【120】広い心
ルース達が応接室に入って少し経った頃、ギルドマスターのハリオットが慌てたように入ってきた。
「すまないな、待たせて」
「いいえ、こちらこそお忙しいところ、お時間を作っていただき申し訳ございません」
ルース達の前に腰を下ろしたギルドマスターは、既にテーブルに置かれている白い魔物の素材を見て目を細めた。
「もうクエストを完了させてくれたんだな。流石に手早いな…」
と、早速その素材を検分し始めた。
この素材はここに出す時にはソフィーが浄化魔法をかけてくれている為、子熊もこれが親であるとは気付いておらず、今は座ったネージュの足元に丸まって大人しくしていた。
「助かったな…さすがに繁殖された後では、少人数で対処ができなくなるところだった」
確かにギルドマスターが言うようにこの子供が大きくなっていれば、あそこには3体が並んでいた事になり、二人がかりでは難易度が高くなっていただろうと安易に想像ができた。
その意味では間に合ったと言えなくもないが…。
「いいえ、このスノーベアは既に子を儲けておりました」
「何?…しかしここには2体分しかない様だが」
どういう意味だと眉間にシワを寄せたギルドマスターが、視線をルースへ向けた。
繁殖しているといったルースの言葉では、素材の数が合わないのだ。
「もう1体は生後間もない物で…その……懐かれてしまいました…」
そう言ったルースが、ソフィーの足元にいるネージュへと視線を向ける。そしてルースの視線を辿ったギルドマスターは、そこでやっとネージュの足元に丸まっているものに気付き、目を見開いた。白い物同士が纏まっていた為、ギルドマスターはそこにもう一体いることに気付いていなかったようであった。
「懐かれたって…連れてきていたのか…」
そう言葉を落とし、一つ大きな息を吐いたギルドマスターは、困ったように眉尻を下げた。
「その言い方から察するにコレは従魔にしたわけではなさそうだが、それでこれはどうするつもりなんだ?この町中で騒ぎを起こされても困るぞ?」
「それは大丈夫です。そこにいる彼に懐いていますので、彼の言う事は聞いてくれるはずです、ね?」
そこでルースはネージュに確認する言葉を投げかけ、それにネージュは応えるように首を下へ動かした。
「ほぅ…頭の良い犬だな…流石に管理されているだけはあるようだ」
勝手に解釈を進めるギルドマスターをそのままに、これで子熊の件は何とかなっただろうと3人は安堵する。
「分かった、それの件は大目に見よう。では今日はこちらの買い取りだけで良いって事だな?後、完了報告もまだなんだろう?すぐ済ませるから、ちょっと待っててくれ」
そして予め用意してくれていたのか、魔導具を出して入力をしてくれているギルドマスターは、言った通りにすぐに手続きを済ませてくれた。
「これも入金は後日になるから、そこはよろしく頼むな」
前日聞いていた様にこれも売却してからという事になるらしく、そう言ってギルドマスターは話を終わらせ腰を浮かせた。
しかし、ルース達はこれで終わりではない。
「申し訳ありませんが、まだご報告がございます。どちらかといえば、こちらの方が大事なお話しです」
しっかりと前置きをしたルースは、そう言ってギルドマスターの動きを止めた。
立ち上がりかけていたギルドマスターは、その言葉にもう一度座り直した。
「ん?大事な話…?別の場所にも魔物が巣を作っていたのか?」
ある意味では正解を言い当てたギルドマスターに、ルースは頷きをもって返した。
「はい。このスノーベアが居た洞穴が、別の洞窟と繋がっておりました」
「何だって?」
「それでその中には入りません…いいえ、入れませんでしたが、中にも魔物がいる気配がありました」
「ちょっと待ってくれ。君達が入る事を躊躇する程の魔物がいる洞窟…という事か?」
「はい…と言って良いかは正直わかりません。洞窟の中を確かめた訳でなく確実とは言えませんが、そこはダンジョンと呼ばれる洞窟ではないかと…。その為、入る事を踏み止まりました」
「ダンジョン…だと?」
「はい。その洞窟の中には、多種の魔物の気配があるように感じました。それと洞窟であることを併せて考えた結果、それはダンジョンではないかと思い至りました」
今話した多種の魔物の気配は、ルース自身が感じたものではなくネージュの言葉を言い添えたものだ。しかしその一言を付け加えなければ、そこがダンジョンだと思い至った事の説明がつかなくなってしまう為に伝えたのだった。
そのルースの説明にギルドマスターの目が零れ落ちんばかりに見開かれている。
もし今言った事が真実ならばこの町だけの問題ではなくなり、冒険者ギルド本部や国にも報告をあげなければならぬ規模の話となるのだ。
「マジか…」
「おそらく…」
ギルドマスターはそれからしばし考え込むように口を閉じた。
そしてぼんやりと素材へ向けていた視線の焦点を合わせ、顔をあげてルース達3人を見まわした。
「もしそれがダンジョンと呼ばれるものであれば、これからこの町は大変な騒ぎとなるだろう。その前にそれが本当にダンジョンであるかを確認する必要もあるが。確か、ギルド本部にダンジョン調査を管轄する部署があったはずだな…ここのところ新しいダンジョンが見付かっていなかったから、そこも今は暇だろうし早めに依頼を出さないと、だな…」
