【141】過去
フェルが荷物を持って歩き出せば、ではお願いするよと困ったように笑って、男性は自分を“トーマス・フェイゲン“と名乗った。
「もしかして、君達は、月光の雫という冒険者パーティではないか?」
トーマスを家まで送る道中で、彼はルース達へそう聞いた。
「はい、そうです…。失礼ですが、どこかでお会いした事がありましたでしょうか?」
自分達の事を知られていた事に少々警戒したルースは、慎重に言葉を返し、フェルとソフィーも困惑した表情になった。
「いえ、直接会ったのは初めてですが、息子から白い犬を連れていた冒険者にお世話になっていると聞いていたので。その息子はデュオーニと言います」
知った名前を出され、ルース達は肩に入っていた力を抜く。
「ああ、デュオーニ君のお父さんか…」
フェルがホッとした顔で苦笑した。
そこで一旦立ち止まったトーマスが、真剣な表情を3人へ向ける。
「先日は息子を助けていただき、ありがとうございました」
道中で突然頭を下げた人物に、ルース達は驚く。
「おやめください。私達はたまたま近くにいただけですので」
「そうです。近くに魔物がいたから、討伐しただけで」
「いいえ。お会いする機会があれば親としてお礼を伝えたかったので、ここでちゃんとお礼を言わせてください」
「…そのお礼の言葉は受け取りましたので、これ以上はもう…」
やっと顔を上げたトーマスは、スッキリとした笑みを浮かべた。
「ありがとう。本当に君達は、デュオーニが言っていた通りの人達だ」
「え?デュオーニ君は、俺達の事を何て?」
「とても強い上に、親切で優しく素晴らしい冒険者パーティだと」
デュオーニが話したらしい絶賛の言葉に、ルース達が逆に恐縮してしまう。
「それは褒め過ぎですね…」
照れながらも過大評価だと苦笑している3人に、トーマスはデュオーニにとって良い出会いをしたのだなと笑みを深めた。
そうして家まで辿り着けば、トーマスはお茶を入れるからと3人を家の中へと招いてくれた。
「助かったよ。私まで助けてもらった形になってしまったね。本当にありがとう」
少し砕けて接してくれるようになったトーマスに、ルース達は笑みを向ける。
「今、お茶をもって来るから、そこに座っていてくれるかい?」
「じゃあコレもそっちに運びますね」
台所へ向かうトーマスとフェルに、ソフィーが「私も手伝います」とついて行く。
「お?ありがとう。うちは娘がいないから、何だか新鮮だな」
少し照れたように言いながらトーマスとソフィーは手早くお茶を入れ、フェルは先にルースの所へ戻る。
そしてお茶を入れてきた2人は、ルースとフェルの所へと戻ってきた。
ソフィーが持ったトレーからお茶を置いてくれるトーマスに礼を言って、そのまま4人は席に着く。
「本当にこの白い犬は大人しいな。頭も良さそうな顔をしている」
トーマスは、大人しくソフィーの傍に座っているネージュを見て、顔を綻ばせる。
『それはそうであろう。我はそこらの獣ではないゆえに』
シレっと念話を送ってくるネージュに笑いを堪え、ソフィーは「この子はネージュと言います」と紹介する。
その時家の窓から見える木の枝に、黒い鳥が留まるのが見えた。
「ちょっと失礼します。窓を開けてもよろしいですか?」
ルースの突然の申し出に「ん?」と言ったトーマスだが、「構わないよ」と承諾してくれ、ルースはその窓を開いてシュバルツが来るのを待った。
ルースが声を掛けずともシュバルツは呼ばれた事を理解して、滑空するようにルースの所まで飛んでくると翼を何度かはためかせてからその肩に着地し、肩の上でクルリと方向を変える。
それで再び窓を閉めてルースが席に戻ると、トーマスへシュバルツを紹介する。
「失礼いたしました。こちらはシュバルツと申します」
ルースの紹介に胸を張って澄ましているシュバルツに、トーマスは見開いていた目を細めて「ほう」と納得したような事をもらした。
「そうか、君がシュバルツ君か。息子から、君が間違えて狩人に矢を射られたと聞いていたが、大事なさそうで良かった」
「ええ。シュバルツが狩人の邪魔をしてしまった様でしたので…」
ルースはあの時の事を後から聞いて、そうだったのかと今は納得している。
「おや?シュバルツ君も印を着けてもらったようだね。息子は、自分が印の事を伝えそびれてしまったせいだと、反省していたよ」
トーマスはそう言って、ルース達に苦い笑みを向けた。
「その印って、従魔には必ず着けないと駄目なんですか?」
