四、王太子の誤算
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ガルヴィード・ヴィンドソーンは王太子である。
王太子ともなれば、将来国王となった時のために既に側近が決められて常に傍に侍っている。
その筆頭である侯爵家嫡男ルートヴィッヒ・ハウゼンと、宰相の息子フリック・デューラー、乳兄弟であるエルンスト・シュミットは頭を突き合わせて悩んでいた。
「頭脳明晰といえばギュンター伯爵家のスヴェルド様だろ」
「いや、人格者を選ぶべきだ。クロケット男爵家のヘンドリク様しかいない」
「俺はフラゴナル子爵家のヨゼフ様がいいと思う」
三人は真剣な顔つきで同世代の貴族令息の中から「英雄の教育係」を選んでいた。
「まだ産まれてもいねぇのに、何でだよっ!?」
その横で吠えているのはこの国の王太子である。
このところ、周りがまだ影も形もない「英雄」をいる前提、産まれる前提で話を進めてくるのが恐怖でしかない。
あの夢以来、ガルヴィードの都合などお構いなしで毎日自室にルティアが放り込まれてくるのだ。いきなり王太子の部屋に放り込まれるルティアも不本意だろうが、いきなり伯爵令嬢を自室に放り込まれるガルヴィードも不本意だ。そんなにほいほい令嬢を投げ込んでいいのか。王太子の部屋だぞ。もっと気を遣え。どいつもこいつも即物的すぎる。
そんな日々に嫌気がさして、気の置けない側近達と馬鹿話に興じようかと思ってみれば、彼らは英雄誕生後の子育て計画に夢中でガルヴィードを完全無視だ。
前世で聖女でも殺したんだろうか俺、とガルヴィードは前世の自分を疑った。
「産ませねぇっつってんだろ!!誰があんな女と!!」
ガルヴィードがもう何度言ったかわからない台詞を繰り返すと、ずっとガルヴィードを黙殺していたルートヴィッヒが顔を上げて目を眇めた。
「あんな女と言うが……逆に、お前はルティア嬢以外と結ばれる選択肢があるとでも思っているのか?」
「は?」
ガルヴィードは目を丸く見開いた。
「よく考えてみろ。お前はルティア嬢と出会ったその日から、お茶会でもパーティーでも舞踏会でもルティア嬢以外のご令嬢とはいっさい関わっていない」
「ルティア嬢を見つけては率先して絡んでいってぎゃあぎゃあ喧嘩してよくわからない勝負を繰り返して」
「姿を現すや「ルティアはどこだ!?勝負しろ!」と叫んでまっすぐにルティア嬢のもとに走っていって社交もなにもかもそっちのけで二人の世界を繰り広げているんだから、最初は「王太子妃の座」を狙う気満々だったご令嬢もその親達もそのうち戦意喪失したよね」
そう。ガルヴィードはまったく自覚していなかったが、あの夢を見るよりも遙かに前から、貴族達の間では「王太子の相手はルティア嬢しかいない」が共通認識となって存在していたのである。
なにせガルヴィードはルティアしか目に入っていないのだ。本当に、まったく、少しも、他のご令嬢に目を向けない。
由緒正しい公爵令嬢にも絶世の美女と名高い侯爵令嬢にも裕福な伯爵令嬢にも目もくれず素通りして、ルティアにまっしぐらな王太子に、周囲の者達は早々に戦線離脱を表明したのだ。勝てない、と。
なにせ、ルティアがいないとガルヴィードは生きていけないのだ。
あまりに息子がルティアしか見ていないことを心配した国王命令で、伯爵がルティアを二ヶ月ほど自領に連れ帰ったことがあった。
その二ヶ月間のガルヴィードを見ていた者達は「生ける屍とはこのことか」という有様を嫌というほど見せられた。
なにをしてても心ここにあらずでぼーっとして、食欲もなく、終いには「豪華なパーティーを開こう!」と提案した国王に「なんのために?ルティアがいないのに?」と死んだ目で返したほどの狂気を見せつけられて、「伯爵令嬢を王太子妃になどできるか!」といき巻いていた国王も高位貴族達も「伯爵令嬢でいいです」と意見を変えたのだ。むしろキミしかいない。キミじゃなきゃ駄目だ。
そんなこんなでルティアが王都に戻されると、ガルヴィードは一瞬で復活した。
そんな有様で、周りは皆「あの二人は鉄板だから」と認識しているにも関わらず何故いままで婚約すらしていなかったかというと、鉄板すぎて必要性を感じなかったという一点に尽きる。
「どうせお互いしか見てないし、周りはもう横やり入れる奴なんかいっさい存在しないし」
「時期が来たらどうせなるようになるんだろって思ってたし」
「魔王復活というイレギュラーが起きたからとっととくっつけようってなっただけで、それが無くてもどうせいずれ結婚してたし」
「いやいやいやちょっと待て!!」
あまりのことに絶句していたガルヴィードだが、そんな馬鹿なことがあるものかと側近候補達の話に口を挟んだ。
「ルティアは王妃教育も受けていないぞ!そんな娘を王太子妃にできるわけ無いだろう!!」
「正気で言ってんのか?」
至極当たり前のことを指摘したはずなのに、何故かとても冷たい目で正気を疑われてしまった。
「いいか、ガルヴィード。お前はことルティア嬢に対してはポンコツの極みだが、それ以外のことはなんでも優秀にこなすハイスペック王太子だ」
「お、おう?」
「ポンコツの極み」と「ハイスペック」のどちらに反応していいかわからず、ガルヴィードは戸惑った。褒められてるのか貶されてるのか。
「そして、ルティア嬢はそのお前と常に全力勝負して渡り合ってきた猛者だ。お前に追いつくため、お前を負かすため、お前に吠え面をかかせるために努力を重ねたルティア嬢の能力値は極めて高いレベルに至っている」
「図らずも、自らの嫁を自らの手で鍛えたのだね」
「ルティア嬢に文句のある奴なんかいない。むしろルティア嬢以外が王太子妃になったら暴動が起きるぞ」
今度こそ、ガルヴィードは言葉を失った。なんてことだ。皆がそんな風に思っていただなんて。
ガルヴィードはがっくりと膝を突いて握り締めた拳を床に叩きつけた。
「……そんな風に思われていただなんてっ知らなかった、……周りをまったく見ていなかったっ。ルティアしか見ていなかった……」
「はい惚気いただきましたー!」
打ちひしがれる主君を無視して、三人はいずれ生まれる英雄の教育計画に話を戻す。
「アルフリード様をお守りしたい!と騎士団で近衛騎士の座をかけた熾烈な勝負が繰り広げられているらしいぞ」
「騎士団に限らない。侍女達の仁義無き戦いはすごいぞ」
「あ。知ってるか?我が子をアルフリード様の側近or妃に!つって、令息令嬢の間で結婚ラッシュだってよ。来年以降はベビーブームが続くな、こりゃ」
まだ生まれてもいないのにすごい人気である。さすがは英雄。
三人の会話をどこか遠い気分で聞き流しながら、ガルヴィードはルティアの顔を思い浮かべた。
愛しいなんて感情は湧いてこない。むしろ「宿敵!」と気分が昂揚するほどだ。
そんな相手に、子を産ませるなど
「……無理だ」
ガルヴィードの呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。