【118】どうしよう…
それはカサカサと乾いた草の音を立てて動き出したかと思えば、その場から逃げるように四つ脚をついて後退った。
『ヴゥ…ゥ』
小さな唸り声をあげるものはまだ50cm位の体長であるものの、しっかりとそれは魔物だと主張する声だった。
ルースとフェルはそれを威圧するように、横に並んで近付いて行く。
『ヴゥーッ』
唸り声をあげるも、それは後退って背後の壁に当たる。それももう逃げ場がないと分かったのか、2人から目を反らすことなく唸り続けている。
飛び出してくる気配はないが攻撃してこないとも限らず、スラリと剣を引き抜いた2人は、足を止める事なくそれを追い詰めて行く。
「子供なの?」
そこへルース達の背後から、ネージュに乗ったソフィーが声を掛けた。
その声に立ち止まったフェルは、そちらへ振り向かずに声を出す。
「ああ。だが子供だからといって、襲ってこない保証はない。こいつは魔物だ。ソフィーは近付くなよ」
警戒を滲ませる声でフェルが話せば、ネージュがそこで口を挟む。
『怯えているだけのようじゃのぅ』
魔物の状況を伝えた言葉は、ネージュの口調で一気に緊張を解くものとなった。
「確かに自分の家に知らない奴らが急に踏み込んできたら、怯えてこうなるか…」
フェルもそう思い当たったようで、剣を戻して気配を緩めた。
その間ルースも剣を収めたのだが、何か起これば魔法で対応するつもりである。
『ウゥ…』
何をされるのかと怯えるスノーベアの子供は、牙をむいてはいるものの迫力はない。
「ネージュ、近付く事はできる?」
『ふむ、まぁ大丈夫であろう』
ソフィーを背に乗せたまま進むネージュは、何かあれば対応出来るからこそ、そのまま近付いて行った。
今度は別のものが近付いてきたと気付いた魔物は、その方向からも後退りするように身じろぎをした。
ゆっくりと進んで行くネージュとソフィーからは、緊張というものが全く感じられない程リラックスした様子で、その迫ってくるものを注視している魔物もあげていた唸り声を止め、ただじっとそれを見つめている。
そしてソフィーはその魔物の1m手前で、ネージュから降り立った。
「怖かったのね?何もしないから大丈夫よ?」
そう声を掛けて左手を出した。
まるで“おいで“といっている動作に、ルースとフェルは身を強張らせる。
魔物は体の大きさで判断して良いものではないと学んでいる2人には、それはとても危ない事として目に映っている。しかし、ソフィーが出した手を魔物は武器でも突き付けられたかのように怖がり、更に縮こまってしまった様であった。
その様子を見て一考したルースとフェルは、ネージュが護ってくれるだろう事も考慮してソフィーの気が済むまで好きにさせようと、声を掛けて先に外の処理を済ませてしまうことにした。
外の魔物を長時間放置しておけば、他の魔物を呼び寄せることにもなるのだ。
『よかろう。こちらは気にせずとも我が見ておる』
それからルースとフェルは外に戻り、先程の魔物の回収作業にあたる。
ルース達のマジックバッグには流石にこの2体の魔物は解体しないと入らない為、そのまま解体作業を進めていく。
そして手を動かしながら、ルースはフェルに言葉を掛けた。
「フェル、そろそろ又マジックバッグを買い足すか大きいものに買い替えないと、と考えています。討伐する魔物の大きさがどんどん大きくなってきていますので、このままでは解体しないと入らなくなりますから」
「そうだな。いっそ無限に入るヤツが買えれば、それはもう気にしなくて済むのにな…」
「そうは思いますが、小さな町では多分取り扱い自体がないものだと思いますし、金額もいくらかかるのかは想像もつきません」
「ああ、値段が最大の問題だな…」
2人も随分と慣れてきた解体作業だが、それでもそれが終わったのは昼頃になってからだった。2人が洞穴の入口でその作業をしている間、ソフィーとネージュが外に出てくる気配は全くなかった。
そして今回もシュバルツには回収しない部位を提供し、残りは地中に埋めて処理をした。
「よしっ。こっちは終了だな」
「ええ。やっと終わりましたね」
腰を叩きながら立ち上がったフェルは、硬くなった体を解すように一つ伸びをする。
「それにしても、ソフィーは中から出て来ないな。何やってんだろう…」
「何をしているのかはわかりませんが、ネージュがいてくれるのでソフィーに危険はないと思います」
「まぁそうなんだけどな…行ってみるか」
「はい。そろそろお昼にもなりますし、様子を見に行ってみましょう」
2人は作業を終え、再び洞穴の中に入っていく。
すると奥からソフィーの笑う声が聞こえ、2人は顔を見合わせそのまま最奥へと進んで行った。
「何やってんだ?」
フェルが気の抜けた声で問いかけた。
目の前には、小さな魔物と楽しそうに遊んでいるソフィーとネージュが見えたからだった。
「あっ2人共お帰りなさい。この子とっても良い子だったわ」
『まだ生まれてから日にちも経っておらぬようで、擦れておらぬ魔物じゃった』