フェルは狩人の言葉で知った印の事を尋ねる。
「そうだね。狩人に限らず冒険者達にも間違えられない様に、従魔などの使役している獣には、人と繋がっているものだと知らせるために何かを身に着けてもらう事が、この町ではルールになっているんだ」
「そうだったのですね。それを知らずにいた私にも非があったという事です。申し訳ありませんでした、シュバルツ」
『我ハ,叱責セヌ』
そう念話を送ると、シュバルツはルースの顔に頭をこすりつけた。
「本当に賢いな、その鳥も…」
ルースとシュバルツがまるで会話をしている様に見えているトーマスは、感心した様に言葉を落とす。だが実際にも会話をしているとは、ここで言う必要はないのである。
「ふふっありがとうございます。当人たちも喜んでいるみたいですよ。…あ、人じゃないから、この場合は何て言いうのかしら…」
ソフィーが話を纏めてくれ、和やかな空気になった。
そこで遅くならないうちに暇しようかと、飲み終わったお茶をトレーに乗せてそれを下げようとすれば「そのままで良いよ」とトーマスは慌てて左手を伸ばすも、それに当たったカップがコロリと倒れ、少しだけ残っていたお茶がテーブルに広がっていく。
「ああ、悪い。後は自分で出来るから、置いておいてくれるかい?」
そう言われたところで、テーブルにこぼれているものをそのままにするのもと、ソフィーはハンカチを出してそれを拭いて行く。
「悪かったね。たまにやってしまうんだ」
困ったように笑うトーマスは、悪くないと思う。
「いいえ。片手ではどうしてもできる事が限られてしまいますので、ご無理はなさらないで下さい」
「そうですよ?私達が出来る事は、お手伝いしますから」
ルースとソフィーの言葉に「ありがとう」と言って肩の力を抜いたトーマスは、浮かせていた腰を椅子に戻し、動かない右腕をテーブルの上に乗せた。
「君達には話してしまっても、大丈夫かもしれないな…。これはもう、14年前からなんだ。それまでは私も狩人をしていたんだよ」
そう言ってトーマスは、動かなくなった腕に手を添えた。
「じゃぁその時に、怪我をしたんですか?」
フェルの問いかけには、トーマスが首を振る。
「これは仕事中の怪我ではないんだよ。それを知っているのは私と妻だけなんだ。だからデュオーニには言わないで欲しい」
「デュオーニさんは、知らない事なんですか?」
ソフィーの言葉にトーマスは頷いた。
「息子は…デュオーニはその時の記憶がないらしい。だから敢えてその事は伝えていないんだよ」
トーマスの話が複雑になってきたと、ルース達は顔を見合わせて口を閉じる。
そしてトーマスは自分の右腕を見つめて、目を細めた。
「まだ、あの子が小さかった時だ。3歳になったばかりの頃、息子には魔力があると気付いた」
「え?」
フェルが驚きの声をあげた。ネージュから聴いた話では、デュオーニには魔力がないと思っていたからだ。
そしてルースもデュオーニから魔力を感じ取れなかった為、驚いた表情をする。
『我は魔法が使えないと言ったのじゃ』
ネージュからそう念話が届き、その声に続けるようにトーマスが話し出す。
「息子が3歳の頃、外で一人で遊んでいるところを見れば、息子の周りに風が吹いていて花が揺れるのを見て喜んでいた。だが周りを確認しても、揺れているのは息子の周りの草花だけだった。それでこの子には魔法が使えるのだと気付いたんだ」
話の流れで口を開く事が出来ないルース達は、沈んだ表情になっていく。
「その時息子にちゃんとした教えを受けさせていれば、あんな事にはならなかったと…。俺と妻には魔力がないから、そこまで頭が回らなかったんだ」
“私“から“俺“に口調が変わっている事にも気付いていないらしいトーマスは、後悔するように額に左手を当てた。
「それから暫くして、デュオーニの魔力が暴発を起こしてしまった。俺は丁度近くにいてそれを目撃し、泣き声をあげながら自分の放つ魔法でズタズタになっていく息子に、咄嗟にこの手を伸ばす事しか思いつかなかった。…そしてやっと魔力が切れたのかそれが収まった時、俺の腕の中で息子は気を失っていた」
その時の事を思い出しているのか、トーマスはギュッと目を閉じている。
「その後すぐに家にあったポーションで息子の引き裂かれた傷を治したが、それから3日間高熱を出して眠ったままで、次に目覚めた時にはその時の記憶も魔力もなくなっていたようだった…」
トーマスの衝撃的な独白に、その場で口を開く事は誰も出来なかったのであった。