始めはルース達に向けて話していた言葉は先に続くにつれ、これから何をしなければならないのかという手順の話になって行ったようだ。
ルース達はそんな部署もあるのかと黙ってその話を聞いていたが、それからポンッと膝を打ったギルドマスターに居住まいを正し、3人は注目した。
「それで、念のため俺も自分で確認したい。後日そこへ一緒に行ってくれるか?」
そう言ったギルドマスターに了承して、ギルドマスターもあの洞窟を確認してもらう事になった。
「これでこの町にも、一気に冒険者が集まってくるかもしれん。まだ色々と調査や準備に時間は掛かるが、それが終われば、噂を聞きつけた冒険者もダンジョンに潜ろうと集まってくるはずだ。しかも、ダンジョンとなれば上位冒険者も動かないはずもないだろう…。そうなればこのギルドの憂いもなくなる。まだ先の話かもしれないが、先に君達には礼を言っておく。―本当にありがとう―」
そう話したギルドマスターは、深々とルース達へ向かって頭を下げた。
それに驚いたのは3人の方だ。
「いいえ、まだそうと決まった訳では…」
「そうそう、取らぬ狸っていいますよ…」
「私達はお礼を言われるような事は…」
そういって慌て出す3人に、ギルドマスターは顔を上げて笑みを深めた。
本来ならここで、それではその分のわけ前をよこせとか、情報料を出せと喚きたてるはずのところで、この3人はたかが礼を言った位で過分な事をされたような慌てようだった。
確かにまだそこがダンジョンであると決まった訳ではないが、そこがダンジョンであるのなら、何としてでもこの人の良い若者達に恩を返さねばと、そっと心の中で思っていたギルドマスターであった。
それで全ての報告も終わり、ルース達はギルドの受付に戻ってきた。
その頃はまだクエスト終わりの報告の為、受付前には列も出来ていた。そんな忙しそうなアリアに目配せして頷き返されたルース達は、そのままクエストの貼り出される掲示板の方へと歩いて行った。
これからルース達は、明日以降の予定を立てるための下見をするつもりなのだ。
緊急性の高い物から順に手を付けていくつもりで、ルース達3人は人のいなくなった掲示板の前に立った。
「次は、どれにしましょうか」
「そうだな、C級はより取り見取りだしな」
「本当ね。色々あるみたいだし、ちゃんと読み込む必要がありそうね」
こうして3人が話している後ろでは、ネージュの背に乗った子熊がモゾモゾと動いて一人で遊んでいる様だった。もう既に50cm位の大きさはあるが、それでもまだ生まれたばかりで遊びたい盛りの様だ。
その動きに気付いたソフィーが振り返り、ネージュに声をかける。
「ごめんね、見ていてくれてありがとう。大丈夫?」
『問題ないが、後で遊んでやってくれるかのぅ』
その返しにソフィーは笑って一つ頷く。
そのやり取りを、ルースとフェルも振り向いて見守っていた。
しかし、そこに一人の冒険者が近付いてきている事に気付いたルースが視線をそちらへと巡らせれば、それは昨日、受付で口を挟んできたグラハムという青年だと気付いた。
フェルもそちらに気付いたようで、又何かを言いにきたのかと渋い顔をし、ソフィーはルースとフェルの視線を追ってそれに気付き、困惑した顔になった。
そうしてこちらに来たグラハムは3人の前に来た途端、ガバリと勢いよく頭を下げたのだった。
「昨日はすまなかった。いちゃもんを付けて悪かった…。後でアリアから聞いて、そもそもアリアが勘違いしてただけだって…。それなのに俺、何も知らずに悪者だって決めつけてた。本当ごめん…許して欲しい」
別に大声という訳ではないが、騒がしくなかった室内だった事もあり、グラハムが話した声は皆に聞こえるものとなった。そして皆がこちらを振り向いて、ルース達は一斉に注目を浴びる事となったのだった。
しかし言った本人はそれに気付かないのか、ずっと頭を下げたままルース達の返事を待っている状態だ。
困ったなと3人は顔を見合わせたのも一瞬で、フェルがすぐさま口を開いた。
「お前…グラハムだったか?お前が親しい人を助けたいって気持ちは俺にも良くわかるが、何も知らないのに、さも俺達が何かしたかのように言うのは男らしくない、と俺は思う」
「そうね。せめて口を出すのなら、ある程度の事情を知ってからにした方が良いと思うわ?」
ルースが何かを言う前に、フェルとソフィーがしっかりと彼に言いたい事を言ってくれたので、ルースは言いかけた言葉をしまって口を閉じた。
「はい。本当にすみませんでした」
言われた彼は反論する事もなく、素直に2人の話に再度頭を下げた。
このグラハムという青年の本質は真っ直ぐなようで、自分の過ちにも激する事なく素直に反省しているところをみれば、昨日はただ、困っていたアリアに手を差し伸べようとしただけだろうとルースは思う。
「わかっていただけたのであればそれで、私達が遺恨を残す事はありません。ただ一つお伝えしておきますが、正義とは事実を理解した上で取った、正しい行いの事を言うのです」
諭すように言ったルースに、グラハムは真っ直ぐな視線を向け「はい」と折り目正しい返事とともに、深く頭を下げたのだった。