衝動的に飛び出して ーー優斗の場合
俺には二つ、誰にも言ったことがない秘密がある。一つ目は、幼稚園来の幼馴染にもう十年以上恋心を抱き続けていること。もう一つは、俺にはいろんなステータスが見えるということだ。先程ついに、前者が本人にバレてしまった。結果? 「考えさせて」の一言を残し、泣きながら逃げられた。惨敗以外の何物でもない。なんとか自宅まで帰ったまでは良かったが、そこでベッドにへたり込んでしまったが最後、もう立ち上がれる気がしない。困った、凛子のカバンを届けなきゃならないのに。精神的にやられたせいか、視界が黄色くチカチカしていて、目を開けているだけで気分が悪くなりそうだ。隣の家から聞こえてくるニュース速報のアラートも癇に触る。
「本日午後4時頃、刃物を持った男に襲われかけたとの110番通報がありました。」
ああ、なんとも物騒な世の中だ。
「犯人は未だ逃走中のため、近隣住民の皆様は不用意に外に出ないようにしてください。」
幸か不幸か、今の体調では隣の家まで行くのも億劫だ。
「藤風警察署では、20人体制で犯人の捜索を続けています。」
普段は気にならない隣家のテレビがこんなに気になるのは、聴覚が過敏になっているからだろうか。さっきまで黄色かった視界は今や赤色に変わっているし、ブーブーと妙な幻聴まで聞こえ始めた。もう駄目だ、カバンのことは親に任せて今日はさっさと寝てしまおう。そう思って視線をベッドの方に向けた時、視界の端に文字が映った。「緊急ミッション:凜子を救え」、こんなものが俺の部屋に書かれているはずはないから、つまりこれはステータス表示だ。意味のわからない表示にはしょっちゅう出くわすとはいえ、ステータス表示が間違っていたことは今まで一度もない。さっきから嫌に耳に届いていたニュースの内容が頭をよぎる。まずい、まずい、まずい。傘も満たずに、俺は家を飛び出した。
「ユート! リンコのカバンに宿題のprint入れるを忘れましたので、届けに来まし……what’s up with you? You looks so pale……どうした、カオイロガワルイ、ですよ?」
家を出てワンブロックほど行ったところで、うろうろしているジョナサンに遭遇した。不審者情報があるのに不用心な…ああ、日本語のニュース見ないとわからないから知らないのか。
「この辺にナイフを持った人間がいるんだ。危ないからお前は帰れ。」
「ユートも危ないでは?」
「そんなことはどうだっていい、凛子が危ないんだ、悪いが俺はもう行くぞ!」
それだけ言いおいて、凜子の元へと再び走り出す。視界に浮かぶ赤い三角印の方に進みさえすれば、そのうちたどり着けるはずだ。凛子が可愛がっている柴犬兄弟のいる家を左折、未だに俺を覚えてくれない弟犬にけたたましく吠えられた。昔よく遊んだ公園の入り口を通り過ぎ、思う。この道はコンビニに向かうショートカットだ、コンビニ前のポストに行こうとしたんだろうか。少し考え事をしていたからか、前から来たバイクに危うく轢かれそうになった。
「ちっ、邪魔すんじゃねえよ!」
すれ違いざまに罵声を浴びせ、そのまま走り去るバイクの色は赤かった。頭上には黄色い三角印と「ナイフ男」の文字。どうする、追うか? 一瞬よぎった迷いは、生垣の向こうを指し示す赤三角が目に入った瞬間消えた。
対して広くもない公園は、街灯が木に埋もれているせいで暗かった。半分埋まったタイヤの遊具のそばに、横倒しになった人影が倒れている。雨でぬかるんだ地面は、脇腹から流れる血でジワジワと染まっていく。他人の空似であって欲しいと願いはしたが、どこからどう見ても倒れているのは凛子だった。傷口に触れないようにそっと体を起こすと、痛そうに呻く。とりあえず息はある、が、雨に体温を持っていかれて体は冷え切っている。何か少しでも寒さを和らげるものがないかとあたりを見回すと、踏みつけられたようにひしゃげた便箋が落ちているのを見つけた。拾い上げると、雨と血でじんわり滲んだ宛名は、見慣れた字で書かれた俺の名前と住所。俺が携帯さえ持っていれば、凛子は手紙を出しにくることなんてなかったのに。いや、学校できちんと説明ができていれば、佐藤にチケットを買う現場を見つかっていなければ、嘘をついて誘ったりしていなければ、むしろ俺が惚れたりしなければ。際限なく増える「もしも」が頭をうめつくしていく。立ち尽くす俺の耳に、ジョナサンの声がかすかに聞こえた。