ソフィーとネージュののんびりとした声に、ルースとフェルは一気に気が抜け “これで良いのか?“と頭を抱えたのだった。
「ソフィー、そいつを本当の従魔にでもするつもりなのか?」
フェルの問いかけに、ソフィーは困ったように眉を下げた。
「そうしたいのはやまやまだけど、調教師じゃないからこの子の気持ちが伝わってこないのよね…」
『それはそうであろう。調教師であっても相性というものがある位じゃ。相手の気持ちがわからねば、喩え調教師であろうとも従魔には出来ぬからのぅ』
「ですって」
ソフィーが肩をすくめてネージュの話に同意した。
しかしこんなになついてしまっては、今から討伐するというのは無理な話になってしまっている。
ここでルースとフェルがこの魔物を殺せば、ソフィーが大変なショックを受けるのは目に見えているのだ。
ルースとフェルは顔を見合わせ、困ったように乾いた笑いを浮かべるに留めた。
取り敢えずは一旦それは考えない事にして、しばらくはソフィーの好きなようにさせてやろうという事にする。
まだまだ遊び足りないのか、その魔物はルース達が戻ってきてもソフィーにじゃれついていた。
フェルは肩をすくめ、洞穴の中を確認するように歩き始めた。
2人が出て行ってからソフィーが灯りの為に付けたのか、ここにあった枝を使って焚火を作っていた様で、この洞穴の最奥は今明るくなっている。
さきほどまで壁の様子も何も確認が出来なかった為、ルースも他に異常はないかと確認をすることにした。
「お?ここ、何か引っ掻いた所があるな」
さっそくルースの反対側の壁を確認していたフェルが、何かを見つけた様だ。
「引っ掻いた…ですか?」
「ああ。こいつの親が何かしていたんだろう。太い爪で壁を掻いたような跡があるんだ…。何かあるのかな~ここ」
そう言ったフェルは剣を鞘ごと腰から外し、剣でそこを突き始めた。
― ゴンッ ゴツンッ ゴンッ ガツンッ! ―
「フェル、突飛な事をするのは危け…」
― ボコッ ガラガラッ ガラガラガラッ… ―
ルースの言葉の途中で、既にフェルがいる場所の壁が崩れた。
「うわっ」
フェルはその崩落に一瞬遅れて気付いたため、その土砂に飲み込まれてしまったようだった。
「「フェル!!」」
『何をしておるのじゃ…』
焦ったルースとソフィーが慌ててフェルの傍に駆け寄ろうとするが、まだ崩れた土砂の土埃が収まっておらず、2人は目を瞑り袖口で鼻と口を覆ってそれが収まるのを待った。
そして間もなくその土埃が収まり、カランッと小さな石が転がり落ちる音がした。
やっと視界が晴れた場所を見ればフェルの胸から下が土砂と岩に埋まり、フェルは倒れたまま気を失っているらしい。
「フェル!」
ソフィーがそこへ飛び出していき、ルースもすぐに駆け付けた。
「どうしよう…埋まってしまってるわ…」
「私が上の物を退かします。ソフィーは下がっていてください」
ソフィーはおろおろとしながらも、ルースに言われた通りにネージュの下までさがっていった。
「“粉砕“」
ルースは初級で習得した土魔法で、フェルに乗っているそれらを細かく砕いて土に還す。そして押風を唱えて風を送り出し、フェルの上から土を払った。
そこへソフィーが駆けつけて行き、膝をついてフェルの様子を見た。
「怪我しているわ…でもそれだけで済んだみたい。良かったわ…」
そう呟いたソフィーは、即座に回復魔法でフェルを包み込んだ。
温かくも見える光に包まれたフェルは、少ししてピクリと身じろぎをすると閉じていた目を開いた。
「あ…どうなったんだ?」
自分が横になっていると気付き、状況が分からずフェルがそう呟いた。
「もう…心配したんだから…」
「フェルは壁の下敷きになって、気を失っていたのですよ。ソフィーが怪我も治してくれたのです」
「…あぁそうだったのか…ソフィー、ありがとう」
ゆっくりと体を起こしたフェルが地面に座り、しゃがみ込んでいるソフィーに笑いかけた。
その笑みは申し訳ないと顔に書いてある様な、情けなくも見えるものだった。
「本当にビックリしたんだから…無事でよかったわ」
泣き笑いの様な笑みを見せるソフィーに、悪かったなとフェルがその頭に手を乗せて優しく撫でた。
ルースはそれを見つめながら、無事だったのはソフィーがいてくれたお陰ですよと、心の中で言い添えたのだった。
それから一息ついて立ち上がったフェルとソフィーの傍に、ルースも近付いて行く。
そして3人は壁があった方を振り返るも、そこにはもう壁はなく、奥へと続く穴がポッカリと開いていたのだった。
『壊しよって…』
ネージュはそう念話で話しながら、仕方がないというように3人の下へ歩いてきた。
「壊したって言っても、元々先に傷があって崩れたと思うんだが…」
「そうですね。フェルが脆くなっていた所に手を出してしまった、という事ですね」
「その言い方もなぁ?ルース…」
こうしてフェルが空けた穴はそこから暗闇を覗かせ、人が踏み込んで来るのを待ち受けている様にさえ見えるものであった。