温泉探偵美佐枝 〜湯けむりを追放されたなろう小説家をトラックで殺害した犯人は悪役令嬢かそれとも〜
4作目の投稿です。あらすじにも書きましたが、追放もトラックも悪役令嬢も物語に関係ありません。すみません。推理要素もほとんどないです。よろしくお願いいたします。
僕は佐藤翔太。23歳の新米刑事だ。
着任早々に抱えた殺人事件の捜査がまったく進まず、心が折れていた。
捜査のために何時間も費やしてわざわざ群馬県利根郡まで来たというのに、渾身の聞き込み調査が空振りに終わったのだ。折れて当然といえた。
「辞めよう」
釣りをすれば野良猫に魚を盗られ、ハイキングに行けばトビに弁当を盗られる僕に、犯罪者を捕まえる仕事など務まるはずがなかったのだ。
そんな僕が刑事を目指したのには理由があった。
幼い頃に生き別れた姉を探し出すという、人生を賭してでも果たすべき目的が。
当時の僕は3歳で記憶はおぼろげだ。
それでも、歳の離れた姉が僕を抱きしめて頭を撫でてくれたことだけは、言葉では言い表せない幸福感と共によく覚えている。
僕にとってはそれが唯一の、姉に関する記憶だった。
警察は一般家出人と判断して積極的な捜索は行ってくれない。
だから僕は警察官になった。
内側に入ることでこそ得られる真実があると考えたからだ。
だが。そんな都合の良い話などありはしなかった。姉の捜索の足しにはならず、目の前の仕事も進まない。
「辞表の書き方を調べよう」
そう思ってスマホを開いたとき、さっき声をかけた農家のお婆さんがよちよちと戻ってきた。
「ああ、そうそう、刑事さん」
何か思い出してくれたのだろうか。藁にすがるように「なんでしょう」と耳を大きくした。
「この山奥の温泉宿にねえ。探偵さんが泊まってるらしいんさ。相談してみない」
探偵?
探偵がなんの役に立つのかと一瞬軽視してしまったが、推理小説では、さえない刑事が名探偵の天才的推理に助けられるエピソードなど山ほどあるじゃないか。
一か八か、僕はその探偵を頼ってみることにした。
バスに揺られて小一時間。
山奥にその歴史ある温泉宿が現れた。
フロントの中年女性に捜査協力を願うと「さっき露天風呂に向かったお客さんが探偵だと仰ってました」と教えてくれた。ただし。
「ですが、あの……たぶんあと5時間ほどお戻りにならないと思いますよ」
聞けばその探偵は露天風呂がお気に入りのようで、連日連夜食事以外はほとんど温泉で過ごしているらしい。さっき昼食を済ませて温泉に向かったので、戻ってくるのは夕食の支度が整う5時間後だろうというのだ。
どんだけ温泉好きなのか。
それはもはや人ではなく温泉なのではないか。
呆れたが、まあいい、僕にとってそこは問題ではない。
許可を得てスーツ姿のまま露天風呂に案内してもらった。なんと混浴だった。
彼女いない暦23年の僕にはハードルが高いとうろたえたが、湯浴み着という専用の衣類を着用しているので、女性の裸を見てしまうことにはならないらしい。フロントの女性は笑いを堪えながらそれだけ言うと持ち場へと戻っていった。
安心したようながっかりしたような複雑な心境になってしまい、バカこれは仕事だぞと自分を叱責して露天風呂に出てみた。
紅葉に囲まれた源泉掛け流し天然温泉。しかも実に200畳という広大さで、その景観は美しいの一言だった。
探偵はどこかと見渡したところ、湯に浸かっているのはひとりだけだったのですぐにわかった。
女性だった。
湯浴み着を着用しているというフロントの言葉を信じて、臆せず近づいてみる。
その女探偵は若くて奇麗だった。端正に整った和風美人といった赴きで、ボリュームのある髪の毛は頭の上にくるくると巻いて留めてある。
近くまで来て判明したのだが、なんと、湯浴み着を脱いでいるではないか。
胸から下は湯の中で揺らぎシルエットもあやふやだが、全体的にスタイルの良い身体が一糸もまとっていないのは明らかだった。
あわてて背を向けた。背を向けたまま自己紹介をしようと思ったが動揺してうまく言葉にならない。探偵のほうが先に落ち着いた声でこう言った。
「捜査が難航しているのね」
心臓が口から飛び出すかと思った。
なぜ知っている。実は警察関係者か。思わず「なんでそれを」と口走りながら振り返ると、探偵は呆れたように微笑んだ。「推理のうちにも入らないわよ。なるほど、難航するわけだわ」
しまった。僕が胸に付けているバッジを見れば捜査一課だとわかる。それがわざわざ探偵を尋ねて山奥の露天風呂まで来たとなると「八方塞がりの刑事が助けを求めて現れた」と考えるのは当たり前の話だった。
「すみません」なぜか謝って憮然としていると、探偵はまた笑って自己紹介をした。
「湯島美佐枝。お話を伺いましょうか」
え、ここで? このまま?
