【134】矢
デュオーニの見ている前でスライムの氷を解除し、そこへフェルが手にした剣で一突きする。そしてその剣を引き抜けば、丸かった体はズルリと崩れ、一つのゼリーの塊のようになった。
それを真剣に見ていたデュオーニは、言葉もなく考え込んでいる様子だ。
「御覧になって、いかがですか?」
緑のスライムを手に持ったルースは、それをデュオーニの前に差し出す。
「…一瞬の事でしたが、これの中心にあった黒い点のようなものを剣で刺したら崩れた…という事でしょうか?」
「ええ。その黒い種の様な部分がスライムの急所になっていますので、そこを壊せばこのように動かなくなるという訳です」
「勉強になりました。僕も一人の時に見掛けたら、出来るか分かりませんがやってみます」
「ええ、是非そうしてください」
理解が早いデュオーニに、フェルは補足とばかりに話しかける。
「スライムって殆ど気配がしなかっただろう?だから、気付いた時には既に近くにいる事が多いんだ。言ってしまえば、それだけ近付かないと人には気配が感知できない魔物。だから難易度が高いと言われている」
「そして魔物に先に気付かれれば、逃げられてしまうものね」
「なるほど…確かにそれだと、先に見つけるだけでも難易度が高いと言えますね」
眉間にシワを刻んで考えているデュオーニだが、この魔物は深く考えなくても問題はないだろう。
「では、ここの場所もそろそろ移動した方が良さそうなので、他の場所へ行きましょう。またご案内お願いしますね?」
「はい、わかりました」
まずは1体のグリーンスライムを確保したルース達は待機場所を移動し、そこからまた30分程森の中を進んだところで薬草を見つける。今度は別の薬草だ。
そこでも静かに薬草を摘んでいれば、再びシュバルツから念話が届く。
やはり人間にはまだ感知できていない気配だが、シュバルツとネージュはすぐに気付いてくれるので有難い限りだ。
こうして再びグリーンスライムを1体確保し、それからは一か所で40分ほど滞在し次の場所へと移動を繰り返しつつ、今日は殆ど薬草採取になったと言って良い程、のんびりとした時間を送った。
そして昼食も済めば、次からの移動は湖に向かって降りて行く事にした。
ここまででスライムは2体、両方グリーンスライムでルースとフェルが仕留めた物だ。
この森の中では時々人の気配もするので、スライムは余り動き回っていないようだった。この人の気配は、おそらく狩人のものであろうとデュオーニは言う。言われてみれば森の奥には獣もいるし、それを狙う狩人もいるはずである。
「では次も下へ向かいますね」
「おう」
フェルがデュオーニの隣に並び、先頭を進む。そしてシュバルツも、上空を付かず離れずに付いてきてくれているようだ。
それから2度ほど場所を移動し、近くには湖がしっかりと見えて来ていた。
「次で最後にしましょう。薬草も随分たまりましたし、余り遅くなると受付も混んできますしね」
笑って言うルースに3人も頷き返し、山の麓で又薬草を摘み始めたルース達だったが、ここでもスライムの気配はないらしく、そろそろ終わりにしようとルースが考え始めたところでシュバルツから念話が届いた。
『来タゾ』
その声を拾った3人は顔を見合わせ頷きあう。
デュオーニは彼らのその動作を今日何度か見てきたが、3人は気配を拾うのが早い為に、同時に気付いているのかと勘違いしていたのだった。
その彼らの仕草で動きを止めたデュオーニは、ルース達の指示を待つ。
『今度ハ,ソイツノ近クダ』
シュバルツは、デュオーニの近くにいると言いたいらしい。
3人が一斉にデュオーニを見れば、その視線に戸惑うデュオーニ。
「今度はデュオーニの近くだぞ」とフェルがデュオーニを指さし、そのデュオーニは自分を指さす。
そして3人がウンウンと頷けばデュオーニは顔を強張らせ、ここでも失敗しないかと苦い顔になるも、ルース達が大丈夫だという様に笑って頷いて見せれば、少し力の抜けたデュオーニも硬い笑みを浮かべ頷いた。
そうしてルースがデュオーニの後ろだと指で方角を示せば、デュオーニはゆっくりと体を回転させ矢筒から矢を1本引き抜いた。
そんな彼を、ルース達は黙って見守る。
そのまま少しすれば、草の擦れるカサカサという音が近付いてくる。まだ姿は見えないし気配も感じ取れないが、デュオーニは矢を引き絞った状態で、その音の方向を辿る。
膝をついたままの姿勢で弓を引き絞ったデュオーニは、背筋を伸ばし美しいと評する姿勢を保ったまま、視界の中にそれが現れるのを待った。
