【102】なぜ
光が収まりそこに現れたものは、背までが120cm位の白い犬だった。
3人は目が点になって言葉も出ない。
『これで我も入れるであろう?』
何を驚く事があるのかと当たり前の様に言ったネージュは、3人を放置し、上機嫌でスタスタと洞窟の中に入って行く。
「まぁ、大丈夫になったけど?」
フェルがぼんやりとその消えた方向を眺めながら、気が抜けたように言う。
「そうね…一人だけ外にいなくても、良くはなったわね?」
「………」
何だかなぁと気の緩んだ顔になった3人は、乾いた笑い声をあげて諦めたように洞窟へと入って行く。
「あの方は、色々と説明が足りない方のようですね…」
最後に歩き出したルースが言った言葉は、サワサワと河原を吹いて行く風によって流されていった。
暗くなる前に洞窟の中で再度焚火を熾し、灯りと暖を作る。それから一旦休憩にしようと、3人の手には温かなお茶が乗っている。
腰を下ろした3人とフェルの肩に留まるシュバルツ、そしてソフィーに寄り添うように隣に白い犬が寝そべっている。
「ネージュは小さくなれるんだな…」
突然姿を変えたネージュに、フェルが眉尻を下げて聞いた。目の前で目撃した事ではあるが、訳が分からないという様子で、それはここにいる皆に言える事だろう。
『問題ないと言うたであろう?我は目くらましとまではゆかぬが、大きさを可変させることは造作ない。今までも、人の町にはそのようにして紛れておったからからのぅ。もっともその前は、そのままの姿で人の前に出ておったのじゃが、いつしか怖がられるようになったゆえ、これは苦肉の策とも言える。我も人間を学んでおるという事じゃ』
ほっほっと笑っているネージュだが、底知れぬ力を持つネージュに、3人は言葉を詰まらせた。
「私は疑問に思っている事があります」
そうして皆が口を開かぬ中、ルースが口を開き脈略もなく言葉を発した。
フェルとソフィーが何の話だとルースへ不思議そうな視線を向け、ネージュとシュバルツは静かな眼差しを向ける。
「先程のネージュもそうでしたが、今まで戦ってきた魔力を持った魔物も、皆、人間のように詠唱をしていないのです。それらと私達の何が違うのかと、ずっと疑問に思っていましたが、ネージュは何かご存じですか?」
魔物と戦っている時には、魔法を発動させている魔物をよく見る。
その時は勿論、魔物が言葉を紡ぐこともないままにそれは起こるし、先程にしてもネージュは何も言葉を発する事なく、いきなり何かの魔法を発動させている。
しかし一方で、人間は詠唱をしないと魔法をさせる事はできず、もっと効率的に出来ないものかと考えていたルースでさえ、簡略詠唱をしなければ魔法は発動しない。
そこにずっと疑問を抱いていたルースは、目の前にいる長命な聖獣ならばその理由を知っているかも知れないと、疑問を投げかけたのだった。
『それらの魔力の根源である“魔素“は同じものじゃが、それ以外は根本的に違う物だからじゃのぅ』
「…その言い方じゃ、全く分からないんだけど…」
「それは“説明“ではなく、答えを言っただけだわ、ネージュ。ルースは理由を知りたいと言っている様に聞こえたんだけど、説明はしてくれないの?」
フェルとソフィーがルースの為に補足をしてくれている中、ルースはネージュの言った言葉を吟味するように黙り込んでいる。
『ほう、これでは解らぬか。ふむ…もう少し崩して言えば、魔法とは、元となるこの世に溢れ出る魔素を利用し、発動させている事は知っておるかえ?』
その問いには、ルースとソフィーが頷きフェルは覚えていないのか、動かずに聞いている。
『この世には魔素というものがあり、それを利用できるものだけが魔法を使う事が出来る。逆にとらえれば、魔素に適合したものが、それを発動できる』
「だからその要素があれば、魔物だろうと人だろうと魔法を使う事が出来るのよね?」
『さよう。その魔素が人で言うところの“魔力“であり、魔法の源。しかしそこからが全く違うものとして捉えられておる。人間は魔法を発動させるために、何か手を加えねばならぬものとして長年伝わっておるせいで、人間は詠唱と言う言葉を生み出し、それを代々受け継ぎ今に至る。魔法は詠唱と対なるものという認識じゃな』
「確かに、詠唱しないと魔法は発動しないって習うよな。俺はまだ発動させたことがないから、発動できるかもわかんないけど…」
