ホラー映画はお好きですか(終)--優斗の場合
俺には二つ、誰にも言ったことがない秘密がある。一つ目は、幼稚園来の幼馴染にもう十年以上恋心を抱き続けていること。もう一つは、俺には人間のステータスが見えるということだ。ホラーが苦手な件については、言う機会にめぐまれなかっただけで、隠し立てをしていたわけではない。断じてない。
さて、結論から言うと、ホラー映画観賞会は惨敗だった。まず、俺に映画を見る気がないことが映画開始前にバレた。目を閉じていることに気付いた凛子のやつは、俺の体調を心配してくれた。こういう気づかいができるのは凛子のいいところだが、今回はそれを発揮しないでほしかった。おかげで、自分の体調は大丈夫だ、映画のチケットがもったいない、仮にしんどいとしても快適な室内の椅子に座っているほうが電車で帰るより楽だといったような理屈を、映画の予告編が終わるまでひたすら並べ立てるはめになった。もちろん、周りに配慮して音量は最小限だ。凛子は俺の必死の説得を聞いた後、額に手を伸ばして熱がないか確認し(額どうしを合わせるような非常識な真似はしない、創作物じゃあるまいし)、不承不承といった形で了承した。
上映開始後も、俺の失態は続く。正直言って、映画館で見るホラー映画を完全になめていた。無駄にいい音質、四方八方のスピーカーからあふれ出す生々しい音、ストーリー展開に従って周りから発される悲鳴に、同列の鑑賞者が驚いて小さく飛び上がるたびに生じる椅子の振動。とてもじゃないが眠っていられる環境ではない。映画の内容がまた今日という日に見るには最悪で、「生物の死体に寄生する微生物が、苗床を増やすために死体を動かして生物を襲う」という代物だった。何が最悪なのかわかるか? 普通の人間は普段意識しないだろうが、街中は生物の死体であふれかえっている。食品やら道端の枯れ草なんかはもちろんのこと、早い話が革製品や木製の加工物もすべてが生物の死体だ。ありとあらゆるものの原材料が表示されている今の俺の状況で、それがどれだけ恐ろしいことか想像してほしい。木製の椅子や革製のカバンが人間の皮膚に張り付き徐々にむしばんでいく様を、目の前で2時間半ノンストップ上映されたんだぞ。左手からわずか30センチの距離にあるアメリカ産トウモロコシの死骸も、体を預けている牛とゴムの木の死体のキメラも、全てが俺を襲おうとする敵に見えてくる。凛子がうっかりポップコーンを俺の手の上にこぼした瞬間、思わずひどい悲鳴を上げてしまったのは、みっともなくはあるが不可抗力だったと思う。
この状況は映画館を出ても変わらない。風に舞う木の葉も道行く人の衣服も、生き物以外のすべての有機物からもたらされる情報が俺を恐怖に陥れる。眠らないと原材料表示から逃れられないというのに、原材料表示のせいでどこに行っても眠れそうにないというこの状況。これを最悪と呼ばずして何と呼ぶというのか。
「ねぇ、すっごく体調悪そうだけど……スポーツドリンクとか、風邪薬とか買ってこようか? それとも救護室から人呼んでくる?」
とてもこのまま帰れそうにないということで、一時避難したフードコート。プラスチック製の椅子に座って鉄製のテーブルに突っ伏している俺に対し、凛子は心配そうに声をかける。せっかく見たがっていた映画なのに、ずっと俺のことばかり気にかけて、楽しめなかったんじゃないだろうか。初見で見られるのは一度しかないのに、申し訳ないことをした。
「いや、そういうんじゃないから大丈夫だ。その……俺……実はホラー苦手で……」
余計な心配をかけ続けるよりも、恥をさらして笑ってもらったほうがマシだ。どうせなので、突っ伏したまま周辺の飲食店を指さして続ける。
「俺のことを思うなら、お前は周囲にいる敵を倒してきてくれ……。」
さっきの映画からの引用だ。冗談を言える程度には元気だと示したかったんだが、返事はない。しまったな、通じなかったか。
「……了解です、少佐。終了次第すぐに戻りますので、しばしお待ちを。」
しばらくたってから、凛子が重々しい口調で言った。作中の女兵士のセリフの引用だ。思わず顔を上げた俺に、照れくさそうに敬礼して見せる。瞬間的に、彼女を植物性の帽子から何としてでも守り抜かねばという、荒唐無稽な使命感が沸きあがる。そんな俺の思いも知らず、凛子は何かに気付いたような顔をした。
「クレープを退治しようと思うのですが、少佐も討伐に参加されますか? ご希望なら、おめごよ……じゃなかった、おめよごし、にならないように、その、向こうの方で……あの……。うーっ、無理だ、いい言葉が出てこない!!」
要は、クレープは怖いか、恐くない場合食べられるコンディションか、ということを聞いてくれたわけだ。女兵士の口調を真似したかったらしいが、失敗して天を仰いでいる。その姿は冷静沈着で仕事のできた女兵士とは似ても似つかないが、俺はこっちのほうが好きだな。
「そうだな、克服のために弱そうなやつを頼む。」
俺のあいまいなリクエストに、凛子はクリームチーズと生ハムのサラダクレープという形で応じた。体調不良でも胃もたれしない、非常にいいチョイスだった。そのあとはまあ、残っていたポップコーンとドリンクもまとめて退治し、苦手な映画を共通で通じる冗談にまで昇華できたことに満足しながら帰路についた。一連の流れが心地よくて、家に帰るまでクレープを驕られたことに気付けなかったのが、今日の失態の締めである。




