【110】似て非なるもの
フェルが初めて放った魔法は威力の小さいものであった為、受けとめた魔物は体をふらつかせはしたものの一撃で倒れるまでには至らず、すぐに頭を振って体勢を整えた様だ。
ルースも初めて放った魔法は似たような物だったので、これは決してミスをした訳ではない。
フェルはもっと大ダメージを与えられると思っていたらしく、その効果にショックを受けている様だ。
「ガーン…」
そんなのんきなフェルの声を耳に入れながら、ルースは目の前の魔物へと剣を振り下ろす。
― ヒュンッ ―
そして風切り音をたてた剣は、スルリと横へ跳んだ魔物に躱された。
しかしこの一手は相手の動きを見るためのものであり、ルースは口角を上げてそれを見据えた。
今の動きを見た限り、この魔物は素早さを活かした攻撃を仕掛けてくるのだろう。そして魔力を持ってはいるが、魔法を放つ気配はない。
だったら…とルースは自身に掛けた風魔法の威力を上げるため、今纏っている魔法に更に上掛けをした。
ルースは自分へ風を纏わせた後、また同じものを重ねがけ出来る事を突き止めており、それによって効果も加算する事を学んでいたのだった。
そこからはルースの速度が一枚上手となり、1体の魔物を執拗に追い詰めていけば、それを感知したもう1体も合流し、代わる代わる連帯するように攻撃をしかけてくる形になった。
これで2体のスノーウルフが、ルース一人へと狙いを定めた事になる。そしてそれはルースの作戦でもあった。
先程のフェルの様子を見た限り、初めて魔力を使った事で倦怠感を伴い体調が思わしくないはずだ。その為、2体の魔物をフェルに相手してもらう事は避ける必要があったのだ。
目の前の2体の魔物に微笑んでから、ルースは雪の足場もものともせず、安定した構えから2体の間へと突っ込んで行き、右が動けば横凪に、左が動けば逆袈裟切りに風音を鳴らしながら、スピードの乗った剣を繰り出していった。
その動きは離れて見守っていたソフィーに、声を落とさせるものだった。
「速い…」
『なかなかの動きよのう。風魔法を自身に纏わせ、それで動きを補助しておる』
「わかるの?」
『うむ。スノーウルフも捷い魔物であるから、あやつは速さを重視した戦い方にしたようじゃのぅ』
「フェルの方は?」
『あやつは、先程の魔法で殆どの魔力を使ってしまったゆえ、今は少々体が怠かろうのぅ』
「だから、いつもより少し動きが鈍いのね…」
時折ザクッっと剣が当たり、魔物が悲鳴を上げる声だけが辺りに響く。
『どうせなら、あやつは剣技を使えば良かろうに…』
「あっそうだったわね。でもきっと、それの事は忘れているんだわ…」
ネージュとソフィーが客観的に2人を見ながら話をしているが、それは2人が優勢であった為に危機感もなく見ている事が出来たからに他ならない。
『どうやら終わったようじゃのぅ』
「そうみたいね」
ネージュの言葉通りそれからさほど時間もかからずに、3匹のスノーウルフは地に倒れた。
それを確認してネージュとソフィーは、ルース達の下へ近付いて行った。
「お疲れ様」
「はい。終わりましたので、ソフィーはこちらを診てあげてくれますか?」
ルースが振り返った先には、目を開けて固まっているキツネがいた。見れば脚に大きな傷を負っており、それで動けなくなったのだと分かる。
それを見たソフィーが頷いて、悲痛な表情をする。
「動かないで…ちょっと待っててね。今治してあげるから」
ソフィーは驚かせないようにゆっくりとした動きで、その白いキツネに近付き膝をついた。
「天の恵みよ我に希望を。“回復“」
ソフィーの発した言葉で、その周辺が温かな光に包まれていく。
そして少し離れて立っていたルースとフェルまでも、その光の中に包まれていった。
「またデカくなってる…」
「回復でこの大きさは、何とも言い難いですね…」
「はい、出来たわよ?もう痛くないでしょう?」
光が収まると、ソフィーはキツネにそう声を掛けた。
この獣に言葉が分かるはずもないのだが、なぜかそのまま大人しくしており、そして確かめるようにゆっくりと立ち上がった。
「良かったわ。大丈夫そうね」
ソフィーの言葉が合図となって、そのキツネは一度ソフィーを見上げてから、元来た木々の中へと跳ぶように走っていった。
「じゃあね。今度は気を付けるのよ」
ソフィーは優しいまなざしを向け、その消えた方角を見つめた。
「白いキツネなんて、いるんだな」
フェルはキツネの消えた方角をみて、言葉を落とす。
「この地域独特のものでしょう。この時期は毛を白くする事で、景色に溶け込む事が出来ますから」
「“迷彩“ってやつだな?」
『こういう時は“保護色“と言うた方が良いじゃろうのぅ』
「…へぇ…」
フェルの返事を最後にもう突っ込んでくるものはなく、今回は話が短く済んで良かったとルースは苦笑した。
