【150】思い出の場所で
ソフィーに足を完治してもらったローレンスは、ルース達の願いを守り、その後も家族にさえ足が治った事を伝えていなかった。
結局、足が治っても衰えた筋肉では歩行さえ満足に出来なかった事もあり、すぐに杖を手放す事も出来なかった為、家族にすら不審がられる事はなかったのだ。
それからローレンスは機能回復の訓練をする為、「今まで家に閉じこもっていたから、気分転換に少しずつ外に出る事にする」と家族に伝え、町から10分程歩いた所にある比較的安全と言われている場所で、ローレンスは一人、回復訓練を行っていった。
この場所は、ローレンスが小さい頃にガイスと良く遊びに来ていたところで、森のはずれにあって比較的視界も開け、平地であり小川も流れているのどかな場所だが、冒険者になってから久しく来ていなかった思い出の場所でもある。
ローレンスはまず近くの木に杖を立てかけてから、その木を支えに、屈伸や固まっている体をほぐす事から始めた。
すぐには歩けるようにはならないが患部は完治しているので、自分を信じて頑張って下さいとルース達からもらった言葉を胸に、ローレンスは焦ることなく黙々とその作業を続けていた。
こうして1か月半もすれば左足に筋肉も付いて体のバランスもとれるようになり、後は走り込んで調整を行おうとしていたところへ、朝から一人でクエストに出てきたデュオーニとばったり出くわしてしまったのだった。
「ローレンス、一人でこんな所にいたら危ないじゃないか…」
デュオーニは木に手をついて立っているローレンスを見て、驚いた様に声を掛けてきた。
「デュオ?」
思いがけない再会に少々驚いたローレンスだが、ここにも全く人が来ない訳ではない事も分かっていた為、すぐに杖を手に取って、脇の下に添えてデュオーニの近くへと近付いて行った。
本当はもう杖に体重をかけずに歩けるのだが、そこは不審がられない様に普段から気を付けているローレンスだった。
「ちょっと気分転換で出てきただけだから、すぐに戻るよ。それよりもデュオ、今日は一人なのか?」
何でもない事の様に話すローレンスは、デュオーニにもまだ教える訳にはいかない為に質問を返した。
「今日は月光の雫パーティとは別行動にしたんだ。時々一緒にクエストを受けさせてもらって、勉強させてもらってるけど」
先日のしおれた様子から一転、デュオーニが以前のように話をしてくれていると気付いたローレンスは、ルース達の助力に心の中で感謝する。
「そうだったんだな。彼らは話を聞くと凄いパーティみたいだし、良く教えてもらえよ」
そう言ってローレンスは嬉しそうに笑うが、自分は冒険者を辞める事になったにも関わらず他人の事をこんなに気遣ってくれるローレンスは、やっぱりすごい人だとデュオーニは思った。
「うん。ありがとう」
と、自然に感謝の言葉がもれる。
「そう言えば、今日は何のクエストなんだ?」
「今日はスライムのクエストなんだ」
「え?スライムって低級だけど、難易度高いんじゃないのか?」
「そこは月光の雫が指導してくれて、何となくコツをつかんだというか…」
デュオーニは、ただ静かな場所でじっと待っていればやってくるのだとは言い辛かった。いつも行く湖では人も多い為、今日は人の余り来ない場所にしてみようと、デュオーニは今日この場所まで来ていたのだった。
「そっか。じゃぁ僕はそろそろ戻るけど、頑張ってな」
では今日はもう練習できそうにないなと、ローレンスは踵を返して町へ戻ろうとするも、その途中で動きを止めて小さく声を出した。
「デュオ…」
動きを止めたローレンスに声を掛けられ不思議に思ったデュオーニは、ローレンスが見ている物を視界に入れて目を見開いた。
――!!――
そこにいたのは胸元に赤い毛が混じる黒い犬の姿をした魔物で、2人の前方30m先に立ってこちらの様子をうかがっていたのだった。
「ガルム…」
ローレンスが小さな声で言う。
デュオーニも今までパーティを組んだ中で、時々この魔物と遭遇した事があった。その時は2匹から3匹程の群れであった為、他のメンバーが円陣を組み、その中にデュオーニを入れて護るようにして戦ってくれていた事を思い出す。
「チッ」
ローレンスから舌打ちが聞こえた。
いつも穏やかなローレンスだが、魔物と対峙する時には、こうして口調が荒くなる事があった。
「デュオ、1匹だけだから僕が引き付けておく。その間に逃げろ」
視界の隅に魔物をとらえたまま、ローレンスはそう口にする。
「何言ってんだ!ローレンスは足がっ!」
「だから言ってるんだ。僕がいたんじゃ、逃げるにしてもデュオの足手まといになる。あいつは素早いから、僕が引き付けておく。その間に 「駄目だ!」」
