五、理性の勝利
今日も今日とて、王太子の私室に放り込まれる。
ルティアは既に抵抗しても無駄だと悟っていたし、最初はルティアと一緒に憤って騒いでいたガルヴィードも最近では放り込まれたルティアを見て「お、来たな」という顔をするだけだ。
放り込まれた後は侍女がお茶を持ってやってくる。一度この隙に逃げようとしたところ、戸口で見えない壁に阻まれた。どうやら、この部屋全体に魔法使いが結界を張っているらしい。ルティアとガルヴィードだけ出られない結界を。そこまでするか。
仕方がないので、結界が消えるまでの間、二人でチェスだのカードだのゲームをして過ごしている。
一度、暇だからと筋トレして過ごしたら、結界が消えて部屋から出てきた二人の荒い息と赤い顔、流れる汗を目にした侍女が「誰ぞ!赤飯を!赤飯を炊いてちょうだい!!」と叫びだして大変な目にあったので、なるべく体力を使わないように大人しく過ごしている。というか、赤飯って何だ?
今日もまた、二人で罵りあったり怒鳴りあったりしながら茶を飲んで、その後はゲームで勝負して時間を潰すつもりだった。
が。
「……っ」
不意に、ガルヴィードが紅茶のカップを置いておもむろに立ち上がった。
目を瞬くルティアの前から足早に移動すると、戸口に立ってどんどんと扉を叩く。なんとか扉を開こうとノブをがちゃがちゃ回しているが、外から鍵がかけられていて開かないのは既に良く知っているはずだ。
「ガルヴィード?」
「っ……、……」
名を呼ぶと、ガルヴィードがびくりと肩を跳ねさせた。
「どうかしたの?」
「……近寄るな」
歩み寄って肩を叩こうとして、冷たい目で睨みつけられて拒絶されたルティアは思わず硬直した。
「え……?」
近寄るな、と言った。ガルヴィードが。
それはルティアにとって、信じられない言葉だった。
だってルティアは、自分の姿を見つけるやいなやなにもかも放り出してすっ飛んできて喧嘩を売ってくるガルヴィードしか知らない。
「王太子ほいほい」という不名誉なあだ名を付けられるくらい、ガルヴィードがルティアに寄ってくるのは周知の事実なのだ。
いつかのパーティーで背中に「王太子まっしぐら」と書いた紙を貼られた悪戯はまだ許していない。犯人は実の兄だ。
それぐらいルティアに寄ってくる習性を持つガルヴィードが、「近づくな」と言った。
「ガルヴィード!死ぬの!?」
「なんでだよっ!?」
「だって、……ああ!天変地異の前触れ!?」
「もうなんでもいいから、とにかく近寄るな!!」
そう言って、ガルヴィードはルティアから顔を背けてしまう。その態度に、ルティアは自分でもびっくりするぐらい傷ついた。
(な……なんなのこの胸の痛みは?)
ガルヴィードにそっぽを向かれた。ガルヴィードに近寄るなと言われた。ガルヴィードが、ルティアを拒絶した。
「い……」
ルティアの脳内に、これまでのガルヴィードとの記憶が走馬燈のように蘇った。
どっちが多くの雪だるまを作れるか勝負して城の庭を雪だるまだらけにして「儀式みたいで怖いわ!」と宰相にどつかれた冬。
キノコ狩り勝負に出かけてキノコを深追いして二人揃って遭難して捜索にきた騎士団にしばかれた秋。
城の二階の廊下を使ってどっちが怖いお化け屋敷を造れるか勝負をして、完成した時にちょうど通りかかった老大公の心臓を危うく止めそうになった罰として「夜中に目が動いて喋り出す」と噂の人形と一緒に地下室に閉じこめられた夏。
クローバーを引っこ抜きすぎて、青筋浮かべた庭師に「一杯やってくか?」と笑っていない声で除草剤の入ったコップを勧められた春。
そして、初めて出会った日のパンツの色。
ろくでもない思い出ばかりだが、そのすべてを見渡してみても、ガルヴィードがルティアから顔を背けたことなど一度もない。
それなのに、それなのに。
「いまさらなによーっ!!」
「わっ!?なんだよ突然!!」
