【144】刷り込み
「デュオーニさん、こんな場所にいては危ないですよ?」
ルース達はデュオーニを囲むように、その場で足を止める。
その声にゆっくりと顔を上げたデュオーニは、しかし振り返らずに遠くを見た。その態度に、今までのデュオーニとの違いを感じ、ソフィーが優しく声をかける。
「お父さんも、心配しているわよ?」
父親の事を言われたデュオーニは、そこでピクリと肩を揺らす。
「僕はもう…」
そこで途切れた声はか細く、心なしか掠れていた。
「どうか、されましたか?」
「…僕はもう、冒険者を辞めようと思います」
デュオーニは先程からずっと考えていた事を、ここで初めて口にした。
「え?何でだ?矢だってちゃんと狙った物には当たるんだし、これからでもまだ強くなれる可能性は残ってるだろう?」
フェルは諦めるなと励ましているが、それにデュオーニは首を振った。
「僕は…さっき父さんの話を聞いてしまいました」
『ふむ。確かに窓の外におったのぅ』
そこでネージュが今更な事を言い、3人は勢いよくネージュを振り返った。
『別にそれを伝えていたところで、結果は変わらぬであろう?この者が聞いてしまった話は、聞かなかった事にはならぬゆえに』
確かにそうではあるが、せめてその時に言ってくれればと思うものの、ネージュは言葉が足りない聖獣であったと思い出す。その為、再び黙ってしまったデュオーニへと視線を戻した。
「それで聞いてしまったからと、又お父様に心配をかけるのですか?」
決してそんなつもりはないと分かってはいるし、本人は心の整理をつけたかっただけだとは思うが、ここは心を鬼にしてそれを言わねば、この弱っている人物は動く事も諦めてしまっている様に見え、ルースは敢えてそんな言い方でデュオーニを叱責する。
「それは…」
それは本意ではないと言いたいのであろうが、現状、そうなってしまっている事は否定できないのだ。
「いったん戻りましょう。今日はこちらで野営でもするおつもりですか?ですが、いくらもうリヴァージュパンサーがいないからと言っても、ここはお一人で野営するには危険が多すぎる場所ですよ?」
ルースがそう話しても、また下を向いてしまうデュオーニ。
「どんな顔をして父さんに会えば良いのか…」
「どうして?」
ソフィーはその言葉に、疑問を投げかけた。
「どうしてと言われても、僕のせいで父さんはあんな怪我をしてしまったんです。それを知った今、どんな風に謝ったところで、僕が傷つけた父さんの腕はもう戻らない…」
「何言ってるの?貴方のお父さんは、貴方の事を一度も悪く言っていなかったわ。今まで何でその事を知らせなかったと思ってるの?貴方が大切だからじゃない…。こうして貴方が知って自分を責めると解っていたから、私達にもこの事は、貴方には言わないで欲しいとお願いしていたのよ?」
ソフィーの声にデュオーニは、再び顔を上げて遠くを見ている。
「そして、こうも仰っていました。“この腕1本で息子の命が救えたのなら、俺はこの腕さえも愛おしく思う“と」
ルースの言葉に、デュオーニは初めて3人を振り返った。
その目は縋っている様にも懇願している様にも見える程、その愛情を欲している様に見えた。
「お前の父さんは、今もお前の事をちゃんと愛してくれてるって事だ」
フェルがその視線に応えるように目を細め、ルースとソフィーも微笑んでそれに頷いて見せる。
それには今まで耐えてきたであろう涙が、デュオーニの目に溢れる。そしてそれは結界を壊して、デュオーニの頬を伝いおりていった。
「う…ぅぅ…」
小さく声を漏らしたデュオーニは、もう我慢する事が出来ずに泣き出した。ルース達を振り返った体勢から地面に両手をついて下を向き、その地面を一粒ずつ湿らせていく。
ルースはそんなデュオーニからそっと距離を取ると、小さな羊皮紙を取り出し、デュオーニが見付かった事と無事に連れて帰る旨を記入する。
「シュバルツ」
近くにいるはずのシュバルツを呼べば、この暗闇にもルースを見付けてその肩に留まった。シュバルツは魔物であるため、鳥と言えども夜目は効く。
そしてシュバルツに付けたばかりの金の印に、ルースはその紙を挟んだ。
「シュバルツ、トーマスさんに届けてください」
『承知シタ』
そのやり取りで、シュバルツは町の方へと飛んでいった。
まだ少しデュオーニには時間が必要だと判断したルースは、先に心配している人達に無事を伝える事にしたのである。
そのルースの動きを見ていたフェルとソフィーが、ルースに笑みを向けて少しホッとした表情になった。2人もすぐに動こうとしないデュオーニを見て、心配しているトーマス達の事を気にしていたのだろう。
さて、後はデュオーニが落ち着いてくれるのを待つだけだが、この真っ暗な森ではさすがのルース達でも何が起きるか予測がつかない為に、近くで軽く枝を集めて小さな焚火を熾した。ただの明り取りであるが、夜は少し肌寒いせいもある。
そしてデュオーニをそのままに、ルース達は焚火の傍で腰を下ろして飲み物を出す。そしてネージュはソフィーの傍にゆったり寝そべって目を瞑り、ルース達は長期戦の構えを取った。
