第63話 その夜
「ぶくぶくぶく」
鼻から下を湯船につけて息を吐く。
それによって、泡が生まれては、消えていく。
それを俺はぼーっと眺めていた。
これから、何をするべきなんだろうか?
最優先事項は学院を首席で卒業する事。
その為の足がかりは既に固めた。
問題は次だ。
心配をかけた人達に会いに行くべきなんだろうけど……
「……どんな顔して、会えばいいんだ」
急にいなくなって、1年間も姿を見せなかったんだ。
どれだけの心配をかけたかは分からない。
今更「大丈夫でした」では済まされないだろう。
最初になんて言う?
怒られてそのまま絶縁されたら?
逆に相手が物凄く優しく接してきたら?
考えれば考える程、俺の頭は思考の沼に飲み込まれていく。
それに、皆は無事だとカレンは教えてくれたけど、皆が心配していたとは一言も言わなかったし、カレン自身も最初に再開した時を除けば、凛として振舞っている。
……俺に気負わせない為なんだろうな。
それが逆に俺の重しになっているのが……つらい。
カレンは悪くないし、皆も悪くない。
悪いのは肉体ばっかりで、精神が成長しきっていない俺自身なのだから。
「ふぅ……」
流石にのぼせてきたし、風呂から出ようか。
そうして俺は身体をふき、服を着て、パジャマ姿で脱衣所から出る。
そして涼むためにも一度リビングのソファに腰掛けた。
「さて、まず誰に会うべきか……」
カレンには会えた。
だが、カレン以外には誰一人として会えていない。
そんな中で、まず誰に会いに行くべきか……
「……オリヴィア、だな」
他にも会うべき人はたくさんいるが、優先度的にも会うべきなのはオリヴィアだろう。
グルミニアはどうやらいないようだし、アマネに会うのは……めちゃくちゃ恥ずかしい。
あれだけかっこつけて別れたんだ。
アマネの体感的な時間では1年以上経っているだろうが、俺にとってはつい今日の事だ。
「それで……次にサラスティーナさん、かな?」
会いに行くとしたら、オリヴィア、サラスティーナさんの順番か。
……どうだろうか?
サラスティーナさんはともかく……オリヴィアには何だか怒られそうな予感がする。
なら怒られてもいいように、早く寝て英気を養わないと。
「……よいしょ」
風呂上がりの熱が冷めて肌寒くなってきたのを感じながら、俺は懐かしの寝室へと向かった。
そして扉に手を掛けた時──
「お兄様」
ピンクのパジャマ姿のカレンに声を掛けられた。
カレンは俺より先にお風呂に入っていたとはいえ、未だにその長い黒髪はしっとりとしていて艶やかだ。
そしてそんな黒髪に映える白い肌と端正な顔立ちと相まって……夢でも何でもなく、本当にカレンの元に帰ってこれたんだと実感できる。
「どうしたの、カレン」
「私が構って欲しいって言ったのを覚えていますか?」
「うん……あっ、そう言う事」
「はい。……一緒に寝ませんか?」
前までの俺ならうろたえていたかもしれないが、今の俺は違う。
それにこの提案は正直嬉しい。
「……いいよ」
俺は寝室の部屋の扉を開く。
そして魔石灯の明かりをつける。
すると部屋の中は、一年もいなかったというのに、かなり綺麗にされてある。
「お掃除ありがとね」
「いえ、私も寂しかったので……」
それで掃除してくれていたのか。
「その……ごめんね」
俺はカレンの頭をなでる。
これが慰めになるのかはわからないけど。
「いいんですよ。帰って来てくれたんですから」
「そう言ってもらえるとありがたいよ」
軽く微笑んで、俺とカレンは俺の部屋へと入った。
「どうする? 俺、奥行くよ」
「はい、どちらでも」
俺は毛布を一度はいで、ベッドの奥へと向かう。
このベッドの柔らかさも懐かしい。
そしてベッドの奥で横たわる俺の隣にカレンがやってくる。
