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【158】当然

 トーマスがデュオーニを見れば、デュオーニは愁いのない笑みを父親に返した。

「ローレンスは冒険者に復帰するんだって、それで皆を驚かせたいんだって、今頑張ってるみたいだよ」

「そうか…」


 トーマスも内心ではこの怪我を負ってから、妻に負担を強いている事に申し訳ないという気持ちと、思うようにならないこの体に苛立つ事もあった。

 ただそれは自分で選んだ事で今更どうする事も出来ないし、息子の笑顔を見れば、それは間違いではなかったのだと納得させてきたのだ。

 治す方法がない訳ではない事は知っていた。だが、それに必要な金は用意する事を諦め、今を精一杯生きる事で見ないようにしてきていたのだ。


 それが思いがけず、見返りも求めずに治してくれるという。

 トーマスはその話に飛びつきたい想いを一度抑え、高鳴る心臓を鎮めるために大きく息を吐きだした。


「その話を聞く限り、君達にも事情があるから、誰が治したとは言わないでくれという事かい?」

「はい、その通りです。それに私達がこの町を出るまで、出来れば今と同じように過ごしていただいて、その後で動いていただければと…」

「その後なら、人前に出ても良いという事だね?」

「はい。でも申し訳ないんですが、この魔法では、治してもすぐに以前のように腕を使う事は出来ません。使っていなかった筋肉の機能回復訓練をしなければ、腕を動かす事は難しいんです」

「そう言った意味で、ローレンスさんは今、お一人で回復訓練をされているところ…という事になります」


 ソフィーとルースの話に神妙に頷くトーマスは、考え込むように眉間にシワを寄せる。


「君達には何の得もない話に聞こえるが、なぜそこまでしてくれようとするんだい?」

「それは私の自己満足です」

 その問いに、ソフィーが即答する。

「治る人が目の前にいるのに見なかった事にするのは、私には耐えられない事なので…」

「ソフィーは最初から、そんな感じだったな」

 フェルも同意と声を挟んだ。


「あなた…」

 キャロルが眉尻を下げトーマスを呼ぶ。

 キャロルは愛しいトーマスが、その腕のせいで自分を責めている事を知っていた。しかしそれがなくとも、又夫に両手で抱きしめてもらいたいという想いもあった。

 そのキャロルの視線に顔を向け、トーマスはひとつ頷く。

「話はわかった。私も出来ればこの腕を治したいとは思う…」

「では、よろしいでしょうか?」


 ルースの問いかけにトーマスは一度キャロルを見てから、再びルース達へと視線を向けた。


「その前に一つ、わがままを言わせてもらえないだろうか?治してもらう立場で言うのもおこがましいのだが…」

「はい。構いません」

 ルースの声にあわせ、フェルとソフィーも頷く。

 それを見たトーマスは、デュオーニへと視線を向ける。


「私の腕が治ったら、デュオーニを、君達と一緒に連れて行ってくれないだろうか…」

「え?!」

 トーマスの思いもよらぬ言葉に、デュオーニは目を見開く。

「そうね。出来れば私からもお願いしたいわ」

「母さんまで…何で……。僕の事が邪魔だったの?」

 デュオーニはそう解釈し、悲し気に肩を落とした。


「そんな訳はないだろう?デュオーニは私達の自慢の息子だ。その息子の希望を叶えたいと思うのは、親として当然だろう?」

「父さん…?」


 デュオーニは両親に、旅に出たいとは一言も伝えていない。ルース達に話した事はあくまで夢の話であり、実現できない話だと断ったのだし、これからもこの町で少しでも両親に償いをして行こうと、これから頑張っていくつもりだったのだ。


「デュオの事なら、何でもお見通しなんだからね?」

 いたずらっぽく話すキャロルは、笑顔にウインクまでしてみせる。

「母さん…」

「お前がこの人達の話をする時は、いつもとても嬉しそうにしているし、この人達は人としても尊敬に値する冒険者だと父さんも思う。だからこの人達にデュオーニが心を寄せている事も分かっているし、何よりお前は皆を護れる冒険者になりたいんだろう?」


 デュオーニの想いに気付いていた両親は、トーマスの腕が治るのであれば、もう何の気負いもなくデュオーニは自分を解放できるはずだと言う。今まで不自由な家族を助けようと頑張ってきたデュオーニに、今度は自分の為にやりたい事をして欲しいと言っているのだった。


「私達と一度お話しさせていただいた事ですが、デュオーニさんが私達でも良いと仰って下さるのなら、いつでも歓迎いたします」

 皆の視線がデュオーニに集まれば、そのデュオーニは困惑した顔になる。

「まぁこれは、言ってしまえば私達のわがままだ。デュオーニはすぐに決めなくても良いが、その事もこれからデュオーニの選択肢の一つとして、残しておいて欲しいんだ」

 トーマスはデュオーニに話しかけながら、ルース達へと視線を巡らせそう言った。


「承知いたしました。私達はあと数日程この町に滞在しておりますので、それまではデュオーニさんに考えていただけるお時間もございます。…それでは、始めてもよろしいでしょうか?」

