もうすぐなんだ」
その人はニーチェと一緒に森に入っていって、怪我をしたのだろうか…そしてその怪我人を一人残して村まで帰ったニーチェはどんなに不安だったのだろうと、何か秘密を抱える子供に、3人は付いて行くしかないと小さな背中を追いかけて行くのだった。