「僕はなぜ、人を傷つけてしまうんでしょうか…」
それから少しの時間が経って、デュオーニはそんな言葉を漏らす。
「僕は人を傷つける為に、生まれてきた人間なんでしょうか…」
デュオーニは自分が父親を傷つけた事、そしてパーティメンバーにも冒険者を続けられない程の怪我をさせてしまった事を言っている。それはどちらも故意にしたことではない為、余計に彼の心に重く伸し掛かっている出来事となっていた。
こればかりはある意味では運命と捉え気持ちを切り替えるしかないのだが、それを彼の心は受け入れる事を拒んでいるようだった。
「これ以上、誰かを傷つける事はしたくない。せめてそれを僕自身に代われるなら…」
デュオーニは優しい心の持ち主だとルースは思っている。これは、だからこその言葉であろうことも十分に理解している。もしルースがデュオーニの立場であれば、やはりとても辛い事であり、そして自分が代われるものであればと考えてしまうだろう。
「僕はもう、冒険者を辞めようと思います。そしてこの町を出て、誰もいない所で独り生きて行こうと思います…」
「デュオーニさん、そこでは寒いでしょう?こちらに来て火に当たりませんか?」
ルースはデュオーニの話には触れずそうやって声を掛ければ、デュオーニは袖口で涙を拭い、諦めたようにルース達のいる焚火に近付き腰を下ろした。
焚火に照らされたデュオーニはすっかり憔悴しており、心なしか小さくなったようにも見える。
ルースはデュオーニにも温かいお茶を入れると、それを手渡した。
「ありがとう…ございます」
やっと声を絞り出した様にお礼を言ってお茶に口をつけるデュオーニは、ずっとここにいた為に喉が渇いていたようだった。
「それが、貴方が望んだ答えですか?」
ルースは先程の言に、疑問を投げた。
「僕はもう、人を傷つけたくないんです…」
「じゃあ、誰も怪我をしなければいいんだろう?お父さんの事は過ぎてしまった事でどうしようもないけど、これからデュオーニが強くなって、皆を護れば良いんじゃないのか?」
フェルの考えはデュオーニとは違い、身を引くのではなく自分が強くなって、護る立場になる事を提案しているものだ。
「フェルさんは強いのでそういう風に言い切れるんでしょうけど、僕は出来損ないの弓士で、人を護るなんて…」
「何だよ…随分と刷り込まれてるんだな」
“デュオーニは弱く出来損ないだ“とはっきりとした言葉でなくとも、皆からもそういう視線を向けられてきたデュオーニは、自分を肯定する力が弱くなっているのは事実だ。
「今までは僕も自分が強くなって立派な冒険者になれば、ガイスの幼馴染…ローレンスにも報えるような気がして頑張ってきていたんですけど…でも…」
「そのガイスさんの幼馴染に報いるために、今まで頑張ってきたって事なの?」
何故その人の名前が出てくるのか分からないソフィーは、そう言って不思議そうにしている。
ソフィーとフェルはまだ、ローレンスがデュオーニを庇って怪我をした事を知らないのだ。
その事に気付いたのかデュオーニがルースへ視線を向ければ、ルースは首を小さく横に振った。
これは繊細な話になる為、ルースはフェルとソフィーにもこの話はしていなかった。そのルースの動きで察したデュオーニは、再びソフィーに視線を向けた。
「僕を庇ったせいで、ローレンスは大怪我を負いました。その怪我で、彼は冒険者を続けられなくなったんです…」
「だからあいつは、デュオーニに絡んで来ていたのか…」
フェルもそれでガイスの行動に合点がいった様で、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「じゃあ、そのローレンスさん?ローレンスさんが今もまだ冒険者を続けていれば、その考えは違ったって事?お父さんの為に、まだ頑張っていられたって事なの?」
デュオーニが2人の人間に重傷を負わせてしまったと知ったから、そう言うのかとソフィーは聞く。それがもしどちらか1人だけだった場合はそうなっていなかった、と言っている様にも聞こえたからだ。
父親の事はデュオーニが怪我をさせてしまったという事実を消せないが、ローレンスは庇ってくれた為の怪我で、もしその彼がまだ冒険者を続けていれば、自分を許せるのかと尋ねたかったのだった。
「そうかも…しれません。父さんの事は一生かけて謝り続けるしか出来ないですが、ローレンスは…ローレンスが今も冒険者としてガイス達のパーティにいる事が出来ていたら、もう少し頑張ってみようと思ったかもしれません…」
自信なさ気だが、そんな事がもしあればと変えられない現実を思ってか、デュオーニは寂しそうに笑った。
その時、草を踏みしめる足音が聞こえてきた。そして カサッ コツッ と人の足音とは違う音も混じっている。
ルースは人の気配が近付いてきたと先に気付いており、危険はなさそうな雰囲気であったため様子を見ていたのだが、この音はその人物の物であろうと推測する。
そうしてその足音がルース達の囲む焚火の近くに来て止まれば、その灯りに照らされた人物を見てデュオーニが緋色の目を見開いた。
「…ローレンス…」