「「よろしくお願いします」」

 トーマスとキャロルが深く頭を下げれば、デュオーニはその情景を言葉もなく見つめていた。


 それから席を立とうとしたトーマスをソフィーが呼び止め、「そのままで結構ですよ」と言ってソフィーが立ち上がり、トーマスの座る椅子の隣に立った。

 そのソフィーの背後にはネージュが寄り添うように立つ。


「別に痛くなるようなことはありませんから、体の力を抜いてゆったりしていてくださいね。それでよろしければ、右の袖をまくっていただけると助かります」


 傷を見せてくれと言っているソフィーに、神妙に頷いたトーマスは左手で器用に少しずつ袖を折り上げ、二の腕までを晒していった。

 デュオーニは今まで何度も見てきたその傷から、咄嗟に目をそらすように下を向いた。自分が付けたと知った傷を、直視できなかったのだ。


 こうして晒された傷は裂傷の痕がくっきりと残り、見えている二の腕から指の先まで、刃物で切り付けられてできた様な無数の傷跡が目に入った。

 それを見たソフィーは、いたたまれないというように悲し気な表情を浮かべる。


「大きな怪我だったんですね」

 腕が動かなくなるほどの傷だと聞いていたが、実際に目にすれば、命が助かったのが奇跡かと思える程ひどいものであった。

「見た目は派手だが、もう痛みもないし大した事はないよ」

 本当は痛みがないのではなくもう感覚がないだけなのだが、そう言って苦笑するトーマスにソフィーは微かに笑みを向けると、ゆっくりとその腕に手を伸ばしていく。

 その声でデュオーニは、トーマスにやっと視線を向けた。


 ソフィーはその腕に優しく触れると、一つ息を整えてから目を瞑った。



全ての世界(トゥーミール) 創世主(クレアドール) 大地(ティエラ) 精霊(エスピリトゥ) に願う(スエテ)その愛をもって(メイガピー) 全ての願いを(トゥースエテ)受け入れ給え(アクセプト)、“復元(リストレーション)“」


 その詠唱は、どこか異国の言葉の様な知らない響きを奏でた。

 その不思議な感覚にとらわれた後、ソフィーの中から溢れるような光が広がっていく。そしてその光はソフィーの手を伝い、トーマスまでを包み込んでいった。


 室内に心地よい風が吹いたようなそんな一瞬に、見る見るうちにトーマスの無数の傷が薄くなっていく。

 それに気付いた者達はその奇跡とも呼べる光景に、一連の出来事から目を反らす事も出来ず、ただじっと目を見開き見つめていた。

 それが一瞬であったのか長い時間であったのかも理解する前に、その眩い光は徐々に小さくなりスウッと消えていった。


 そして手を離し一歩後ろに足を引いたソフィーを、下から支えるようにネージュがそっとその背を添えた。

「ありがとう、ネージュ」

 小さな声でやり取りをするソフィーは、綺麗になった腕に気を取られている人達には気付かれぬように、そのままネージュの背を借りてもたれかかったのだった。


 そんなソフィーの気遣いすらも視界に入っていないであろう人達は、トーマスの腕を見つめたまま目を見開いている。


 トーマスがその右腕をゆっくりと上げて行き、目の前へと移動させると、何もない手の平の中を包み込むように指を閉じて行った。

 もう何年も動かなかったトーマスの指先は、その意思に従い僅かながらも動き出したことで、キャロルとデュオーニも、そこから目を離せずにいた。

「あなた…」

「父さん…」


 トーマスはキャロル達の声すら聞こえていないのか、じっとそれを見つめたまま指の動きをじっと見つめていたのだった。

「うごく…」

 小さな声を落としたトーマスは、今度は左手でその腕を撫であげた。そして凹凸のなくなった滑らかな皮膚を堪能するかのように何度もさすると、そこでやっと我に返ったかのようにソフィーへと視線を向けた。


「感覚が戻っている……本当にありがとう……」

 言葉を絞り出すように話すトーマスに、疲労の色を滲ませつつもソフィーは満面の笑みを浮かべて応えた。

「治せて、よかったです」

 その光溢れる慈愛に満ちた笑みは、それを見た者には女神から寵愛を受けたかの如く、深く印象に残るものとなった。


「女神だな…」

『当然じゃ』

 フェルの小さな声を拾い即座に反応するネージュに、“聖女だから“と声にせずとも、ルース達には十分伝わっている。

「ふふっ大袈裟ね」


 トリフィー村の教会であったこの会話を知らないソフィーは、初めて向けられる言葉に照れたように笑った。

 だが、フェルの言葉を否定できるものはこの場にいるはずもなく、皆がその通りだというように熱の籠った眼差しをソフィーへ注いでいたのであった。


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