10月3日-④
もう驚かないと声を出さずに呟いた。
滝藤は海野のアクロバットを尻目にゆっくりと階段の下に位置する通路へ移動していた。
男が地面に倒れる音が聞こえた。(あれだけ身体が思い通り動くのは気持ちが良いだろうよ)
通路の構造を調べるとロの字になっていた。真ん中に部屋があるようだ。人の気配はない。
部屋の出入り口は二つ。行くと、扉がある向いの壁にも出入り口が設けられている。部屋が優先だった。部屋の中の何かの密度が高い。狙っているものかもしれない。
扉に手をかけるが開かない。専用のキーがいるようだ。鍵穴はない。
運がいいのか、そういえばすぐそこに巨漢が転がっているのを滝藤は思い出した。海野に通信する。
『おい、今どこだ』
『他の通路にいるよ。こっちが当たりみたい』
『マジか。こっちも当たりみたいなんだが専用のキーがいるみたいだ』
『とりあえずさっきのおっさんとこね』
足早に滝藤は男の方へ戻った。
海野が先に戻っていた。
「早いな」
「あんまり進んでなかったからね」
「?」
いつも勝手にずんずん進む癖に、と思ったが本当に当たりだったからなのだろうか。
「でキー探すんでしょ? そっち持って」
合図で二人は男をひっくり返しわかる限りのポケットを漁った。
直に触ったが脂肪を一切感じさせない肉体だった。正面から戦闘になっていたら訪問時間は長くなっていただろう。
キーは胸ポケットにあった。形状はカード型だ。鍵穴がない理由だ。
「ラッキーだったね。まさか一人目で持ってるなんて」
「夜間の見張りは少ないみたいだからな。一人ずつ持ってんじゃねーか」
ラッキーといえばここの見張りが一人なのもラッキーである。
滝藤は海野に来た道を指し示し、
「俺の方から行こう」
「うん」
滝藤と同様に海野も廊下側の出入り口が気になるようだ。
「これどこに繋がってるんだろうね。見た?」
「気になるな。見るわけないだろ。こわいわ」
「だよね。三秒で忘れよう」
彼らの信条の一つだった。
気になるが確かめられないものは三秒で忘れる。
注意しなければいけないものが多いこの稼業で、必要ではない不確定事項を頭に入れることは時に命にかかわることがある。二人は身をもって実感していた。
滝藤はキーをかざしノブが軽くなることを確認する。
開いた。
中には多種多様な銃火器が並んでいた。
「武器庫か」
「多いね」
数にして百を超える。
「なんでこんなに多いんだ。警備の数もこんなにもいないだろ」
「武器商人でもやっているのかね。収入の出所なんてわかってないし」
雨露市一帯の地主の家系であり不動産屋や学校業などを営んでいるが、その収入だけでは到底揃えられない美術品や家、車、その他諸々を所持しているという噂もある。
「ありそうな話だな」
「違うみたいだし早く行こうよ」
「少し待て」
滝藤の癖が出ていた。
整理されている銃にシールを貼っていく。
スライドの側面。バレルの裏側。マガジンの尻。トリガー。ハンマーの内側。ハンドガードの裏側。ロアレシーバーの前面。キャリングハンドルの内側。ストックリリースレバーの裏側。ファオエンドの裏側。各武器に一枚ずつ、一見しただけではわからない位置に張っていく。時間にして三分程。数は二十と少し。
その間海野はマトリックスの終盤でネオが銃弾の雨を避けた時のように膝を曲げ、大きく後ろに体を倒していた。腕の動きも完璧である。
終わった滝藤が聞く。「なにそれ」
「マトリックス」そのままだった。「映画観なさすぎじゃない?」
「お前が見過ぎなんだよ。俺は観なさすぎだけど」
今までの潜入で海野は滝藤の今回のようなシールを貼るなどのような『寄り道』癖があることを知っていた。時間が重要な稼業なのにそれは治らなかった。ということで暇つぶしを考えてみたのだ。元々海野は極度に緊張タイプであり最初の頃は上手く身体が動かないことがあった。そこで取り入れたのがルーティーンだった。日常的に行っていた好きな映画のシーンを真似することを取り入れた。身体を動かすので筋肉の緊張を解くことにも一役かった。今日はマトリックスだったようだ。
「たまには相手役をしてくれよ」
「知らねーもん。いくぞ」
「はいはい」
二人は部屋を後にし、海野が進んでいた通路へ向かった。
「どこだ?」
「俺たちが来た道の真反対の通路だったよ」
行くとドアが右に一つ、左に二つある。
海野は指をさしながら、
「左は客室とか待合室とかだと思うよ。イスとテーブルがあっただけだった。そしてこっちが本命」
言うと右にあるドアノブを捻り中に入る。
「これは趣味なのか?」
扉の先は一本の長い通路になっていた。幅は狭く男が二人並んで通るのは難しいだろう。
壁の上部には等間隔に正方形の小窓が嵌められており月光が漏れており、左側の壁面を照らしている。照らされているのは壁だけではなく壺もそこにはあった。小窓の位置に相対するように美しい壺の数々が置かれている。
「あれもコレクションなんだろうね」
「なんだこの置き方。偏屈そうだな」
「ね! このまま進めば色々ありそうじゃない?」
「ありそうだな。ダンテ風に言えばジャックポットってやつだな」
「ガバガバだもんね」
頷く海野。滝藤がジャックポットと引用するのもわかる。二人がかけている眼鏡には随時視界の情報が視覚化されて映し出されているのだが、金持ち程張りたがる赤外線の類が確認できないのだ。
滝藤がコインを壁に貼り付けたのを合図に、海野は一歩、二歩と進む。