出てきた…今度は青いスライムだ。
固唾をのんで見守る3人には気付かず、デュオーニはそれに集中しタイミングを計る。
デュオーニとスライムとの距離は5m。この距離であれば、デュオーニが外すという事は絶対にない。
そして、息すら止めている様に見えるデュオーニから矢が放たれる。
― シュン ―
弦の音が微かに聞こえるも、その時は既に、矢はスライムの中心を射抜いていた。
デュオーニの放った矢は魔物の種を砕き、その体を地面に縫い留めたように刺さっていた。
そしてズルズルとその形を崩したスライムは、程なくしてその動きも止める。
それを見届けたルース達は立ち上がり、デュオーニの傍に近寄っていった。
「完璧だな」
「ええ。凍らせないままで仕留めるのは、流石弓士と言えますね」
「一撃なのね」
殆ど動かなかったと言って良い的を射抜いたはずが、ルース達はデュオーニがまるで偉業を達成したかのように賞賛してくれている。
それにくすぐったい気持ちも湧くが、これは自分を気遣ってくれた言葉だとデュオーニは理解している。
「ありがとうございます。無事に当たって良かったです」
少々はにかんでデュオーニが答えれば、ルース達は嬉しそうに笑みを見せた。
「無事にデュオーニさんにも体験してもらえて良かったです。それでは、そろそろ帰りましょうか」
「はい」
「それじゃ、あれは回収しておくからな」
フェルが矢を引き抜いてスライムを回収し、その矢をデュオーニに返却すれば、今日3体のスライムを仕留めた4人は、山の麓から湖畔を歩いて町へと戻っていく。
それから湖の側を通りつつ、空はまだ十分に青いなと湖面に浮かぶ空を見ていたルースは、突然感覚の異変に気付いて身を固くした。
(―?!―)
空を見上げるも、一瞬気になったシュバルツの姿は見えない。
この感覚はシュバルツと繋がっているところだと気付いたルースは、足を止めて焦ったように周辺を見回した。
「ルースどうした?」
それにいち早く気付いたフェルが声を掛ける。
「シュバルツに何かあったようです…。ネージュ、シュバルツの位置はわかりますか?」
『こちらじゃ』
ルースの只ならぬ様子に素早く反応したネージュは、人の走りに合わせてゆっくりだが駆け出していく。
それは湖畔から再び山の方へと戻る方角で、4人はネージュについていく形で走っていった。
ルースも漠然とシュバルツの存在を感じるが、ある程度離れてしまえば確かな位置を掴むことが出来ないのだ。
先ほど受けた衝撃の様な感覚に不安を抱きつつ、ルースはひたすら足を動かし走っていった。
そうして到着した先に見えたものは矢が刺さり倒れた兎、そしてその側に横たわる黒い鳥。
その黒い体にも矢が刺さり、今は動きを止めているようだった。
それを目に入れたと同時に、視界の向こう側から3人の男性が木々の間を抜けて走ってきた。
先に声を出したのは、向こうの男性だった。
「悪いがコレは、俺達が獲った物だ。獲物を渡す事はできないぞ?」
ルース達とその男性達との間に倒れている2体を指さし、男性は言う。
身なりを見れば狩人らしく動きやすい服装に、小刀などの武器に弓と矢筒を背負っていた。
ルースは倒れているシュバルツを見て、怒りがこみ上げるのを感じた。
シュバルツはただの魔物ではなく、友なのだ。その友が一方的に傷つけられ倒れている姿に、ルースの目の前は赤く染まり溢れ出た魔力が膨らんでいく。
しかしそこで、先に動いたのはフェルだった。
「悪いがその黒い鳥は、俺達の従魔だ。返してもらうぞ」
抑揚を抑えたフェルの声は、必死に怒りを押し殺している様にも聞こえるものだった。
「え?従魔だって?」
「何も印がついてないじゃないか…」
「こいつが先に、俺達が狙っていたその兎に手を出そうとしたんだ」
狩人らしき3人は、近付いてきたフェルから溢れる圧にたじろいだらしく、足を止めたまま焦ったように話している。
「ああ、わかっている。間違えてこいつに矢を当てたんだろう?こいつは食い意地が張ってる奴だから、この兎を狙ってでもいたんだろうしな」
そう言いながらシュバルツに近付いたフェルは、倒れているシュバルツをそっと抱き上げて胸に抱いた。
「それを持って、とっとと消えてくれ…」
フェルの淡々とした声は狩人たちを怯えさせたらしく、
「悪かったな」
「すまなかった」
そう謝罪しながら慌てて兎を拾いあげると、森の中へと走って消えて行ったのだった。