お風呂上がりの艶やかな黒髪からは、柑橘系のいい香りがただよって来る。
「灯り消してもらっていい?」
「はい」
カレンは魔石灯の明かりを消した。
部屋はそれによって、暗闇に包まれた。
「ねぇカレン」
「何でしょうかお兄様?」
仰向けになっている俺の耳に、優しげな声が響く。
だが俺は重く口を開いた。
「何も聞いて来ないんだね」
「訳有りのようですし、お兄様から教えて頂けるのを待っているんですよ」
「そう……」
ここ一年、いや200年前の事をカレンや皆に話すつもりはない。
別に人工的な魔族──人工魔族の一件のように口止めをされている訳じゃないし、言ってもいいんだけど……。
でも何だか恥ずかしいし、それで皆の俺を見る目が変わったら嫌だ。
皆には俺を『聖杖の勇者』としてではなく『アベル・マミヤ』として見て欲しい。
だから俺は言わない。
「……ごめん。言うつもりはないんだ」
「いいんですよ」
甘い囁きと共に、カレンは俺の腕に抱き着いてきた。
それによって伝わる柔らかく豊満な感触に、暖かい人のぬくもり。
それは「逃がすまい」として抱き締めているのではなく、「愛している」として抱き着いている。
「……カレン」
「いなくなったのはたったの一年です。私の今までの過去、そしてこれからの未来にはお兄様がずーっといるのですから、それに比べれば大した事ありませんよ」
「はは……少し重いね」
「ふふっ。ずーっと一緒っていうのは確かに言い過ぎかもしれませんが、それでも私とお兄様との時間は長くて、濃いものなのですよ」
「……たった二人の家族だしね」
「そうです。たった二人の家族ですから」
とろけてしまいそうな甘い雰囲気。
俺は抱き着いているカレンの方に顔を向け、カレンと見つめ合う。
「ねぇ、カレン」
「どうしましたか、お兄様」
「皆ともこうして、また仲良くなれるな?」
「私と二人きりなのに、他の方の事を考えているのですか?」
俺に抱き着くカレンの力が強くなる。
「い、いや……まぁ、うん」
「……目の前の私より、他の方が気になりますか?」
カレンの顔が近づく。
それこそ吐息が顔に掛かる程に。
「い、いやだってほら、皆は俺の事を心配し……」
「勿論していましたよ」
俺が言い終わる前にカレンはきっぱりと答える。
そして、良かった雰囲気はどこかへと消えて行ってしまう。
「お兄様が思っている以上に私達は心配していましたよ。それに皆でダンジョンへ何度ももぐりました。でも……」
カレンの言葉にはかなり強い感情がこめられている。
それは自身への怒りか、悔しさか。
「……でも、見つからなかった。だろ」
「はい。私達では4階層のゴーレムが倒せなくて、その先には行けませんでした」
4階層には確か対魔術師を想定して、魔術に強くて機動力の高い2匹のゴーレムを配置したはずだ。
騎士ならともかく、魔術師にはつらい戦いを強いる事になる。
カレンやオリヴィアにはきついだろう。
……まぁ倒したところでその先に俺はいない、なんて言わない方がいいか。
それは野暮ってもんだ。
「でも4階層まではいけたんだろ。ならすごいじゃないか」
実際3階層までにも大量のトラップやゴーレムを配置した。
宮廷魔術師達でさえ、一番奥までこれたのは3階層までだった。
「……」
しかしカレンは特に答えない。
確かに、すごいからといって俺が助けられるわけじゃない。
本人もその事に負い目を感じているんだろう。
「カレン」
「……なんでしょうか」
「大丈夫。俺はもうどこにもいかないから」
俺はカレンを優しく抱き寄せる。
「それに、どこへ行こうが俺は必ずカレンに会いに戻ってくる」
「……約束ですよ……ぅ……」
俺の胸元で、小さな泣き声が聞こえてくる。
「泣かないで。俺はカレンの事が好きだよ」
そうして妹を抱きしめたまま、俺の意識は眠りについた。