これから倒れているスノーウルフを回収して、すぐに出発するつもりなのだ。解体は時間のある時にする為、後回しである。
『では行くかの』
魔物の回収を終え、再びネージュの声で出発する。
「そういえば、スノーウルフってネージュの同族じゃないのか?」
フェルが後ろを振り返って、ソフィーを背に乗せているネージュに聞いた。
「確かに姿が似ているものね」
『姿としては近いものに見えるが、似て非なるもの』
「またそんな言い方…」
フェルが、それでは説明になっていないと口を尖らせた。
そこでソフィーがフォローする為か、言葉を挟む。
「どういう意味なの?」
『ふむ。我の始まりは確かに獣だったのかも知れぬが、それはもう我の記憶には残ってはおらぬ事。気付けば我はいつしか長い年月を生きるものとなっており、その意味するところは獣とは違う場所におるもの、ということじゃ』
「確かに、寿命のない獣はいませんね」
『さよう。なれば我の存在はそこになく、時間のはざまに留まっておるという事になる』
「聖獣とは、神にも近い存在…という事でしょうか?」
『さて、我にも神というものはわからぬし逢った事もないゆえ、その喩えには肯定も否定も出来ぬが、何らかの形で理からの接触があったからこそ、今の我が在るのであろうのぅ』
「ごめん。説明されても全然わかんなかった…」
フェルは自分から尋ねた事だが理解する事を諦めたらしく、今の説明でも全く分からないと言って肩をすくめた。
「確かに、それを言葉で表現するのは難しいですね…」
ルースも凡そは理解したと思うがそれを説明せよと言われても、人知を超えた存在を表す言葉など持ち合わせておらず、上手く伝える事は難しいと感じた。
『まぁその様な感じであり、似て非なるものじゃな』
ネージュもそう言って、話を締めくくった。
それから再び暫く歩いて行けば、右手の先にチラチラと、遠くにある魔の山が見えてきた。
ルースの視線は、いつもこの魔の山に吸い寄せられる。ルースは暫くこの山を視界に入れながら、白い道を踏みしめて行ったのだった。
『コノ先ニ,川ガアル』
上空を行くシュバルツからそんな念話が届いたのは、もう日も暮れてこようかという頃で、それが届いた3人は顔を見合わせて頷きあった。
「ネージュ、お手数ですがそちらへ案内するように、シュバルツへ伝えていただけますか?」
シュバルツはルースの思考に気付いているとは思うが、一応念話の使えるネージュに、代わって伝えて欲しいと依頼する。
『よかろう。…そこの者、そこへ案内せよ』
『承知シタ』
ネージュの念話の後、シュバルツからすぐに返事が届いた。
そして上空で一度旋回したシュバルツは、方向を変えて道を外れた森の中へと飛んでいく。
「そっちか…」
フェルが空を見上げ、シュバルツが飛んでいった方角を確認して皆へ伝えると、そのフェルを先頭に道から逸れた木々の中へと進んで行った。
今日歩いている道は人の住んでいない地域を通ると分かっていた為、今夜が野営になる事はすでに3人は理解している。せめて野営場所が雪のない場所であればいくらか楽になるだろうが、それは行ってみない事には分からないのだ。こうしてシュバルツの案内で木々の中を進んで行けば、確かに川と呼べるものがあった。
「俺が思ってた川より、デカいんだけど…」
フェルが凝視している川は、ネージュがいた山で見た川の2倍はある幅のもので、ゆったりと流れている水は透き通り、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
『ふむ。あの山から繋がる川であろうのぅ』
「ではその下流という事ですね」
この川はネージュがいた山から来ているものらしく、川は道より北側を流れ続いていたらしい。
「じゃぁこの水も冷たいって事だな」
「温かい水なんて、ないんじゃないの?」
「温かいというよりも、熱い水が湧き出ている所があると、本で読んだ事があります」
「あら、あるのね…想像できないけど」
「その川の中にいる魚は、みんな茹で上がってたりしてな。そしてたら調理しなくても、すぐに食えそうだな」
『そのような所に魚が住める訳はなかろう?もし住めるとすれば、それは順応しておろうのぅ』
『食ウ事バカリダナ』
シュバルツが上空から降りてきてルースの肩に留まり、話に入ってきた。
「るせー。お前もだろうが」
そのシュバルツへ、フェルはジロリと視線を向けた。
「さて、この川に魚がいるかはわかりませんが、今日野営できる場所を探さなくてはなりませんよ?」
「近くに良さそうな所はなかったの?シュバルツ」
『近クニ穴ハナイ』
シュバルツは、野営に適した場所を先に見ていてくれたようだが、この周辺には洞穴らしきものは無いようだ。ではこの雪の積もる地面で野営する事になるのだと、ルースは背後の森を振り返って適当な場所を決めると、シュバルツを肩に乗せたまま、そちらへ一人歩き出して行ったのだった。