動揺しながらとりあえず僕も「佐藤翔太」と名乗ったが、探偵は本当に風呂から上がる気はないようだった。
「探偵さんじゃなくて、美佐枝さんでいいわよ。ほら早く」
露天風呂に浸かった全裸の女探偵に、スーツ姿の新米刑事が事件の全容と捜査状況を説明するという、なんとも珍妙なことになった。
事件というのはこうだ。追放された小説家がトラックでひき殺されたのである。犯人の手がかりは何もないが、僕は資産家の令嬢である被害者の妻が怪しいと睨んでいた。
スマホに保存していた情報を見せるときなどは近寄らざるをえず、目のやり場に困った。
美佐枝さんの胸の豊かさ。
肩に浮かんだ汗。
濡れたほつれ髪がうなじに貼り付いているのが美しいなどと気がそれて、説明がしどろもどろになる場面もあった。
長い時間をかけてなんとか説明を終えると、美佐枝さんがこう言った。
「被害者の妻の妹が犯人よ」
はあ? え? いやいやいや、ありえない! あの妹さんには確かなアリバイも! ていうか温泉浸かってるだけの温泉女がどういう根拠でそれ言ってんの!
怒濤の勢いで反論したが、美佐枝さんは微笑んで違う話題に移った。とある位置情報共有アプリをスマホに入れろという。そしてとある電話番号を口頭で伝えられた。なるほど、そこに犯人特定の根拠があるのか。
相談料金は犯人を捕まえてからでいいとも言われ、よくわからないまま僕はスマホで部下に容疑者確保の指示を送り、温泉を後にした。
東京に向かう電車の中で、さっき聞いたアプリをインストールしていると部下から興奮気味の電話があった。
「自白しました! おっしゃるとおり、妹が犯人です!」
愕然となった。
翌日。真犯人、つまり被害者の妻の妹の自白で巧妙なトリックが判明した。なるほどそういうことだったのか。同時に新たな疑問が浮かんだ。美佐枝さんはなぜそれを見抜けたのか。どう考えてもわからなかった。
そういえばアプリをインストールしたまま忘れていた。
同じアプリを入れているユーザー同士で位置情報を共有できるらしい。
一方、教えられた電話番号に電話をしてみたところ誰も出てくれなかったのだが、それをアプリに入れると番号の持ち主の名前と現在地が判明した。
『湯島美佐枝』
美佐枝さんだった。昨日の温泉から場所を移動していた。やっと湯から上がったと思ったが、現在地をよくよく見れば今度は草津温泉だった。幸せそうに湯に浸かっているあの美しい姿、うなじに貼り付くほつれ髪が容易に想像できた。
名推理のからくりをぜひ教えてもらいたい。
相談料も渡さなければ。
今後も捜査に協力を願うたびに全国津々浦々の温泉まで会いに行くことになるのだろうか。
そのたびにあの美しい肌を拝めるのだろうか。
ひょっとすると、生き別れた姉の真実にもいつか辿り着けるのかもしれない。
僕は辞表を書くことなどすっかり忘れたまま、風呂上がりのように火照り始めた身体を上越新幹線の座席に沈めるのだった。
ありがとうございました。温泉から出ない名探偵がいたら面白いなと思い書いてみた次第です。似たようなアイデアとして『こたつ探偵美代子』というのもありますが自重いたします。ありがとうございました。