三歩。
四歩。
五歩。
そして、二人は全身に警報の騒音を浴びた。
‼
しかし、二人は一瞬も固まることなく。脳を逃げることだけに切り替えた。
滝藤は扉が閉じるのを防ぐため、ドアを背で抑え、銃を構えて前方の警戒だけに集中しようとする。構えるより早く海野が戻る。
「正面玄関」
一斉に走り出し、銃のハンマーを倒す。
「俺は右、お前は左!」
通路を戻り、右に折れ、玄関の色気ともいえる二つのステンドガラスに二人は身体ごと突っこんだ。その割れる音は警報音にかき消され二人の耳にだけ残された。
「ねえ、あのたっかそうなガラス、割れる音まで一級品じゃん! すっご」
「言ってねーで撒け!」
言うが早いか二人は銃を一定のテンポで撃っていく。発射されているのは先ほどから滝藤が使っているコインである。玄関を出た先は広い庭でありどこに監視カメラが仕掛けてあるかわからない。ここを怠ければ明確な見た目の証拠を残すことになってしまう。
しかし記録は消せるが記憶は消せないのが世の常である。
動きやすく丈夫に改良された革靴の足音が二人の耳に届いた。フォーマルな場での出番もこなせ、高いクッション性やビブラムソールが採用されているため、このような有事の場面でも履きつぶせる一品である。
振り返らなくてもわかる。警備員だろう。ブラックのスーツに身を包む。
「止まれ!」
警備員の一人が叫んだ。
二人は止まらない。それどころか速度は増していく。
この稼業に徹してきた二人はああいう連中の「止まれ」のあと何をするか理解していた。止まっても止まらなくても鉛の弾が飛来してくるのだ。
そして案の定飛んできた。発砲音は小さく、広い敷地を通り過ぎるには至らない。
二人の耳には空気を切る音や、地面との運命的な出会いの音が届く。
「「?」」
距離があるため、特別銃弾を避ける逃げ方をしているわけではないのだが明らかに弾は当たらない軌道にのせられていた。
弾の出発地点から二人に向けられていない怒号が鳴っている。
「邪魔だ!」「おいそこにいたら当たるぞ」「連携をとれ!」
雨露家の警備員はボディーガードを兼任しているのだが、訓練内容は概ね守り中心になっている。攻めには入らず雇い主を守り逃がすことに重きをおいているため、連携につかえる技術すらないのだ。中には守りだけではなく攻める職業にいた者もいるが、未経験者が多いためそれが障害となり力を出せていない様子だ。
後ろの体たらくを笑いながら二人は余裕を見せ始めていた。ペース配分の再考をするべきかもしれない。今のところ相手は三~四人である。より誤射を誘発させる動きをしつつ逃げることにしよう。
二人は最短時間で逃げるルートを変更し、銃弾を遮る障害物が多いルートへと変更した。木々や小屋が多い方へと駆ける。
相手の人数が少ない分負傷するリスクがない方をとるのが後の活動にも支障をきたすことはない。
弾が木にめり込む音が鳴り始めた。
「ねえ」
「ああ」
「多くなってない? 数」
弾音が強くなっていた。
ルートをミスったかもしれない。
「全員出てきたかもな。これだけデカい警報に、抑えられているとはいえ銃撃の音がするんだ。スマホのアラームの次に寝起きに悪い」
「だからみんな怒ってるんだ」
生い茂る木々と、点在する小屋のエリアを入り抜けると、これまたデカい門が現れた。
正に鬼門である。当然鍵が掛かっている。かといって守衛室の場所もわかるわけもない上、わかったとしてもどこイジれば門の口が開くかわからないし、イジる時間もない。
「頼むぞ!」
滝藤が叫ぶと海野の速度が倍になった。門に到達すると、門を背に腰を落とす。足を開きそのまま力を入れた。あとは腕に力を入れ、右手を下に左手を上へ重ね合わせて滝藤を待つだけだ。数年前はこの待つ時間に緊張していたが今では慣れたものだった。
滝藤が残り数歩のポイントへ到達し、走り幅跳びのような変則的な足運びへ移行した。滝藤は数える。
1。
2。
3。
三歩目は海野の手のひらの中へ納まった。
そのまま大きく跳び、両手とも門の上へ引っかかった。次にその手で自身の身体を持ち上げ、門の反対側へ着地した。
滝藤は毎度こういう時後ろを振り返りたくなる衝動に駆られるがやるだけ無駄だとわかっていた。事実、警備共は一人が看守室へ門を開けに行き、残りは滝藤達との距離に差が開くことに対しジレており、海野は既に横に着地していた。
「滝藤大丈夫?」
「ああ」
負傷の確認はとれた。
あとは逃げるだけだ。
余談だが、とれた、と言えば二人の背後にある門の錠もとれた。開いていた。
距離は警備員がジレるほど離れてはいなかった。予想に良い裏切りをされて喜びで何人かの警備員の表情はほころんでいた。
そして二人は門が開く音に反射的に振り返ってしまった。理由は想像よりも早く開いたから。
さらに、笑顔の警備員と目が合った。
合図だった。
二人は同じことを思った。
アイツらの笑顔は怖い。
思った時にはすでに二人とも左足が出ていた。
「ねえ、おっさんの笑顔がキモイって聞いてないけど!」
「暗がりでもわかるキモさだな」
後ろから足音が鳴る。
「あれ、なんか足音増えてない?」
「嘘だろっ⁉」
しかし、先ほどとはうって変わって空気中に響くのは靴が地面を踏む音だけだ。銃声がしない。不幸中の幸いと思えばいいのか。
滝藤が「おい、何人いんだ!」と確認。
海野は少し振り返り瞳を動かした。
「……十」
「くっそおおおおおおおお‼」
「冗談じゃねええええええええ‼」