『そうやって人間は、言葉を使わねばならぬと伝えてきた。しかし魔物には、その言葉自体が存在せぬであろう?じゃが、魔法を使う事が出来る物もおるのは確かじゃのぅ』
「魔物同士ではどうやって意思の疎通を取るの?魔物同士にも、言葉があるからではないの?」
『鳴き声でそうする事もあるが、念話に近いものも使っておるらしい』
「念話…」
『おぬしらの想像する念話とは違うものであろうが、大まかな感情を仲間の間では疎通しておるようじゃ』
「では、その念話で?」
『さよう。魔物はその念話の様なものを用い魔法を発動させておるゆえ、口から音を出さずとも、想像したものを発動させることができるようじゃ』
『速ク飛ブ,ト言ウ気持チヲ乗セレバ,長距離モ瞬ク間ニ,移動デキル。ソレハ,コノ念話トハ,異ナル』
シュバルツが、ネージュの補足だというように言葉を挟んできた。
「ではネージュも、その方法でしょうか?」
『さよう。人間以外の念話は、感情や想像するものを伝えるもの。その思考をもってすれば、魔法を発動する事が出来る』
「それって、人で置き換えても出来るんじゃない?自分の中で、その魔法を想像すれば良いんだもの」
『うむ…しかし人間とは、植え付けられた考え方に縛られる生き物。それを取り払う事ができれば、もしや…』
「じゃぁルースになら、できるかも知れないわ?」
ソフィーがそう言って、嬉々としてルースに視線を向ける。考え込んでいたルースは、ソフィーの視線に目を瞬かせた。
『なぜそう言えるのかえ?』
「だってルースは、魔法の詠唱を既に簡略化させて使っているもの。ね?ルース」
「え?…そうですが…」
『ほう。自分の思考のみでそこまで辿り着いていたか。なれば今以上の努力を重ねれば、無詠唱で魔法を使えるようになるやも知れぬのぅ』
「…………」
ルースは思考に飲まれ言葉を途切れさせた。その隙に、フェルが言葉を挟む。
「なぁ、詠唱の事は分かったんだけど、何でさっきは俺の頭を口に入れたんだ?食べられるのかと思って焦ったんだが…。やる前にせめて一言位、言ってくれれば良かったのに…」
ここぞとばかりに、先程ネージュの取った行動に苦情を言った。しかし、詠唱の事は分かったと言ったがそれは正しい言葉ではないだろうと、フェルの言葉に耳を傾けたルースが苦笑する。
『おぬしには我の声が、聴こえておらなんだろう?』
「そうだけど、せめてルース達に言ってくれれば俺にも伝わったと思うんだけど」
『それでは魔力解放すら失敗していたかも知れぬが、それで良かったのかえ?』
「え?何でそうなるんだ?」
『魔力解放をさせるための条件において、一つはその相手の壁を壊さねばならぬという事がある。壁とはその者の心に張るものであったり、おぬしの場合は体の表面に魔力放出を阻害する壁があった。それには自己の力で抗う必要があったゆえ、もう一つの条件である“我の魔力“で頭を包み込むという行為をし、それに驚いたおぬしが自分でそれを排除しようと心から抗う。その2つが必要な事ゆえ、最も効率の良い方法であったのじゃぞぇ?』
はっきりと言ってしまえば、ドッキリがなければ聖獣の力だけでは、内包魔力を解放する事が出来なかったという事の様だ。のほほんとした中ではその壁を壊す事ができず、ある程度の危機的状況下だった為に、その壁を壊すことができたとの事だった。
「むぅ…」
そう言われてしまったフェルはこれ以上文句を言う事もできなくなり、素直には受け入れられないようだが口を閉じた。
「確かにさっきのは、見ていた私もびっくりだったわ?フェルが食べられてしまうのではないかって、ちょっと心配したの…」
『こんな不味そうなものは、勧められても要らぬわ』
「その言い方も変だろう…」
仲間になったばかりのネージュは、早速皆と打ち解けてきている様だ。
フェルは最初が最初だったのでネージュに遠慮する事もなく、ソフィーは名を付けた事で繋がりが出来ているのか、穏やかな表情でネージュを見ていた。
そんな2人とネージュに目を細めて見つめていれば、シュバルツがルースの気持ちを読んだのか、その視線をルースに向けて丸く黒い目を瞬かせた。
その視線は『我モ居ルゾ』と言っている様に見えて、ルースはシュバルツの頭に手を伸ばして優しく撫でながら、ここから始まる新たな道のりに、どんな旅になって行くのかと薄く笑みを湛えたのだった。