こうして話している間に、じりじりとガルムは近付いてきていた。
この2人を警戒もせず余裕があるとさえ感じている様に、ゆっくりと歩いて近付いていた。
「どうやら言い争ってる場合じゃなさそうだな…」
ローレンスはガルムに視線を固定すると、デュオーニを庇うように前に出て、両手で杖を剣の様に構えた。
その動作に、魔物は戦闘の意思があるものと理解したのか、挑発するように走り出した。
デュオーニは、もうこれ以上誰にも傷ついて欲しくない。
だから今度こそローレンスを助けるのだと瞬時に頭を切り替え、矢筒から矢を引き抜くとローレンスの前に進み出た。
「なっ!」
咄嗟に前に出てきたデュオーニに声を出すも、もうこちらに向けてガルムは迫っており、ローレンスが今から前に出る事も出来なかった。
「今度は僕が護る!」
デュオーニはその時、リヴァージュパンサーに襲われた時の感覚に届いていた。
捨て身と言えば聞こえは良いが、無我夢中で今この瞬間を切り抜けるためだけに全力を尽くしていたのだった。そして周りにある景色が視界から消え、魔物の動きだけがゆっくりと近付いてくるように感じていたのだった。
ドクリッ ドクリッ
自分の心臓の音だけが頭に響き、ガルムはひとつの心音の間で2回跳ぶよう弾む。その赤と黒の毒々しい色はデュオーニの視界に浮かび上がり、鮮明に見えている。
キリキリと引き絞るこの一矢を外せば、次を番える前にここまで到達するだろう。そう思えばこそ、この一射は外せないのだと瞬きも呼吸も忘れ、デュオーニは番えた矢を更に引き絞れば、全身から力が湧き上がる。
― カンッ ―
弦音が鳴った。
そうしてデュオーニから放たれた矢は、15m先まで迫っていた魔物の眉間に吸い込まれるように中る。
『ギャウンッ!』
小さな声をあげたガルムは前のめりに滑り込むように崩れ落ちると、あっけなくそのまま動きを止めたのだった。
ローレンスは、この一瞬の出来事を理解できなかった。
デュオーニの弓士としての腕は、お世辞にも素晴らしいと賞賛できるものではないが、射程距離さえ気にしなければ、その命中率は100パーセントと言っても良い腕前だ。
近付くから当たるのだと口さがない者は言うが、いくら近付こうとも動く的の狙った場所に100パーセント矢を射る事は、下手な者では絶対に出来ない事だとローレンスはわかっているのだ。
しかし、その彼の射程距離は8m程度。
それは弓士にとっては致命的とも呼べる距離だったが、デュオーニはその距離さえも克服しようと自分から的に近付く形を選び、皆の役に立てるようにと体を鍛えていた事も知っている。それを考えれば、ローレンスは今目の前で起こった事が理解できずにいたのだった。
自分の前に出たデュオーニが矢を番えた途端、デュオーニの雰囲気ががらりと変わったと感じた。そしてそこから放たれた矢は、デュオーニの限界射程距離を遥かに超えた場所にいた魔物へ、吸い寄せられるように刺さったのである。
そうしてそれを放った者もその動きを止め、倒れた魔物をただ茫然と見つめていた。
「…デュオ…?」
恐る恐るローレンスはデュオーニに声を掛けた。
ローレンスの前に立っていたデュオーニは、その声にゆっくりと振り向くが、その顔は唖然としたものであった。
当人は何も分かっていないらしく、15m先の魔物に矢が当たった事に当惑している様だ。
「何をしたんだ?デュオ…」
今の行動を説明して欲しいローレンスがそう尋ねるも、デュオーニは首を振るだけでわからないという。
「矢が当たった…」
その言葉から、デュオーニは魔物に矢が当たった事に驚いているのだとローレンスは知る。
「デュオがあの魔物を射殺したんだ。しかも一発で」
「そんな威力は…」
なぜかローレンスが、動揺しているデュオーニに状況を説明する事になっていった。
「威力も何も、実際にあそこで倒れてるんだぞ?それが全てだ、デュオ」
「………」
ローレンスの言葉を確かめるように、倒れているガルムに向かって歩いて行くデュオーニ。
その背中を見つめて杖を脇に挟んでから、ローレンスもゆっくりと近付いていった。
そして2人は、前脚を伸ばしたまま横倒しに倒れたガルムを見下ろした。
こうして見ていてもピクリとも動かない魔物は、はっきり絶命していると分かる。
「何にしても、こんな場所にガルムが出た事を報告した方が良いな。ここはたまに、子供も来る場所だ。これを持って帰って、注意喚起してもらった方が良いだろう?」
「…そうだった。分からない事は後で考える事にするよ。今度、月光の雫の人達にも相談してみる」
「その方が良いかもな」
ここは一旦仕切り直しという事にして、デュオーニがガルムを大きな袋に入れると、ローレンスと2人で冒険者ギルドへと向かうことにしたのであった。