「いまさら「近寄るな」ってなによそれーっ!?私に散々あれこれやらせといて今更っ……今更、私を捨てるつもり!?」
「なんの話だ!?」
「とぼけんじゃないわよ!!私をこんな女にしておいて!!」
「どういう意味だ!!っつか、……近寄るな!触るなっ!!」
ルティアはガルヴィードの顔を見ようと懐に入ろうとするが、ガルヴィードは身を捩ってそれを拒絶する。ルティアはますますムキになってガルヴィードの胸ぐらを掴んで迫った。
「こっち見なさいよっ!!」
「い……今は無理だ!無理なんだって!!あっち行け!行ってくれ!頼むから!!お前のためだ!!」
ガルヴィードは必死にルティアを遠ざけようとする。必死すぎて息は荒いし顔も真っ赤だ。汗まで滲んで、目も潤んでいる。そして、ルティアに背を向けようとしてもがくのだが、ルティアはそれを許さず懐に潜り込もうとする。
「ま……まじで、どけ!くっつくな!頼むからっ!!」
「やだーっ!!」
とうとう我慢の限界がきたルティアがガルヴィードに抱きついた。
彼女は今まで自分に喜んで寄ってきていた駄犬が、急に自分に興味をなくして尻尾を振らないばかりか唸って威嚇された気分なのだ。傷心なのである。
「ばっ……かやろっ!!」
ガルヴィードは自分に抱きつく小柄な少女の体温に、カッと頭に血が上った。
彼は少女の肩を掴み、強引に引きはがして、そして……
「おい、ガルヴィード。ちょっと相談が……どうした?」
王太子の部屋の扉を開けたルートヴィッヒは、目の前に広がる光景に目を見開いた。
入り口の近くに、この部屋の主が床に丸くなってうずくまっている。
そして、彼から少し離れて、涙を流す少女が顔を青くしてぶるぶる震えている。
「ルティア嬢?いったい何が……」
「が……ガルヴィードが……い、いきなり……」
ルティアは怯えながら言った。
「いきなり……自分で自分のお腹を殴って……」
「はあ?」
ルートヴィッヒは眉をひそめて床で丸まる主君を見た。
ガルヴィードは、うずくまったまま左腕を伸ばし、テーブルの上、お茶の入った飲みかけのカップを指さした。
「……盛られた」
「なるほど」
その一言で、ルートヴィッヒは理解した。
つまり、お茶に混入されていたのだ。男性を強制的に元気にさせるアレ的なものが。
ルティアはわかっていないようで、お茶のカップとガルヴィードを見比べて疑問符を浮かべている。
誰の発案か知らないが、王太子に媚薬まで盛るとは。
命がかかると人は手段を選ばなくなるなぁ。と、ルートヴィッヒは人間の愚かさを噛みしめた。
***
「何してるんだ?」
後ろから静かな声をかけられて、ルティアは振り向いた。
知り合ったばかりの王太子が、堅い無表情でルティアを見ていた。
ルティアは立ち上がって手に握った緑のクローバーを見せた。
「ここ、四つ葉のクローバーがたくさんあります!」
「四つ葉?」
王太子は眉をひそめながらルティアの側に寄ってきた。
ルティアは近くで王太子の顔を見て、その頬がうっすらと赤くなっているのに気づいてへにゃりと情けなく眉を下げた。
先日の誕生パーティーでルティアがしでかした無礼を謝りにやってきたのだが、謝って許してもらうどころか新たに王太子の顔を叩くという罪が加わってしまった。父は国王に謝罪していて、まだ戻ってこない。ルティアは一人で待たされて心細くて、心を落ち着けるために四つ葉のクローバーを探していた。
「そんなもん、探してどうする?」
「みつけたら、いいことがあるんですよ?」
「そうなのか?」
ルティアはぱちぱち目を瞬いた。意地悪な王太子だと思ったのに、今はなんだか普通の子供みたいだ。
「私、みつけるの得意なんです!」
ルティアはにっこり微笑んだ。
ルティアの笑顔を見て、王太子はちょっと目を見開いた。
それから、ぽつりと言った。
「俺の方が、たくさんみつけられる」
その言葉にむっと口を尖らせて、ルティアは王太子を睨みつけた。
「じゃあ、勝負しましょうか?」